「税金をあまり納めてない癖に文句ばかり言うな!」みたいな言説、説得力があるように感じられても論理構造は「誰のおかげで飯が喰えると思ってるんだ!」と全く同じだし、事実としても日本は貧乏人ほど所得に占める税の割合が高く「(多数の)貧乏人が(少数の)金持ちを支えてる」構造だというな。
こう言うと着こなし/洗濯/髪型等の問題では?という疑問が湧くと思うけど、これは種々の発達障害研究で「服装云々ではなく姿勢や動作や表情の問題」という事が明らかになっているんだよな。要するに陰キャの印象改善は体幹を鍛えつつ人間と交流する中で「自然な動作」をコピーする必要があるっぽい
発達障害人間の人生、往々にして愛嬌が必要になるんだけど、他人に愛を振りまくには「自分は愛される人間であり自分に愛されたら相手も嬉しいはず」的な信頼感が必要なんだよな。これがないと自分が愛される事が信じられないし、愛する事に罪悪感を抱いてしまう。愛される為の愛され経験がないというな
発達障害人間のタスク、ADHDの「興味が無い事に集中出来ない/衝動性が強い」とASDの「凝り性/完璧主義」が合わさると、肝心な部分には手を付けない/やっつけ仕事なのに、妙な処は変に手間暇をかけて時間や精神力を浪費してしまい、結果としてチグハグで総合的には厳しい成果物が作成されがちというな。
「嫌な人間との関係は切断してOK!」みたいな思想で想定されるのは、主に「パワハラ上司」「イジメっ子」みたいな強者から弱者へ強制する関係性だと思うけど、実は「育児放棄親」「不倫既婚者」「イジメを見てみないフリ教師」等も良い悪いは別にして、「嫌な人間からは逃げる」思想の体現者だというな
ADHDの先延ばし癖で「嫌/怖いから着手したくない」的なモノについては、例えば菓子を食べながら行えば「マルチタスクに集中出来ない」特性がバグッて恐怖心が乱れて着手出来たりするし、風呂が苦手な当事者もスマホの防水カバー買うだけでわりと抵抗なく入れるようになるケースもわりと多いというな。
コミュ障の人間、1人だと寂しいけど2人だと会話に詰まりがちになって気まずくなるし、3人だと自分以外の2人だけで話す率が高くなって孤独を感じるし、4人以上だと完全に蚊帳の外に置かれてしまう孤独地獄があるというな。
人生が運に左右されやすい事が1番分かやすいのが「就職活動」で、同じような学歴・能力・容姿・コミュ力の人間であれ、その年の景気次第で就活難易度がガラッと変わってしまうんだよな。人間、良い悪いは別に本人ではどうにもならないところで人生が決められてしまう事も決して珍しくはないというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして自己評価が最悪なので「貴方は大丈夫」と言われると「誤解?裏がある?買い被り?失望される?」と不安になる1方で、「貴方は駄目」と言われると自己評価と1致するが故に「私の理解者だ」となってしまい、結果としてモラハラ気質な人間に捕まりがちになるというな
これは「男性はモテると女性蔑視になる」というより、「女性蔑視自体がモテ要素として機能する」という話っぽく、様々な研究で女性は「女性は素晴らしいが男性よりは劣る(慈悲深い性差別)」という信念や態度や行動を持つ男性に対して好ましさを感じる事が示唆されていたり… journals.sagepub.com/doi/10.1177/01…
発達障害人間の人間の名前や顔を覚えるライフハック ・会話で相手の名前をなるべく言う ・名刺等に会った日付と会話内容を書いておく ・名前の由来や渾名を教えて貰ってエピソードとして記憶する ・似ている有名人と関連付ける 如何に相手を自分の中で「特徴ある印象的な人間」に変えられるかが鍵
人間、恵まれない個体は嫉妬と自己正当化で「自分の不遇は生まれや環境のせい」と言いたがる/認知してしまう事は知られているけど、1方で恵まれた個体も傲慢と自己正当化で「自分の優遇は努力や正義の賜物である」と言いたがる/認知してしまうバイアスがある事も、もっと知られるべきだというな。
社会不適合人間、往々にして社会生活を送る為に過大な労力と神経を割いているので、休日はその間に溜まった「とにかく何もしたくない。何も考えたくない」という気持ちをゴロゴロして消化してくだけで1日が終わっていくというな。
メンタルが悪い時って、とにかく即時的な達成/充実/高揚感を求めてアレコレしてしまうけど、メンタルが悪いので当然に成果は芳しくなくなるんだよな。これが所謂「何をやっても駄目な時」の正体なので、そういう時は「成果を出さなきゃ!」という強迫観念が薄くなるまで心身を休ませるのが吉というな。
ADHD人間、往々にして締切ギリギリに過集中等で1気にタスクを終わらせられる事が多いんだけど、その時の凄まじいドーパミンと成功体験で条件付けが成立してしまいがちなんだよな。結果、先延ばし癖が悪化して平時はタスクに全く着手出来ない「ギリギリじゃないと僕ダメなんだよ」になりがちというな。
ADHDがコミュ障になりやすい理由の1つに「マルチタスクが苦手」というのがあるんだよな。会話は周囲を見る・話を聞く・何か言うのマルチタスクであり、ADHD人間は「周囲や話の内容を気にし過ぎて何も言えなくなる」「話すことに集中し過ぎて止まらなくなる」等の事故を引き起こしてしまいがちというな
「何で話してくれないの?」と言われがちな人間、往々にして「言葉という暴力」に怯えてる傾向があるんだよな。体罰やイジメを受けた人間は手を上げられると反射的に心身が竦むけど、否定や抑圧や嘲笑を浴びせられた人間も話そうとしたり話し掛けられたりすると反射的に心身が竦むようになるというな。
社会学者カール・レーフラーの研究によれば、Twitterで「勉強しなくても国語がよく出来た」自慢をする人間は高確率で社会不適合を発症する事が確認されているが、Twitterでの「成人式に行かなかった」自慢も同様に社会不適合の発症の重大な予測因子であり、また両者は併存傾向にある事が判明したという
☓メンヘラはシぬシぬ言ってるわりには全然シなない。本当にシぬ人間はシぬとは言わない △厚労省調査(保坂隆)によれば自サツ者の2割は周囲に「シにたい」と言っており、シにたい言ってる人間も普通にシぬ ○シんだメンヘラはTwitterやれないので我々はシなないメンヘラしか観測出来ない
毒親育ちの人間、往々にしてファーストインプレッションは良いんだけど、それは他者の顔色を伺って先回りして機嫌とったり自分の意思や感情を抑える事が上手いだけなので、何回会っても心を開けず距離が詰まらないし、緊張を維持出来ずボロを出してしまうで、最後には気まずくなってFOしがちというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間嫌いなんだけど同時に寂しがり屋でもあるんだよな。それ故に寂しさで人間に近付いたら人間嫌いで傷付いてしまうけど、人間嫌いで人間を避けても寂しさで傷付ついてしまい、その経験で人間嫌いと寂しさが更に加速…という悪夢のようなジレンマがあるというな。
弱者は「他人を思い遣れないからこそ弱者」な面があって、弱者は人間から手を差し伸べられても「自分に目を向けず封×する悪人よりも、自分を気に掛ける聖人の奉仕の不十分を憎む」傾向があるんだよな。そもそも他者を想像/尊重して関係を築ける生物は、絶望的な困窮に追いやられる事は基本ないというな
最近Twitterで養命酒を飲むようになったオタクを多く見掛けるようになったけど、これは間違いなくオタク中核層が「加齢に伴い健康への関心が高まった」ということなので、次は絶対「介護便利グッズ」「死去した親の感動話」「葬式関連tips」等がオタク界隈でバズるようになると確信しているな。
不遇な人間が発揮した善意が「貴方のそれは優しさではなく弱さ」と否定される現象、実は精神面云々ではなく権力勾配の問題なんだよな。何故なら人間は優位になるほど、劣位の人間を悪と見做さすようになるから。虐められっ子はイジメが進むにつれて些細な落ち度を理由に殴られるようになる法則というな
社会不適合なりに人生サバイバルしてる人間は、しばしば「自分の人生このままで良いの?流されてるだけでは?」と不安に陥るけど、それは本当の☓☓なら絶対陥らない思考でもあるんだよな。良いも悪いも、その不安感はある意味で広い視野や主体性の発露であり、社会不適合人間の成長痛でもあるというな