コミュ障の人間、往々にして敬語は上手くて礼儀正しいから歳上/目上/初対面には好評価なんだけど、それはコミュ力がないが故に人間関係で地雷を踏まぬよう身に付けた鎧なので、「タメ語でいいよ」「固くならないで」と言われると、リラックスどころか逆に緊張感MAXになって色々詰んでしまうというな。
発達障害人間が運動音痴な理由として、近年「GABA濃度がバグッてる」ことが指摘されてるんだよな。国立障害者リハビリテーションセンターの研究によれば、ASDは1次運動野のGABA濃度が高過ぎるが故に大きな筋出力が出来ないが、逆に補足運動野のGABA濃度は低過ぎて手や足の協調が困難になるとのこと…。
陰キャが体育を嫌う理由は「禄に身体の動かし方を教えて貰えず出来ないと叱られクラスから冷視された」経験にあるのは間違いないけど、これ実は学校教育全般の問題なんだよな。学校で禄に勉強教えて貰えず出来ないと叱られクラスから冷視され、算数英語等が嫌いになった人間も決して少なくないというな
発達障害人間、往々にして凸凹を抑えて「普通」になる努力をするんだけど、凸はともかく凹を平坦にする事は困難なので、結果として「目立たないのに悪目立ちはし、他者に気を遣うのに空気が読めず、迷惑/失敗したら凄く落ち込んで反省するのに似たミスを繰り返す」的な変人になってしまいがちというな
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして「自分は嫌われる」と思っているので、大切にされると「失望されるに決まってる」「裏があるのかな?」「私を誤解してる?」と不安になってしまう1方、☓☓に扱われると苦しいにも関わらず「やっぱり私は駄目なんだ」と妙な安心感を得てしまうバグがあるというな
ADHDの人間、往々にして嫌なタスクに着手するには莫大なMPが必要なんだけど、締切が間近に迫ってくると焦燥/絶望感でMPがガリガリ削られてしまい、精神が乱れまくって別の事が気になったり、今やらなくていい事に着手してしまうので、傍からは「時間ギリギリなのに寛ぎだす謎の生物」に映るというな。
完璧主義の人間、往々にして完璧主義故に間に合わずに失敗したり、完璧に出来なくて不満が残ったりした経験が積み重ねられていくので、最終的に「自分が何かに着手しても完璧に出来ず苦しむだけ」と悟りを開いてしまい、傍目には「何かに熱心に取り組む事を嫌がる怠惰人間」に映るようになるというな。
ADHDのスケジュールが崩れやすい理由、先延ばし癖や不注意による物忘れ等があるけど、個人的に1番大きいのが衝動性なんだよな。必須タスクがあっても何かを思い付いたり興味関心を惹かれてしまうと、それで頭がいっぱいになって集中力やヤル気が吸い取られ、そのまま何もかもが駄目になってくというな
陰キャ、往々にして「馬鹿にされた時、感情を表に出すと余計に傷付く羽目になる」と学習してしまっているので、嫌な事を言われても曖昧に笑って誤魔化す癖がついてるけど、別に傷付いてないわけではなく、惨めな気持ちになったり後で思い出して悔しさを反芻したりで、滅茶苦茶傷付いてたりするというな
男性の性欲を甘く見てはいけません。男性は可能性を感じる女性を美人と認知する習性があります。良い悪いは別として、その習性を巧みに利用した事例が木嶋佳苗氏であり、彼女のメソッドを参考にする事をお勧めします #マシュマロを投げ合おう marshmallow-qa.com/messages/00ea7…
ADHDの人間関係、往々にして衝動性が「他者にコミットする時は全力で行き距離をガンガン詰めてくが、関心の移り変わりが激しく面倒事は先延ばしてしまう」的な形で出てしまい、他者の目には「物凄くコチラを好いてるはずなのにちょっとした事で音通不信気味になる謎の生物」に映る傾向がある気がするな
人間が努力出来ない理由も助けを求められない理由も、基本的に「それが実を結ぶと期待出来ないから」なんだよな。過去のアレコレで「自分は救われない」と学習してしまい、救いを期待すること自体「余計に傷付くだけだぞ」とストレスになってしまっており、何も期待しない事が最適解になってるというな
人間関係は失敗すればするほど下手になる構造があって、失敗するほど人間は卑屈になりコミュニケーションとること自体に恐怖を抱くようになるんだよな。結果、些細な事から破滅を予見してしまうようになり、その不安に耐えきれず自ら地雷を踏みに行ってしまい、最悪の予見を自己実現してしまうというな
矛盾してるようだけど、被害者が被害者として扱われるには「加害性」が必要なんだよな。人間は際限なく相手の落ち度を見付けて自己正当化する事が可能なので、反撃出来ない相手には何処までも冷酷になれてしまう。虐められっ子は先生や親や警察にチクって虐めっ子を加害しない限り被害者になれない法則
「ADHDは起業家に向いてる」という話、確かに多動性が起業において肯定的な結果をもたらす可能性が高い…みたいな研究はあるんだけど、それ以上に「睡眠困難/先延ばし/怠慢/不注意等の症状により普通の勤務形態に適応出来ず生き残る為にはそうするしかない」的な事情がある気がしてならないんだよな。
就活生が就活で最も参考にすべきテキストは「就活ノウハウ」ではなく、「人事担当者向けの採用ノウハウ」なんだよな。就活ノウハウはあくまで「採用する側の表向き/表に出せる見解」なわけだけど、採用ノウハウは「採用側の実際の判断基準」なので、それを知れば色々楽になれるというな。
自己肯定感の低いメンヘラ、往々にして幸せになりたいと思ってるけど、同時に「自分は不幸になる」と強固に認知してるので、幸せになりつつあると認知と現実がズレて不安になってしまうんだよな。結果、試し行為等を幸福が壊れるまで続けてしまい、壊れたのに何処か救われた気になってしまうというな。
自己肯定感の低いコミュ障、人間関係が乏しいので仲の良い友人が出来たら凄く嬉しがるけど、同時に「でも自分よりもっと仲良さそうな人がいるし…」と友人との温度感に怯えてしまい、迷惑に思われないよう変に距離感調整してモヤモヤしたりギクシャクしたりで、友人が出来ては消える傾向にあるというな
社会学者カール・レーフラーによれば「謝ったら死ぬ病」は、本人の問題というより環境によって作られるものだと結論した。氏はインターネットを観察した結果、謝った人間は「悪=叩いてもいい存在」と認知され無限に攻撃される現象を発見し、人間は謝ったら実際に死にかねない事が明らかになったという
ネットリンチでテラスハウス出演者の木村花さんが自殺した当初のTwitterは「私刑は如何なる理由があっても駄目」「思い遣りを」「自分の言葉が他者を追い詰める自覚を持とう」的な優しさに溢れていたけど、それから1年も経たない内にごらんの有様だよ!になるの、分かってたけど色々虚しさを覚えるな。
小さい頃は「いい子」と呼ばれがちだった発達障害人間、往々にして礼儀正しく敬語を使えるから目上/年上の人間から初め好評価される事が多いけど、砕けた話が出来なかったり堅実志向なのにミスが多かったりで徐々にぎこちなさが目立つようになり、最初の好評価も相まって視線が厳しくなりがちというな
能力の低い/社会不適合人間にとって「愛嬌」は確かに重要なんだけど、愛嬌を振りまくには「私は愛される人間だ」という安心感が必要なので、そういった経験の乏しい人間の愛想はどうしても「私を嫌わないで」という怯えに近いものになってしまい、色々と悪意を呼び寄せてしまうという罠があるというな
自己肯定感の低い人間、常に他者との関わりは「100%の正解」を求めてる為、他者を誘おうとすると「この誘い方は不自然か?」「馴れ馴れし過ぎるか?」「そもそも迷惑か?」と無限に逡巡してタイミングが通り過ぎてしまうので、能動的に人間関係を構築維持発展出来ず苦しむ羽目に陥りがちになるというな
ADHD人間に見られがちな「このままだと悪い事態になると分かってるのに普通に看過してしまう」的な生態、多分「未来予想が不充分」というより「未来予想し過ぎて確認を先延ばしてしまう」が原因だと思うんだよな。悪い事態に発展しそうな現状が怖過ぎて、それを確定=確認出来なくなってしまうというな
シンエヴァを見たオタク人間がブログ/note/Twitter等に、エヴァをフックに過去を振り返ってオタク活動を総括した自分語りを始める現象、個人的には卒業文集と呼んでるな