自分がつらい思いをした分だけ、他人も同じくらいつらい思いをしても仕方ないと考える人は人間性に異常がある。つらい思いをした分だけ人に優しくなるからこそ、つらい経験はあなたの糧になる。
自分は人を大切にしたいと思ってるのに、人は自分を大切にしてくれないと思っている人は、自分が相手に依存して負担をかけている事実を自覚した方がいい。他人はあなたがあなたを思うほど、思い遣ってくれる訳ではない。
シンプルな話「やめてください」と言っても嫌なことをしてくる人とは縁を切りましょう。
本当に悪い人は自分が「悪い」と自覚していても、自分は「正しい」と自己中心的な理屈で正当化する人です。自分の非を認められない人からは何がなんでも逃げ出してください。分かり合おうとしたり、戦ってはいけません。
前向きになれないのではなく、前向きになりたくないのです。不満があっても現状維持をしていた方が、これ以上に傷つくことがなくなるからです。
自分の話ばかりする人と、自分の聞きたいことばかり聞いてくる人は似ている。自分のことにしか関心がないからです。
人を信じられないのではなくて、騙された時に傷つくことを恐れているのです。
怒らない人は優しいようでドライな人です。怒らないということは面倒なことを避けているだけで、あなたと本気で向き合おうとは思っていないからです。
すべての悩みは「こうあって欲しい」という執着心から生まれます。自分の中の執着心を手放すことで、人は悩みから解放される。
不安が的中することはほとんどないのに、たまに的中するとまるで不安は全て的中するかのように思えてさらに不安になる。不安が的中したのはそれこそ奇跡のようなものです。それに、的中してもこれまで通り何とかなります。不安になることは無意味なのです。
話の分からない人と分かり合おうとしても時間の無駄。理解する努力をしない人とは、なおさら分かり合おうとしてはいけない。分かり合えない人もいるさって割り切ることも必要です。
心配しなくていい。 不安の9割は的中しない。 なるようになります。
焦ったところで結果は変わらない。焦るよりも着実にやりましょう。焦って間違えるよりも、着実にやりながら効率化させるのです。
努力しても無駄に終わるかもしれないなんて悩んでいるようでは、結果すら出せない。結果が出るか出ないか分からない中で、とにかく結果を作ることにがむしゃらにならないのなら、少なくともその努力は報われることはありません。
悩みを解決する為にすべき事が分かっているのに、できないと言い訳をするのは甘えです。まずは動くこと。動けないのなら、ずっと今のままです。
他人のせいにしていたら、それが本当に他人に落ち度があるとしても永遠に他人に不幸にされ続ける人生を送ることになる。自分のせいにして、自分にできることをし始めると一気に無気力感から自由になれます。
生きづらさを感じている人は、自分が心から送りたい人生ではなくて、親や世間から刷り込まれた「他人の人生」を生きている。自分なりの価値観と感性に合う生き方を思い切ってしてみると、生きづらさは驚くほど感じなくなります。
「できない」と思い込んでいることの9割以上は、本当にできないものではなくて「やるかやらないか」の問題。
論破したところで、相手の考えは変わらない。相手の考えが気に入らないのなら、もう距離を取ることです。
人が離れていく理由は「怒り」ではなく、「諦め」の気持ちからです。怒られているうちは、まだ関係は修復できる。
他人の失敗を笑う人は、自分が失敗した時に笑われるのが怖くて行動できない人です。
苦しんでいる人に絶対に言ってはいけないことは「正論」です。正論よりも共感が人の苦しみを救う。
批判されるのはあなたが劣っているからではない。批判を受けるくらいにあなたは大物なのです。どうでもいいような人のことは、わざわざ批判する対象にすらならない。
嫌われることは悪いことばかりではない。嫌われるからこそ、人は自由になれて自分らしく生きられるのですから。
発達障害のように先天的な特性は治すことはできなくても、努力によって改善することはできる。治らなくても、工夫をすることで問題にならないようにすることもできる。逆にその特性を活かして活躍することもできる。いかなる障害も、それを自分がどう捉えるのか次第です。健常者だって完ぺきではない。