まあなんというか…「萌え」を「黒人」に入れ替えても意味が通じるような状況になるとは思わなかったですよ。いや、昔からそうだったんだけど、社会の中で嫌悪感をぶつけてくる集団が替わった。 twitter.com/m_nsc/status/1…
頼むから「(表現に)落ち度もあったので」みたいな言い方で職業差別にも理由があるのだと思わせてしまうような発言は考え直してほしい(いくつか見た)
温泉娘の一件に限らず、表現規制の口実に使われる「この表現が女性の権利を侵している」という、一見関係があるように見えて何の根拠もない「関連付け」の印象論は、かなり危険なやり方なのだけど、どうやらやっている側はその自覚がないらしい。
ヤクザが決して直接要求を口に出さずに「分かるな?」と言うのと同じだなあ。そしてこれは過去に様々な差別や表現への圧力に用いられてきた由緒ある手法でもある。 twitter.com/iiduna_yutaka/…
フェミニズムが元々女性側から伝統の衣を被った権力側の社会構造と美意識に対するアンチテーゼとして生まれた背景を考えると、その一部が変質して権力側の手法を使い女性を含めた表現者とその表現を使おうとする人達に対して圧力をかける団体になったのは皮肉すぎる。
ここで忘れてはいけないのは「フェミニズム」がこういう思想ではなかった事。「フェミニスト(フェミニズムの信奉者)」の一部が本来の趣旨とはベクトルの違う方向に変貌した結果だという事。 そもそもは「男が決めた慎みなんてくそくらえ(ミニスカで足を見せて何が悪い)」という思想なのです。
温泉むすめの件で、オタクを貶めようとした作家が、実は関係企業と自治体を貶めていたことにやっと気がついたところを見た。自分より劣っていると認定したものを攻撃し続ける人生は辛い。
フェミニストがおかしいのではなく、フェミニズムをダシにして自分より劣るもの(オタクとその文化)を貶めようとする人間こそがおかしいのだという認識がさらに補強される。
自分より劣るものを設定するっていじめの論理なんですが、すごく楽しいことなんですよ。反撃されないという条件付きで。
アチョン法の事は決して他人事ではない。歴史の向きが少し変わっていたら、今頃アニメも漫画も壊滅していたかもしれないのだ。 twitter.com/nebusokuqchan/…
自分もこの一件で認識を切り替えた。 twitter.com/BARSERGA/statu…
あえてRTもしませんが、1ヶ月前の「日本は同調圧力で未だにマスクをしているが、進んでいるイギリスでは自分の考えでマスクを外している(ドヤッ)」みたいな出羽守ライターの記事は、今となっては虚しい。健康のためなら死んでもいい、みたいなブラックジョークを連想する。
自由を行使してマスクやワクチンを拒んだ人が、結果的に重症感染者となって他人の生きる権利を脅かす。これは本当に自由なのか?という現状。 twitter.com/tokophotoko/st…
自分はもう宮崎事件の頃から、「マスコミは平気で嘘をつく」と思っていて、あれから30年以上その確信は積み重なっていくばかり。もちろんそんな事はしないと戒めている人が大半だろうけど、そうでない人間が当たり前にいてその信用を踏みにじっている。 twitter.com/takakei1/statu…
日本でメガネキャラが主役レベルの市民権を得たのはアラレちゃんあたりが嚆矢かなあ。40年進んでますね(笑) しかも、魅力ではなく配慮というあたりにポリコレの限界が見える。 twitter.com/PKAnzug/status…
書店が失われた原因の多くはこのあたりにある。 twitter.com/yakeirh/status…
この書店側の無念を知ったのは自作の単行本を初めて世に出した時。地方の書店で売りたいのに手に入らないという声を複数ネット上で見つけた。動いてるはずなのに売りたい所に届かないもどかしさ。これが自分の本に限らないことは、以降書店員さんのブログなどを追いかけていくうちに分かってくる。
流通の問題は地方に限らず書店が潰れた原因の一つだと思う。結局15年以上経っても変わらなかった。
ネット世代でも通販でボタンを押して買う行為を「ポチる」と表現するのをご存知かと思いますが、まさにその原点は八奈見乗児氏の名アドリブにあるのです。 twitter.com/hX0sPCMUC8ztM2…
多くの方が言っていた「ポリコレの対象はエロだけでは終わらない」という危惧が証明されつつあります。この流れは時間差で日本にも上陸しようとするでしょう。 twitter.com/nmisaki/status…
なるほど、これが「社会的に食えなくさせる」手法なんですね。デザインもまだ発表されていないのに。 twitter.com/ase_itakura/st…
昨日立て続けに起きた海外在住の方の「日本のアニメ・マンガは〇〇だ」的な話題、どちらの御仁も指摘を受けた上でそれぞれの形で私は被害者アピールをしていて、こういうのは国内のアレな人たちと共通しているんだなあという印象。
「ガラパゴス」という単語を今どき侮蔑の意味で使う時代錯誤は置いといて(そもそも取り残されているならなんで海外で売れてんだよって話ですが) 海外のアニメ・漫画ファンに共通しているのは「自国じゃ観ることの出来ない絵や物語が見れること」が最大の価値なんですよね。
「思想を統一する」考え方って、リベラル的なものからは正反対のものだと思っていたのですが、なぜか国内のリベラル側にいると思っている方々はこれが好きなようで不思議でした。 欧米でのポリコレの原点が、旧来のリベラルへのカウンターとして生まれたという経緯を知ってなるほどと思った次第です。
漫画家が言いたいことってまさにこれだと思います。 twitter.com/h_yuzuki/statu…