Twitter、既存ユーザーが嫌がるような改変ばかりやるけど、Twitter社の分析によれば「既存ユーザーは負け組の癖に妙に慎重で広告への食い付きが悪く、恋愛や結婚に興味ないお1人様なのにオフ会はして変なトラブルを起こす傾向がある」そうなので、Twitter社自体も我々をメッチャ嫌っていそうというな。
人間は怒られるほど無気力になる傾向があって、怒られると極端な話「行動する事のリスクが増大して、何もしない方がアドに思える」ようになるんだよな。しかし、その手の人間は傍目には「怒られてこなかったから自主性がない」と判断されて叱責を呼びやすいので、日を追う毎に更に無気力になるというな
声優の結婚それ自体にダメージを受けて暴れるオタクは全くいなくなったけど、代わりに声優の結婚によって「ずっとオタクのままで止まってる自分の時間」を意識させられて、人生について内省を始めるオタクばかりになってきたの、オタクの高齢化現象と限界を象徴してる感じで本当に悲しいものがあるな。
「オタクは辞めようと思って辞められるものではない」というのは正論だけど、社会生活や加齢で摩耗した結果、雰囲気は完全にオタクなのにヲタ活はしておらず、オタク語りもほぼ昔話と同義になってるみたいな存在になる事はあるんだよな。オタクは種族なので辞められないけど、ゾンビにはなるというな。
「赤ワインを飲む人間は長生きだ。赤ワインは健康にいい!」→「実は金持ちほど赤ワインを飲むだけ」式の擬似相関に、「朝御飯と成績」「ジャンクフードと犯罪」に続いて「音楽と成績」が加わったけど、これらが毎回「実家の太さは人生の豊かさ」という結論に回収されてくの、本当に厳しいものがあるな
人間、メンタルが本当にヤバイ時は「いつ破綻するか?」という不安に耐えられず、むしろ積極的に物事を破綻させ、ある種の安心を得ようとするバグが起きるんだよな。所謂「試し行動」が典型だけど、その状態の人間が真に欲しいのは「まだ大丈夫」という希望ではなく、「もう駄目」という絶望だというな
オタク界隈、コロナでも「頼まれなくても休日は常にインドアだからw」と思っていたら、まずライブ/イベント/聖地巡礼が出来なくなり、「まぁアニメがあるから!」と思っていたら新作アニメまで制作中止でなくなり、いよいよ太古の「好きな物を延々掘り下げ続ける」絶滅種が復活しそうな予感がするな。
子供の頃に辛い経験した人間は辛さに強くなるどころか、些細な事でも敏感に反応してしまったり、それを想起させる物事に過剰な恐れを感じたりで、逆に弱くなってしまうあげく、周囲からは「辛い経験してこなかったから耐性がない」と判断されるので、辛い経験は基本的に避けるに越した事はないんだよな
怠惰な人間が絶対やってはいけないのが「ギリギリ間に合った」を繰り返す事で、限界までダラダラする人間はギリギリ経験を「これぐらいなら大丈夫」として、更にギリギリを目指すようになるんだよな。8月31日に宿題を1気に終わらせた人間は「31日にやれば間に合うから」と麻痺し、やがて破滅する法則な
人間がヤバくなる前兆として、ゲームや読書などの娯楽行為や食事や睡眠等の「MPを回復させる営為が面倒で出来なくなる」というのがあると半ば確信してるんだよな。この状態に陥ると、ただただ最も(短期的に)リソース消費の少ない現状維持を続けるしかなくなり、いつしか擦り切れて☓☓になるというな
先延ばし癖の酷い人間は、往々にして「遊ぶ」のは好きだけど「遊びに行く」のは嫌いという状態になりやすいんだよな。遊ぶこと自体は好きだけど、「これから遊びに行かなくてならない」という外出準備したり時間を気にしたりする状況が苦手過ぎ、行く前には面倒臭さと必死に戦う羽目に陥ってるというな
コミュ障は、知らない相手とは上手く話せない人見知りとは逆に、知らない相手とは上手く話せるが、距離が縮まる程にギクシャクしてくんだよな。良いも悪いも「万人から嫌われぬよう自分を取繕う能力」が高く、初対面で好印象を与えられるが故に、それからは好感度が下り坂1直線になってしまうというな
先延ばし癖のある人間、往々にして「風呂は好きだけど入る気になれない」「遊ぶのは好きなのに遊びに行くのは面倒臭い」「好きな人間と話すのは好きだがline等を確認したり自分から連絡するのは気が重い」という特徴があるので、普通人間を「結局貴方はどうしたいの?」と戸惑わせてしまいがちというな
イジメを失くす方法、小中高で虐めは滅茶苦茶起きるのに大学で1気に少なくなり、大学院でまた起き始める事から分かる通り「人間を密集させない」なんだよな。動物は狭い所に閉じ込められたらストレスで弱い個体を攻撃しだすけど、人間もアニマルなので閉鎖空間に押し込むと同じ現象が起きるというな。
急にバックレたり人間関係リセットする人間の特徴は、「愚痴や不平不満が多い」ことではなく「愚痴や不平不満を1切言わない」ことなんだよな。この手のタイプは弱音を吐かないのではなく吐けない生物で、内側の鬱屈を表に出さないからこそ弱っていき、外からはタフなのに急に折れたよう見えるというな
Twitterで「叩いていい対象」認定された人間が、多数から際限なく思いっ切り殴られ続けてる現象を見ると、義務教育で習った「公開処刑は中世の社会では1般市民の娯楽だった」という話と、「刑罰は私人/公人による過剰な制裁から罪人を保護する役割もある」という話が本当によく理解出来るな。
自己肯定感の低いコミュ障は、好きな人間と接して凄く仲良くコミュニケーションやれてテンションが上がっても、冷静になってくると「自分のあれは馴れ馴れし過ぎ?」「実は自分って迷惑かけてる?」と妙な不安に襲われて変に意識し過ぎてしまい、結果よく分からん距離感になってしまいがちな気がするな
ADHDは何故本命タスクを先延ばしして別のタスクに取り掛かってしまうのか?私はその謎に迫るべくインターネットを始めたところ、たまたま目にした/ふと思い付いた別の情報が気になり始めてしまい、気が付けば謎を解明出来ぬまま3時間が経過し、ブラウザのタブ数は2桁に達しようとしていた。
「締め切り前や本当にヤバクなると物凄い集中力を発揮して難局を乗り切る」みたいな「やれば出来る子」は、往々にして「やる気を焦燥感によってしか発揮出来ない人間」なので、人目がないところや開き直りさえすれば締切が無くなる整理/掃除/勉強/貯蓄/人生等に対しては際限なく自堕落になるというな。
週末の時点で観測史上最大級の台風が関東上陸すると分かっていたのに、結局は月曜日の朝まで企業は判断を保留して社畜を駅で右往左往させてるけど、これはどう考えても「占いで悪い事が起きると分かったから」で自宅待機(物忌み)を許していた平安時代人の方が、現代人より遥かに進歩的なんだよな。
ADHD、タスクが溜まると優先度がゴチャゴチャになり、先延ばしにしたタスクや思い付いた非必須タスクが脳内メモリーに留まり続けてCPU処理が落ちる現象があるけど、これは研究によれば「身体を動かす」でクリーンアップされて処理速度向上する事が判明してるんだよな。ADHDは運動でメモリ解放出来る説
小さい頃からのあれこれで「怯え癖」のある人間は、大きな声を出されたり険悪な態度に曝されると、自己防衛の為に心のシャッターが下りて何も頭に入らなくなってしまうけど、相手はそれ故に「ちゃんと聞いてる!?」と更に態度を強くしてしまう悪循環があるんだよな。そして怯え癖は更に強化され。。。
確認された時に「1回で覚えろ!」と高圧的に出ると、人間は「失敗しても確認しても怒られるなら、確認せず進めて上手くいく可能性に賭けた方が合理的」と判断して失敗確率が高くなってしまうんだよな。更に失敗した時に高圧的に出てしまうと「なら誤魔化し通せる可能性に賭けた方が合理的」となり…。
大人になって生き辛さを抱える「小さい頃は真面目ないい子」は、往々にして「怠惰なのに不真面目になりきれない」という特徴があるんだよな。例えばサボるにしても、それに罪悪感を抱いてしまって楽しめず思い切った事が出来ない。楽な方に流されてるのに、主観的には多大な重圧に苛まされてるというな
Q「貴方はオタクですか?」 陽キャオタク「オタクです(即答」 陰キャオタク「ここで言うオタクの定義って何?今時はみんな普通にアニメぐらい…」 ガチヲタ「自分はオタクのつもりですが、所謂ガチの方と比べてしまうと…」 真性オタク「…っ!(久しぶりに人間と話すので咄嗟に声が出せない)」