あなたは自由です。どこにでも行けるし、何をしてもいい。あなたを束縛しているものは、あなた自身なのです。自分を解放してあげよう。
誰かに救いを求めていようでは、いつまでも救われることはない。自分を救えるのは自分のみ。人は自分の為に生きているのであり、他人を幸せにする為に生きているのではない。幸せは自分で勝手になるものであって、他人にしてもらうものではない。幸せにしてもらおうとしていれば、利用されるだけです。
矛盾があるから人間なのであり、矛盾がなければ人間ではない。完璧にはなれない自分を受け入れてあげましょう。完璧ではない自分を責めていたら、永遠に自分を許すことはできません。
嫌われることを恐れる必要はありませんが、嫌われようがどう思われようが、好き放題に生きていいということではない。時には嫌われることを恐れずに、自分を貫く勇気を持つことが必要ということです。
褒められたいだけなら、そんな努力はやらない方がいい。心の底からやりたくてやっている人には絶対に敵わないから。
生きることは思考することではなく、行動することです。思考というのは時として、行動しない言い訳を考える現実逃避にもなる。
あなたは他者の期待を満たす為に生きているのではない。そして、他者もまた、あなたの期待を満たす為に生きているのではない。自分と他人の課題を区別して、自分の人生を生きましょう。
幸せにしてくれる「誰か」を待ち続ける姿勢は、まるで他人を自分を幸せにする為の道具としか見ていない。幸せになりたいのなら、まずは自分が他者を幸せにできるように尽くすことです。
「何者かになりたい」と言う若者は、他人から特別扱いをされたいだけで、本気で何かを成し遂げたいとは思っていない。幸せになりたいのではなく、幸せだと思われたいだけであり、成功したいのではなく、成功していると思われたいだけなのです。
マウントを取ろうとする傲慢さは愚かですが、謙虚さを演じることで、自分を良く見せようとすることも愚かです。
自分の価値観を押し付けてくる人は、あなたのことを自分が幸せになる為の道具としか思っていない。そんな人のことを大切にしてあげる必要はありません。
「かわいそうな私」を嘆いたり、「悪いあの人」を責めていても何も変わらない。あなたに変えられることはあなた自身のことのみです。自分に落ち度がないように思えても、無自覚に不幸になるようなことをしていないかどうか、自分を振り返りましょう。
裏切ってきた人のことを憎み続けていたら、疲れるだけ。許してあげましょう。そして、もうその人のことは信じなくていい。
自分を不幸をまるで自慢するかのように語る人は、過去の不幸を武器にして周囲から大切にしてもらおうとしています。思いやり搾取をされるばかりですし、突き放してあげた方が本人のためにもなります。
あなたを嫌う人は、あなたはあなたが思っているほど、あなたのことなんて嫌ってもいなければ関心も持たれてはいない。単純に、あなたが自分にとって都合が悪いから嫌いだと言っているだけなのです。嫌われたと感じても、そんな人に合わせて自分を変えてあげる必要はない。
「我慢できる」ことが大人なのではない。我慢せずに話し合ったり、解決に向けて冷静に対応できることが大人なのです。
多くの日本人には自我がない。他人と自分の区別ができず、他人からどう思われているのかを自分の存在意義だと思い込んでいる。日本人は他人の視線に映る自分にしか興味がなく、現実の自分に興味がない人が圧倒的に多い。とりあえず周りに合わせて思考停止して、流されるままに生きている。
露骨に嫌な態度を取られても、自分を責めてはいけません。どんな理由があろうと、不機嫌な態度を出す人の方が、幼稚でどうしようもないない人です。
他人にどう思われるのかより、自分がどうしたいのかを優先していい。批判したい人は何をしても批判し、あら探しする人は何をしてもあらを探し出すからキリがない。自分に嘘をついてまで、他人に合わせて自分を変える必要はない。
うつ病で苦しんでいる人は、適当に生きることを自分に許してあげてください。人生には意味なんてありませんし、暇つぶしに過ぎないのですから。
無駄に反論してくる人は、自分に自信がなくてあなたを否定したいのです。あなたを否定することでしか、自分を正当化できない憐れな人なのです。許してあげてください。そして、無視してあげるのです。
あなたの悪口を言う人は、あなたのことを脅威だと思っています。どうでもいい人の悪口を言う人はいない。つまり、あなたはその人にとって大きな存在なのです。
わざと嫌がることをしてくる人は、精神構造がおかしいのです。嫌がらせをすることでしか、自分をアピールすることができないかわいそうな人です。相手にしない方が、お互いのためになります。
他人にやったことも、してあげたことも、そのまま自分に返ってきます。人間は自分の行為と言葉の主語を区別することができないので、人にしたこと言ったことは自分にしたのと同じことになります。誰も見ていないところでも、自分の行いや言葉には気を付けましょう。
誰に好かれるとか嫌われるとか、そんなことで心を動じさせなくていい。自分が自分を好きでいられれば、それでいいのですから。