好かれる人は自虐話が多く、嫌われる人は自慢話が多い。
すべての人に好かれることも、嫌われることもありえない。自分の周りの人達が自分を嫌っていたとしても、それは世界人口0.01%以下に過ぎない。好きか嫌いかに関わらず、何となく多数派に流される人もいる。何を言っても、何をしても、あなたを好きになる人もいれば嫌う人もいる。自分らしく生きよう。
話の分からない人に分かってもらおうとすることほどつらいものはない。分かり合えない人もいるのだと諦めて、分かり合える人を大切にしよう。
誰かのせいにするのは簡単ですが、誰かのせいで不幸なままで生きるのはつらいことです。被害者でいることで未熟な自分を肯定するよりも、自分のせいにして幸せになる努力をしましょう。
裏切られたということは、自分にも裏切られるような非があったということです。裏切ってきた人を憎み続けて時間を無駄にするより、自分にも非があったと考えて次に進みましょう。
毒親は自分が毒親である自覚がない。毒親は常に自分が被害者であり、子供は自分の幸せの為に勝手にちゃんと育ってくれるべき存在だと思い込んでいるからです。毒親の呪縛から解放されるには、親からの愛情を完全に諦めるしかないのです。
「むずかしい」って言ってたら、何もできなくなります。「やってみよう!」だけでいいんです。
みんなが言っていることが正しいのではない、自分が正しいと思うことが正しいのです。
他人と自分を比較して、自分は劣っていると感じるのは思い込みです。誰にでも長所も短所もあるものです。他人と自分を比較してネガティブになる人は、自分のことを嫌いたいだけなのです。
過去に何があったのかは、これからのあなたの未来には何の関係もない。あなたの未来を決めるのは、今のあなたがどう生きるのかで決まるからです。
何が起きても大丈夫。これまで通りに何とかなりますし、上手くいくと思っておけば上手くいくものです。思い通りにならなくても、上手いことはいくものです。
わざわざ挑発的なことをしてくる人は、普通にしていても自分なんて相手にされないと考えがちな自信の無い人です。小学生の男の子が、かまって欲しくて好きな子に意地悪するのと同じ心理なのです。挑発されても相手にせず、無反応でいましょう。
悪口が好きな人は、自分を高める努力ができなくて他人を見下すことしか能がないのです。他人をバカにしていれば、ダメな自分と向き合う必要がなくなるからです。そして、どんどんダメになって知らない間に自滅しています。悪口を言われても、悪口を言い返さなくていい。
他人が自分のことをどう思っているのか、どれだけ気にしたとしても分かるはずがない。なぜなら、あなたに分かるのは「他人はきっとこのように自分のことを思っているはずだ」という、個人的な意見に過ぎないからです。
嫌われて悪口を言われるのは、みんながあなたに期待をしているからです。どうでもいい人の悪口を言う人はいない。悪口を言われているうちは、まだまだ大丈夫です。
嫌われないようにして、苦手な人に好かれる方が精神的にはつらいもの。嫌われるより、苦手な人に好かれて執着される方がよっぽど疲れるし精神的に追い込まれます。
無理に好かれようとして自分を変えるくらいなら、嫌われてしまおう。嫌われる勇気を持たないと、自分の人生は他人の人生になってしまいます。他人に嫌われないように違う自分を演じていたら、他人が求める自分になってしまいます。自分がなりたい自分になれればそれで十分です。
一緒にいてテンションを下げてくる人とは関わってはいけない。人からの影響は絶大なもので、良くも悪くも人生を大きく変えてしまいます。
嫌われることを過度に恐れる人には、見捨てられ不安が隠れている。自己評価を他人からの評価によって決めてしまっていて、他人からどう思われるのかによって自分の価値を決めてしまっているのです。自分の価値は自分で決める自分の課題、他人の課題ではありません。
つらいことがあっても前向きにがんばろうとする人こそ、他人からの応援が得られる。誰かに何とかしてもらおうとばかり考える人は、誰からも応援されることも助けられることもない。
他人に求め過ぎれば心を病む。他人に求めるよりも、自分が変わろうとすれば心は病まない。
「余計なひと言」さえなければ、人間関係が破綻することはない。人間関係がこじれるのはいつも「失言」からです。
悪いことをしたと思ってもそれを認めようともせず、謝りもしない人とは関わってはいけない。道徳心が壊れてしまっている人とは、関わってはいけないのです。
つらい時にそばにいてくれない人は、大切にしてあげようとしなくていい。つらい時にそばにいてくれる人を大切にしましょう。
不幸な人に同情することは「あなたは不幸である」と刷り込むようなものです。何もしてあげられないのなら、せめて他人の不幸に注目しないようにすることも思いやりです。