@akihiro_koyama これについても答えは出てて、虐待加害者の属性は児童虐待☓害事例に関しては統計がとられており、ざっくり実母の虐待率は2003→2016年で52→61%微増傾向、実父は28→8%減少傾向となっております。(因みに実母交際相手は4→2%) mhlw.go.jp/content/119000…
「過干渉なママと無関係なパパ」というメンヘラ製造家庭、往々にしてママは被害者を自認するんだよな。本人主観では過干渉は思い通りにならず自分を苦しめる子供への防衛措置。それ故にママは過干渉すればするほど「自分は苦しめられてる」思いを強め、パパは逃亡し、子供は社会不適合発症するというな
@rei10830349 因みに記事冒頭の「被害者の9割以上が女性といわれているこのDV」というのも事実と反してて、確かに警察に相談されたDV被害の8割は女性だけど、内閣府の暗数調査ではDV被害の男女比は4:6と判明してるんだよな。例の記事は児童虐待やDVの実態ではなく、イデオロギーについて語られてる。
信田さよ子さんはママの児童虐待原因は「夫に虐待された妻がやむを得ず子供を虐待してる」としてるけど、平成22年国勢調査によれば両親家庭の虐待率1.7%に対して母子家庭の虐待率は5%。カウンセリングは相手を100%肯定するのが基本だけど、1般論にするには危険過ぎる cakes.mu/posts/32991
インターネット、昔は「リアルでは話せない本音や言説を吐き出せる場」だったけど、今は良いも悪いも道徳的に正しくない発言は即座に晒され叩かれるようになったので、逆にリアルが段々と「インターネットでは話せない本音や言説を吐き出せる場」になりつつある気がするな。
Twitterで自分の嫌いな人間/属性を指して「中高の時にいた陰キャ/キモい人間みたいw」という人間、確かにそういう面はあるにせよ、それ以上に本人達が「陰キャ/キモい人間は指差して笑ってOKだし、そう言っとけば反撃も嘲笑で封じれる」的な小中のアレに囚われ過ぎてて本当に厳しいものがあるというな
コミュ障には「コミュ障ほど相手をコミュ障認定しコミュ障に厳しくなる」構造があって、何だかんだコミュ障の自覚がある人間はコミュ障の中でも上澄み。真のコミュ障は人間関係が破綻する理由が自己にある事にすら気付けないので、逆に相手をコミュ障と認識し自分は1方的な被害者と思い込むというな。
TwitterJPの「Twitterをスクロールして祝日を過ごしているみなさん〜!面白いツイートありましたか?」というキレキレの煽り、Twitterは過去に日本ユーザーを分析し「Twitterユーザーはボッチ非モテノリ悪い負け組」と結論付けてるので、間違いなく事故ではなく確信犯というな twitter.com/TwitterJP/stat…
@rei10830349 マナー講師に限らず、需要が埋め尽くされて行き詰まった資本主義は「何を欲しいのか当てて稼ぐゲーム」から「不安を捏造して売り付けるゲーム」になってしまうんだよな。例えば「包茎は恥」なんかが典型で、「☓☓じゃなきゃいけない」という不安を煽り本来は無かった需要を産み出してる
マナー講師は基本的に「知らないマナーを教える」のが存在理由なので、実はマナーが広まり皆がマナーを守るようになればなるほど存在理由が消滅してくんだよな。結果、マナー講師は喰う為に「誰も知らないマナー」を次々に作っては広める失礼クリエイターにならざるを得ない悲しい構造があるというな
辛い経験をする1番のデメリットは「世界に対する怯え癖がつく」事なんだよな。この癖がつくと自身の意思を表明しようとすると「それが通らず苦しむ自分の姿」が思い浮かんで自分を出せなくなり、最終的に自分の意思を持つこと自体がストレスと化して「苦しみたくない」以外の願望が消滅してくというな
他者に虐められたり抑圧された人間は空気を読むのが上手くなるどころか、下手になる傾向があるんだよな。確かに他者の悪意には敏感になるけど、それ故に頭の中が直ぐ恐怖と悲観でいっぱいになり、何も考えられなくなってしまう。結果「繊細で周囲を気遣うのに鈍感」という悲しい生物が誕生するというな
気分がドン底だったり心身が疲れ果てると、もはやゲーム/アニメ/映画/読書/スポーツのような脳や体を使う娯楽すら出来なくなり、脳☓状態でも出来るTwitterぐらいしかやれる事が無くなるんだけど、この現象は「日本はTwitterのアクティビティが異様に高い」のと何か深い関係がある気がするな。
「社会的地位の高い男性は☓☓な女性を好む」的な言説、定量的な研究では「そもそも女性の外見も社会的地位も男性とのマッチに何も影響を与えない」事が明らかになってるんだよな。結論から言えば、男性にとって美人とは見目麗しい女性ではなく「可能性を感じる女性」というな reis.cis.es/REIS/PDF/REIS_…
「人間は弱ければ弱いほど助けを求められなくなる」ジレンマがあって、往々にして弱ってる個体はケアされないからこそ弱ってるので「助けを求めても面倒/迷惑認定されて事態が悪化するだけ」と思ってしまうんだよな。正否は別にして「助けを求めない」が本人の中では完全に合理的になってるというな。
オタク、陰キャ地味女性に走れば「自分に自信がないから陰に走るw」と叩かれ、陽キャギャルに走れば「自分には手の届かない存在だから無限に夢を見れるw」と叩かれ、ロリに走れば「自分より弱い存在を求めてるw」と叩かれ、強い女性に走れば「庇護を求めてるw」と叩かれるの、流石に可哀想な気がするな
何かに違反してる人間に対して納得させたり言い聞かせたりといった穏便な解決策を計るわけではなく、その人間を論破したり小馬鹿にしたりして辱めて叩きのめしてやったぜ!スッキリ!的な武勇伝がTwitterでバズり続ける光景、良い悪いは別にして虐めの楽しさと無くならない理由がよく分かるというな。
矛盾してるようだけど、何か不安を抱えてる人間が心の底から安心出来るのは「不安が的中した時」なんだよな。何故なら実際に起こった悪い事は不安…心配事/気がかりではなくなるから。手遅れになるか分からない状態が1番心理的にキツく、手遅れが確定すると逆に何処か救われたような気になる感覚…。
発達障害人間、形態学の進歩により「(先天的に)人間に不快感を抱かせる容姿を有しやすい」事が明らかになりつつあるけど、これと人間の「容姿に評価を引きづられてしまう」性質を合わせて考えるに、発達障害人間の只でさえ低めなコミュ力等が容姿要因で更に悪く評価される…的な地獄がある気がするな
女子大学生に架空の男性とオンラインデートをさせ、女性がハラスメント認定しやすい条件等を調査したところ、最も強力な予測因子は男性の魅力と社会的地位だった…的な研究は山ほどあるけど、人間はバイアスに影響されながらも「自分はバイアスで見てない」と認知するので… pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/19030980/
「脈のない人間が告白するのはコクハラ…ハラスメント」という考え方と、「性的アプローチがハラスメントになるか楽しい体験になるか?は内容ではなくアプローチ側の属性で決まる」的な研究を合わせて考えるに、良い悪いは別にしてコクハラは「身分差恋愛は許されない」の言い換えに他ならないというな
自己肯定感の低いコミュ障は「自分は他者に嫌われる」という思いが強過ぎて、相手に関わる事自体に「時間と労力を奪って申し訳ない」的な罪悪感を抱いてしまうんだよな。結果、相手に自分から話し掛けたり誘ったりする事が出来ず、見知った仲でも段々気不味くなり、人間関係が出来ては消えてくというな
発達障害人間、往々にして過去の色々で自身に多大な自己否定感を有しているので、他者に対して必要な報告連絡相談でさえ「迷惑では?」「怒られる?」と怯えてしまいがちなんだよな。結果、コミュ不足でトラブルが起きたら更に自己否定感が強化され、より報告連絡相談出来なくなる悪循環があるというな
☓所得の高さは人間の能力によって決まる △コンビニで新サービスが追加される=求められるスキルが増えても店員の時給は増えないし、高学歴高教養を自負するTwitter民は大体貧乏。所得の高さは座ってる椅子の近くに流れる金の多寡で決まる ○所得の高い人間はハロー効果で能力も高いと認知されやすい
コミュ障の陰キャの「気心を知れた人間とは物凄く盛り上がる」「1対1だと1応は話せる」「あまり親しくない人間多数と話すと詰む」的な特徴、全て「心理的安全性が保たれてるか」で説明可能なんだよな。陰キャの陰は怯え/羞恥に由来するので、それらの心配が少ない場では陽になる事も珍しくないというな