自己肯定感の低いメンヘラ、他者に対して多大な罪悪感と怯えを抱いているので、人間関係全般が感情次元では「面接」と化してしまうんだよな。それ故に何気ない雑談であれ「相手に気に入られなければ!」と強迫観念に襲われて緊張と焦燥から変な言動をしてしまい、後で羞恥に悶る羽目に陥りがちというな
発達障害人間の生き辛さ、往々にして「本人も何に困ってるか?分からない」が故な側面もあるんだよな。とにかく健常者とのズレや遅れは感じるものの、どこがどう違うか考えてる内に色々と置いてきぼりになり、気が付けば何も分からないまま8方塞がりの詰み状態になってるケースも少なくはないというな
ADHDの先延ばし癖とASDの「気になる事があるとそれ以外考えられなくなってしまう」が合わさると、「嫌なタスクを先延ばしたものの先延ばしてる事が心に引っ掛かり続けて消耗し、それによって何事にも集中出来なくなり、客観的には充分休んでるにも関わらず主観的には疲労 する」地獄が生まれるというな
自己肯定感の低い人間、往々にして他者に大切にされると居心地の悪さを覚えてしまう傾向があるんだよな。「自分は嫌われる」という過去の経験則で培った世界観と、他者から尊重されてる状況が矛盾して嬉しいにも関わらずソワソワしてしまい、いざ嫌われると悲しいにも関わらずホッとしてしまうというな
#世界自閉症啓発デー のマスコットキャラクターであるセサミストリートのジュリアの登場回は、ASDの主要な特性である ・感覚過敏/鈍麻 ・独特の身体感覚 ・拘りの強さ ・意思伝達の困難 等が描かれてるだけでなく、短い時間で対策や接し方まで踏み込んでいる凄い内容というな youtube.com/watch?v=uJEM_f…
小さい頃から「周囲に怒られないこと」を第1目標に生きてきた人間、もう「自分の意思や欲望を全部抑えて他者に合わせる」が習慣として身に付いてしまってるので、「自分はどうしたいの?」「将来の夢や目標は?」等と聞かれても「とにかく楽でいたい」以外の回答が思い浮かばなくなってしまうというな
発達障害人間は往々にして「叱責に弱いにも関わらず叱責されやすい」という難儀な性質を抱えているんだよな。それ故に就労してもまず第1に「失敗したらどうしよう?」「怒られたらどうしよう?」という恐怖ばかりが先に立ち、普通人間のように遣り甲斐や目標を見つける余裕がないというな。
真面目で怠惰な人間はヤバくて、怠惰だから課題をサボッたり面倒なことから逃げてしまうけど、真面目だからそれでマズイ事になっても誤魔化したり感情に訴えたりズルい手を使うこともなく「まあ自分が悪いし」と受け入れてしまう。真面目で怠惰な人間は処刑されてもジタバタせず、潔く首を出すというな
自己肯定感の低いメンヘラが自己肯定感を取り戻すには、他者から素の自分を受容されて「自分は世界に存在してもいいんだ」的な安心を得る必要があるが、そもそも自己肯定感喪失契機が他者からの拒絶/排除故に他者が恐怖の対象となっており、他者が必要なのに他者と接触出来ない循環構造があるというな
人間に嫌われたり見捨てられるのが怖くて神経擦り減らしてる人間は、海で泳ぎ方を知らず「1瞬でも手足を止めると沈んでしまう!」と溺れてる状態に近いんだよな。普通人間は「泳げばいいしそこまで深くもないやん」となるけど、彼等は泳ぎ方も深さも知らないので少しの不穏でパニックになるというな。
例えば「海で水に顔を30秒つけて」と言えば、大体の人間は余裕で出来るけど、溺れて窒息しかかってる人間は当然に「そんなこと出来るわけない!☓ぬ!」となる。貧乏や毒親や不遇な人間が努力出来ないのは、つまりそういう限界状況だからであり、目先の恐怖に対応するだけで限界になってしまうというな
雑談が苦手なコミュ障は議論するのがオススメ。雑談でコミュ障が躓くのは「目的が定まってない」「話題がポンポン変わる」的な自由度の高さが原因なので、同期との会話は苦手だが目上の人間には敬語キッチリで気に入られやすい=フォーマットがあれば適応出来るタイプのコミュ障は議論の方が上手くいく
コミュ障の人間は往々にして心の扉が「重たくてデカい1枚扉」なんだよな。普通は何枚もの扉を柔軟に開け閉めしてるけど、コミュ障は1枚扉なので対人スタンスが「本心を全く見せない」と「全て曝け出す」しかなく、極端から極端に走って盛大な事故と孤立を反復横跳びする羽目に陥りがちになるというな。
モラハラやパワハラや虐待加害者は往々にして自分の事は「被害者」だと思っているんだよな。自分が怒鳴ったり殴ったりしてる自覚自体はあるけど、本人的には「私にこんな事をさせるほど貴方は酷いことをした。本当は私だってこんな事はしたくない」であり、それすらも相手の責任と認識してるというな。
陰キャな故に「素の自分だと嫌われる!相手に合わせなければ!」と逆に社交的になるタイプもいて、1見すると明るく楽しく人間関係出来てるように映るけど、内心は「変に思われないようにしなきゃ!」と神経擦り減らしてるので、終わった後はグッタリしてるし人間関係が広がるほど色々病んでくというな
自己肯定感の低い人間、「自分は嫌われる/大事にされない」という強い世界観を持ってるから、好きに/大事にしてくれる人間が現れても嫌われる事を恐れて過剰に取り繕って演技したり、世界観と現実の不1致で認知不協和を起こしてしまい、嬉しいけど同時に何処かしんどさを覚えてしまいがちだというな。
陰キャの人間、基本的に人間と関わると消耗してしまうけど、人間である以上は寂しや人恋しさを感じる事はあるので、たまによく「人間と関わると病んでしまうけど人間と関わらなさ過ぎて病みそう」的なジレンマに陥りがちになるというな
陰キャの人間、世界に対する信頼感が薄い故にマズイ事態になっても他者に頼る事が出来ないし、学習性無力感から「抵抗すると苦しみが増えるため」と諦観しがちなんだよな。それ故に危機に陥っても即「まあ悪いのは自分だし…」と受容体勢に入るので、傍目には無気力で世を舐めてる生物に見えるというな
発達障害人間が「土壇場を過集中で乗り切った」経験を積み過ぎると、脳が「予定が遅れていても土壇場で過集中発動させれば大丈夫」と学習して先延ばし癖が悪化してしまい、気が付けば「土壇場に強い人間」から「土壇場の危機感に依拠してしか行動出来ない人間」が誕生してしまうので注意が必要というな
陰キャの人間は「自分は嫌われる」という世界観があるので、人間から好かれると「本性を知られたら失望される」「何か裏がある」「誤解されてる」と不安になるんだよな。逆に人間から嫌われるのは自分にとっては「正常」なので、辛いんだけど「やっぱり」と何処かホッと胸を撫で下ろしてしまうというな
発達障害人間には矛盾してるようだけど「コミュ力がないからこそ空気に過剰適応するタイプ」がいるんだよな。何処から何処まで自己主張したりNO!と言ったり相手を拒否していいか分からないが故に、自分を押し殺して只々周囲に迎合し、気が付けば「心を許せる人間がいない8方美人」が誕生するというな。
発達障害人間、往々にして叱責され過ぎた故に叱責や嫌われることがトラウマ化しており、常に「他者に不快感を与えず気を損ねない」が最大の関心事になるので、人間関係では相手と距離が縮まるほどに言動がギクシャクしてしまい、好きな或いは好きになってくれた相手とも段々と気不味くなってくというな
発達障害人間は情報処理に問題を抱えていることが多く、自身が嫌悪感を覚える情報を上手く処理出来ず、意識し過ぎて気分が沈んだり過剰に共感して疲れたりしてしまうので、ニュースやTwitter等を見て「しんどい」と思ったら少し距離を置くのがオススメ。自分の日常を守るのは別に逃げではないというな
陰キャの人間、往々にして様々な抑圧経験によって自尊心が摩耗してるので怒ったり悲しんだりが出来なくなるんだよな。「自分は誰にも尊重されない」と過去のアレコレで学習しているため、怒りや悲しみを覚えても「余計に馬鹿にされるだけ」と抑えられ半自動的に「曖昧に笑って誤魔化す」が出るというな
オタク文化が浸透して、もはやオタクコンテンツを愛好してる程度では何も言われなくなったけど、それは決して従来オタクと呼ばれていた人間の救いになったわけではなく、昔なら「オタク」等と呼ばれていた人間は、今は「陰キャ」「チー牛」等と称されるようになり地獄度は更に増してしまったというな。