他人や環境のせいにして、被害者意識に浸っているうちは気楽です。自分と向き合うことを避けられるからです。でもね、他人との関係を変えたいのなら、まずは自分から変わらないと何も事は進みません。
今の自分だからこそできることに全力を出せば、必ずうまくいきます。たとえ世間的には不利だと見なされることを抱えていても、それを強みに変えることは自分次第でできる。成功するまで続けていれば、必ず望んだ幸せを手に入れる方法は見つかります。
「できる人」だと思われていると、ほんの少しのミスで大バッシングを受けます。ちょっと抜けてるくらいが丁度いい。
すべての苦しみは、悩みそのものではなくあなたの中にある「執着」から生じる。「まぁ、いっか!」、「今から何ができるかな?」と、現実を受け入れて、「これからできること」という未来に意識を向けることで心は落ち着きます。複雑そうに思えて、実はものすごくシンプルなのです。
「生きやすさ」は、「やらないこと」をどれだけ決めて断捨離できるかどうかで決まる。あれもやらなきゃ、これもやらなきゃなんて義務感が、生きづらさのもと。
不機嫌な態度を取ることで、その場では気を遣ってもらえるメリットがあることでしょう。しかし、長期的には失われる信頼の方がメリットを上回るデメリットです。不機嫌になることは、あなたの身を滅ぼします。
幸せに生きられるのかどうかは、どこまで開き直れるのかどうかで決まる。何もむずかしいことはない、楽しめればそれでいいのですから。
好かれようとして自分に合わない人を引き寄せるくらいなら、一部の人に思いっきり嫌われるくらいの方がいい。みんなから好かれることはありえないから。
好かれようとして八方美人になっても、八方美人を嫌う人もいる。何人かには嫌われるものだと割り切った方が生きやすい。
やられてもやり返さないこと。悪口を言われても、悪口を言わない。暴力を振るわれても、暴力を振るわない。傷付けられたからってやり返したら、それは自分で自分を傷付けているだけだ。同じレベルになってはいけない。どうしようもない人は相手にしないことです。
ほんのちょっとした気づかいで、救われる人もいる。他人への優しさは忘れてはならない。
他人に嫌なことをされても、自分まで同じことをする必要はない。嫌なことをされることよりも、嫌なことをされて自分まで他人に嫌なことをしてしまうようになることが人生を壊す。
人は誰しもが、一度や二度は他人に対して不誠実なことをする過ちを犯す愚かな生き物です。しかし、それを心から反省して、誠実であろうとする姿勢があればそれでいい。
他人に嫌われたくないと思っていれば、自分に嫌われていきます。
話の分からない人と分かり合おうとしても時間の無駄。理解する努力をしない人とは、なおさら分かり合おうとしてはいけない。分かり合えない人もいるさって割り切ることも必要です。
悪口を言われたら、あなたがその人たちにとって脅威だということです。どうでもいい人のことを悪く言う人はいない、なぜならどうでもいいからです。悪口を言ってくる人は、あなたの欠点を見つけて非難することで、自分の方が優れていると思い込みたいだけなのです。悪口を言うことしか能がないのです。
話し合うのでもなく、批判する人は自分は正しいと思い込んでいる。批判してくる人は自分の考えを変える気なんてサラサラない。分かり合おうとか、分かってもらいたいと期待するのが間違い。離れるだけでいい。
心の中で思っていることは、無自覚に表に出てきているものです。そして、意識していなくても相手に伝わっている。心の中で思うこと一つひとつも、言葉にするのと同じくらい大切にしましょう。
人間は他人にやったことは都合良く忘れるのに、他人にされたことはいつまでも根に持つ身勝手な生き物です。人を許そう、あなたも許されてきたのだから。
人の心の深読みはやめよう。「嫌われちゃたらどうしよう…」、「うざがられてかないかな?…」って考え始めたらキリがない。相手が自分をどう思おうと、あなたに人を思いやる心があるのなら、あなたは必ず最高の人間関係に恵まれて、幸せになれるのです。何も心配はいらない。
失敗をしたのは過去の自分であって、今の自分ではない。一度、努力して失敗した経験がある人は、再び挑戦したら成功する可能性の方が高いのです。
自己中心的な人はナルシストではない、自己肯定感が低いから他人のことよりも自分にしか関心が向かないのです。
他人に言った言葉は良いことも悪いこともそのままキレイに自分に返ってきます。日頃の言葉遣いと他人への思い遣りで、人生は信じられないほど変わる。
感謝を知らない人は、苦難の人生を送ることになる。感謝を知っている人は、幸福な人生を送ることになる。
考えても仕方のないことを、考えないようにして動いてみる。これだけであなたは成長できます。