自己肯定感の低いメンヘラや幼少期に親に抑圧された人間、「自分は存在してもいい」という世界に対する信頼感が無い故に、人間と接したり関わるだけで「何か申し訳ない…」と後ろめたさを感じてしまうので、傍目には「誰も気にしてないのに1人で勝手にダメージを受けてる」謎の生物に映るというな。
ADHDが風呂が好きなのに先延ばしたがるのは「風呂に入ってる間はそれ以外の行動が出来なくなる」のが、衝動的行動を好むADHDの特性とぶつかってるっぽいので、防水スマホケース/ブックカバーを買う等して風呂に入っても出来る事を増やしたら、とりあえず自分は例の独特の重力が完全に消失したというな
ADHDの「先延ばし癖」と「努力の持続が必要な課題を嫌う」という特性が合わさると、「先延ばしていたタスクが手遅れ1歩手前の大変な事になってて滅茶苦茶努力しなきゃいけなくなる可能性が怖すぎて確認や着手を先延ばす」という自滅バグが出来上がるというな。
ADHD人間の「ワーキングメモリが乏しく複数並列処理が苦手」というバグ特性、実は「ネガティブな感情に襲われた時は、身体を思い切り動かしたり本を音読したりすれば脳のメモリがオーバーフローを起こしてモヤモヤするだけの余力が無くなり、結果として気が晴れる」というバグ技に転用可能だというな。
ADHDのワーキングメモリーは改善するより解放する方が簡単で、「やる事多過ぎ!病む!」とメモリ不足になった場合は、課題を書き出す等の「思考のアウトプット」すれば、その過程で整理ついたり視覚情報で全体像が掴めたりで「思ってるほど大した事ではない」のが分かり、フリーズ解除されるというな。
ADHDの「衝動的に行動する」と「ワーキングメモリーが乏しい」という特性が合わさると、「インターネットで必要な情報を探そうとしたら、つい気になるリンクをクリックして横道に逸れたまま戻ってこれなくなり、タブが膨大な数になって時間が経つにつれて目標がドンドン遠ざかる」という地獄が生まれる
「税金をあまり納めてない癖に文句ばかり言うな!」みたいな言説、説得力があるように感じられても論理構造は「誰のおかげで飯が喰えると思ってるんだ!」と全く同じだし、事実としても日本は貧乏人ほど所得に占める税の割合が高く「(多数の)貧乏人が(少数の)金持ちを支えてる」構造だというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして人間に優しくされると「私は無価値のはずなのに…何故優しくされるの?おかしい!」と認知不協和を起こして不安に陥りがちなんだよな。結果、試し行為で失望されたり☓☓な人間に引っ掛かって酷い目に合ったりし、現実の方を認知に合わせようとしてしまうというな
コミュ障の人間は「気を遣う」だけではなく「気を遣われる」のも苦手な場合が多くて、コミュ障故に気を遣われてるのに嬉しそうにする等の反応を上手く返せなかったり、気を遣われること自体に罪悪感を覚えてしまうんだよな。気を遣われてる間、内心では相手に対して常に謝罪している状態だというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして不安が強いうえに人間関係に乏しいので、少しでも可能性を感じた人間に本来複数の人間から少しづつ得られるものを求め、過剰な期待や異様な距離感で相手を疲弊させ、関係を芽吹かせては潰してしまう傾向にあるんだよな。人間関係をやる為の人間関係がないという。
人間は疲れている時は好きなコンテンツを見ても楽しめないし、何を食べても美味しく感じないし、何かに興味を持つ事も出来なくなるステータス異常になるんだけど、恐ろしい事に社会に出て労働で磨り減ったり、変な歳のとり方をすると、段々とその「ステータス異常」がデフォルト化していくというな。
若い頃は「ずっとオタクでいいしw」なテンションだった人間が、段々と老いによって何かを楽しんだり興味を持てるだけの体力・精神力が摩耗していき、次第に毎日が過去の縮小再生産と化して、遂には「趣味に生きる人間なのにコレ!という趣味がない」矛盾生物と成り果てる光景、本当に辛いものがあるな
小さい頃に「将来の為だ!」と親に抑圧を受けてきた人間、当然ながら自分の意思や願望とかが希薄になるんだけど、いざ社会に出始めると「さあ君は自由だ!やりたい事をやれ!」と放り出されるので、「あれっ人生いつ始まったの?」と戸惑ってる内に色々遅れ、社会不適合を発症する傾向にあるというな。
ADHDの「小さな報酬には反応しないが大きな報酬には反応する」性質の最も分かりやすい例が「掃除」で、普段は日常のちょっとした不便を解消する掃除や整理をやりたがらない癖に、いざ着手すると「やるからには大きな報酬を求めるぜ!」となり、完璧を目指して手間暇時間を忘れて没頭してしまうというな
自己肯定感の低い人間、往々にして初対面の人間には好印象与えられるけど、人間関係で何か違和感抱いても「自分が悪いだけかも」と思うし、確認する事にも「相手に失礼かも」と罪悪感を抱くので、モヤモヤ解決手段が「人間関係リセット」だけになってしまい、関係が出来ては消えてく傾向にあるというな
コミュ障の人間、往々にして失敗経験は多いから「気まずい空気」は読める…というより非常に敏感なんだけど、「気まずい空気になる前の空気」は読めない事が多いので、結果として傍目には「人の顔色に敏感なのに空気を悪くするし、その空気に誰よりもダメージを受ける」という謎の生物が映るというな。
小さい頃に「怒ってはいけない」「偏見や差別はいけない」「まず自分が悪くないか考える」と育てられた人間、その教育方針の是非はともかくとして、社会に出ると☓☓な人間にまで公正に接しようとしたり☓☓されても「自分に非が?」と考え込んでしまうので、色々と損な役回りに陥りがちになるというな
ADHD人間、先延ばし癖が酷くなると「タスクが取り返しのつかない事になっていたら…」という不安と向き合うのが嫌過ぎて、焦燥感に駆られるほどに別タスクやダラダラで時間を消費し、取り返しがつかない事を確定させる…「石橋を渡るのが怖過ぎて石橋を叩き壊して安心する」営為に陥りがちな気がするな
ADHD人間、やらなきゃいけないタスクが2つ以上あると、「早くやらなきゃ!早くどっち先やるか決めないと!」などと思いつつ、優先順位や時間配分を決めなきゃいけない=自由を奪われるストレスのあまり、精神衛生の為にスマホを弄ったり本を読んだりして寛ぎだすという自滅バグ持ちが多い気がするな。
社会不適合人間、往々にして幼少期から怒られる経験が多かった為、相手に非があっても相手に感情出されると「謝らなきゃ!」的な強迫観念に襲われるし、心身に叩き込まれた無力感で曖昧に笑ってやり過ごす癖がついてるしで、怒るべき場でも怒れずに、後で何度も悔しさを反芻する羽目に陥りがちというな
社会不適合人間に「遅刻したら罰を与える」というルールを導入すると、「罰が嫌だから気をつける」とはならず「罰を受ければ遅刻しても大丈夫!」というトレードオフ意識が芽生えるし、社会適合人間も「罰を受けた方が得な場合は遅刻する」的な合理性を持ち始めるので、遅刻は更に増加していくというな
ADHD、お風呂に入るのは好きだけど入るまでが長く、人間と遊びに行くのは好きだが準備や家を出るのはダルく、趣味やタスクには妥協なく全力を注ぐが着手する気力は出ず…と往々にして「ワクワクする事が好きだし直ぐワクワクするけど、そこに行くまでを極端に嫌がる」という矛盾した性質があるというな
「それぞれの地獄がある」「苦しいのは自分だけじゃない」的な言葉は、相手へぶつけるものではなく自分への戒めや信念とすべき言葉なんだよな。それを相手に対して向けてしまったら「お客様は神様」と同じく、「だから文句言うな!我慢しろ!」という劣位に置かれた人間への単なる抑圧と化すというな。
社会不適合を起こしがちな真面目人間に見られる特徴が「人を頼らない」ことなんだよな。頼れば何とかなりそうな場面でも、人を頼る事への罪悪感/面倒さ/気まずさ/拒否されたり怒られる恐怖etcが嫌過ぎて、ヤバいと分かっていても取り繕わず「手遅れになるまで黙って耐える」選択をとるしかないというな
自己肯定感の低い人間、行動の軸が基本的に「自分がやりたいからヤル」ではなく「やらないと周囲から何を言われるか分からないからヤル」なので、如何に努力して成功して評価されても達成感は味わえず、ただ疲労感だけが残るんだよな。常に自分でない何かに行動を指示/強制されてるような感覚。