感情的に取り乱している人には、何を言っても無駄です。何を言っても火に油を注ぐばかり。そんな時には無表情で黙り込み、ジッと相手の目を見つめることです。バツが悪くなって、自分が感情的に取り乱していることを自覚するようになります。それでもキレてくるのなら、もう関わらない方がいい人です。
何も恐れることはない。なるようになるし、どうにもならないことは、そもそもどうにもならないのです。過去に執着せず、未来を恐れずに今を生きましょう。人は今にしか生きられないのですから。
他人が背負う重荷を、一緒に背負ってあげる必要はありません。それぞれの人生の責任は、最終的には本人しか背負えない。自分にできることは、自分のペースが狂わない程度に手助けしてあげることのみ。
誰にでも長所も短所もあるように、誰にでも強いところもあれば弱いところもある。自分は臆病だとか、弱いと思う必要はない。
他人からのバカにされることを恐れる人は、普段から他人をバカにする癖のある人です。自分が人をバカにする人間だから、他人も自分をバカにするはずだと被害妄想を持つのです。
他人から受け取った無償の愛に文句を付けたり、不満を持つようでは、いつまで経ってもあなたは不幸なまま。不要なら断ればいいだけですし、他人はあなたに優しいする義理も義務もない。優しくしてもらえただけありがたいと思って、前向きに生きてください。
他人から認められることを目的にしていたら、自分が本当にやりたいことはできなくなる。他人に認められることを目的にした、他人の人生を生きることになるからです。自分の人生は自分の為にある。
障害があることは悪いことじゃない。 障害者であることにあぐらをかき、「無能な自分」を正当化して、甘えることが悪いことなのです。
勝っても負けてもどうでもいいような小さなケンカに勝つよりも、自分の本来の目標のために負けておく方がいい。
急ぐことと焦ることは別物。
風俗嬢は立派な職業の一つです。職業に貴賎はない。こう言うと「風俗で働く女性の中には、働かざるをえない事情がある人もいるのにそれはない」と反論を受けることもありますが、やりたくない仕事をやっている人の方が世の中は圧倒的に多いのに、勝手に憐れむのは失礼極まりない。(続く)
他人に好かれようとすることは、他人にとって都合の良い人になろうとしているのと同じこと。何をしようと、自分を嫌う人もいれば好きになる人もいる。好かれようとするよりも、他人に貢献しようと考えてみよう。
弱くたっていい。 あふれた涙のぶんだけ、あなたは必ず 強くなれるからね。
人はみんな自分が幸せになる為に生きていて、他人を幸せにする為に生きている訳ではない。他人に期待し過ぎず、他人に遠慮せずに自分のやりたいように生きたらいい。わざと他人に迷惑をかけたり、法を犯すことさえなければ何をしてもいいのです。
メンヘラとは、他人に求め過ぎている人のことです。
周りの人達から受ける影響は絶大です。自覚のないうちに、あなたは周囲の人達の精神状態の影響を受けています。心の健康を保つには、ネガティヴな人を避けて、自分もネガティヴな態度を出さないようにして過ごすことが一番効果的です。
自分から前を向こうとしていない人を助けようとすれば、足を引っ張られるだけでお互いに共倒れするだけです。時には情けをかけずに切り捨てることも、人の為になるものです。情けは時に人の為ならず。
生きた長さよりも、何をしてきたのかの方が重要です。長く生きているから多くのことを知っていて、立派な人であるなんて考えてはいけない。経験の多さは優秀さとはまったく無関係です。
不運も幸運も「運」である以上は、偶然でしかない。必然的な努力を積み重ねれば、必然的に必ず上手くいく。努力はあなたを裏切らないのです。大丈夫、やればできる!
大丈夫、何とかなる。 これまでだって何とかなってきたのです。次もまた何とかなる。
誰に好かれようと嫌われようと、それはあなたの存在価値とは無関係。他人が自分をどう思うのかは他人が決める他人の課題。あなたの存在価値は絶対的なものであって、世間体によって決まるものではない。
失敗の経験がない人は、人の痛みを知らない。痛みを知らない人は、本当の幸せを理解することはできない。失敗は重ねることで、人としての深みと幸せが得られるものです。
努力している人を笑うことは、最低なことです。努力していないあなたよりは、恥をかきながらも努力してる人の方が何倍も偉い。
幸せになるのに条件はない。 今すぐ幸せになってしまえばいい。 幸せは自分に「幸せになること」を許可すれば今すぐにでもなれる。
必死にがんばってるのに、なぜかうまくいかないのは他人や世の中への感謝が足りないからです。