本来ならミュージックステーションの時間で「私は時間と場所を提供したのでとりあえず座っているのである」という、席亭的態度のように思えた。何もエクスキューズがなければ当然司会は振るわけで、振らなかったのは「振るな。喋らないから」という意思表示が開始前からあったのだろう。
佐藤忠男さん、映画評論だけでなく、マンガ評論も多く書かれました。マンガ独自の表現論というよりも文芸評論や映画評論の方法を援用しての作品論でしたが、まともにマンガを評論しようなどという人がほとんどいない時代にあってその先駆者のお一人でした。
「『レッド』の執筆を通じて気付いたのは閉じた人間関係の中で有形無形の暴力が発生する構図/学校や職場でのいじめ、インターネット上の誹謗中傷もそう。意見が近い者同士で集まりどんどんラディカルになる」漫画家山本直樹さんが語る連合赤軍「言葉が命を超えてしまった」 chunichi.co.jp/article/440895
チャンピオン、掲載号はほとんど処分してしまいましたがさすがにこれはとってあります。普通こういうのは発表前に事前連絡があると思っていたら、この号を発売日に書店で読んで初めて知り驚きました(その日のうちに電話がありましたが) twitter.com/Acky_phoenix/s…
よくわからないけど、とりあえず便乗して宣伝しとこう(とり・みき/田北鑑生『ダイホンヤ』より)
これ、大変珍しい「邦画の吹替版」が収録されている。元のセリフは監督のこだわりで英語だったので放送用に日本語版が制作されたのだ。正直聞き取りづらかった原版より高嶋政宏の演技力も向上していて、さらにカットによってテンポよくなったという人もいて、テレビ版のほうが評判よかったりします。 twitter.com/dreamplanet_j/…
プロの作家である以上「モチベーションが…」とかいうのは甘えの言い訳にすぎないと理解はしているが、しかしアーティストでなく職業作家でありたいと思っている自分でも、いったんポッキリ折れると昨日までの集中力が霧散し一コマも描けなくなるときはある。工業製品を作っているのではないからね。
おっしゃるとおりですね。 twitter.com/HtThinker/stat…
クラブハウスやスペースが出てくるたび人は本当にお喋りが好きなんだなあと思う。できれば一言も発することなく1日を終えたい私にとって21世紀でいちばん喜ばしかったのはメールが電話に取って代わったことだった。ツイッターが気に入ったのも最初は限られたテキストだけのツールだったからだ。
テレビのフリップもオジギビトすらもいらすとやさんの素材が増えてきた。やがて行き着くは世界中の画像がいらすとやさんになってイラスト的熱死を迎える世界。未発見だったバラード幻の終末世界シリーズ。
全然本題と関係ないのだが、ずいぶん遅くまで高野連は密教方面の団体だと思っていた。野球よりそっちのほうへの興味が先にわいた子供だったので。
物心ついて最初に読んだ安孫子先生メインの作品は『シルバークロス』でした。藤本先生からSFを、安孫子先生からはホラーをたたき込まれた。 【訃報】藤子不二雄Aさん 自宅で死去(JNN) #Yahooニュース news.yahoo.co.jp/articles/40220…
膨大なビデオテープの分類・整理が終わりかけた頃世の中はDVDの時代になっており、その整理が済みかけた頃今度はブルーレイに、その整理が終わらぬうちに配信の時代に突入している。気がつけばパッケージメディアも形態が変わるたびに結局昔観た同じタイトルを何度も買い直している(音楽もまた)
すべての番組は同局の別の番組の番宣である、ということになってしまって久しいが、とくに近年のNHKは民放よりそれが露骨のような気がする。
「あなたの声は波形で見ていますから、波形とずれたらダメなんです」 「みんな怒って帰っちゃうんだよね。約束して、絶対に帰らないって」…声優・日髙のり子が“地獄の苦しみ”を味わった、ETC音声の収録裏話 a.msn.com/01/ja-jp/AAW1E…
私は二回くらいやったことあります(フキダシを入れたのはせめてもの良心だが潔くなかった) twitter.com/dennou319/stat…
A先生と『プリニウス』作者たちのお写真、これしかなかった(素人か) twitter.com/THERMARI1/stat…
いつからパロディはパロディ元をいちいち記載するのが常識、なんて非常識な決まりになったのか。
まあ「パロディ」の意味自体が全然変わってしまったのだろうな。
私の感覚では「これは◯◯のパロディです」なんて作者がわざわざ同時に断るくらいなら、そんなパロディはやらないほうがいい。
上まではパロディをする側の立場での発言でした。以下はされる側の考えです。パロディや二次創作と謳っていようがいまいが(あるいはオマージュやリスペクトやファンなどと書いてあろうが)元作者にとっては関係ありません。盗作と思えばそのように対処したり怒ればよいのです。
模写漫画家協会はいざとなったら代表者として田中圭一さん一人を人身御供に差し出して、あとはトンズラする準備ができています。 twitter.com/ModsParka/stat…
一周回ってパクリとパロディの違いをご教示してくださる親切な人が多くて感謝している。あとパロディとかオマージュとか細かい定義で分類する考えもあるが現実には境界はグラデーション的で曖昧だし、実作者の実感としては同一作品の中に悪意と敬意の二律背反する気持ちを含んでいることのほうが多い。
思った以上に拡散されてしまったが、原典ありきで相撲を取る形態である以上、あまり堂々と物申すことでもない。唐沢なをきさんは「ご法度の裏街道を歩く渡世なんだという意識は常に持ってないと」と座頭市のセリフに例えたけどまさしくその通りだ。パロディにされるような作品のほうがずっと偉いです。
ブラタモリ、ミッドタウンの公園はナレーターにゆかりの深い場所だが、さすがにそこはいじらないのね。