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人間は社会を作り子供を育てる動物です。子供は教育を受ける立場、大人は社会を作る一人として責任を持つ立場。50歳と14歳は、社会的な判断力も責任も当たり前に違います。50歳と14歳が同意性行などと国会議員が公に発言することは、異常でしかないと私は思います。
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マリエさんの告発。例えば、欧州でも性差別も人種差別もまだ根強いですが、差別をなくそうと行動する人が男性や白人など差別側の立場に多くいます。MetooやKutooも同様ですが、今回の問題に対して男性という立場からの動きがあまりに弱い点に、芸能界及び日本社会の差別への意識の低さを痛感します。
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例えばサッカーが全人口の半分にしか許されていなかった星で、もう半分もプレイする事が許されたとして、ルール等はそのままにただもう半分を受け入れる事は平等ではありません。優位性に不平等があるのは誰にでも分かります。同様に、差別撤廃とは、だた被差別者を受け入れるという話ではありません。
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選択的夫婦別姓が未だ実現しない日本の現状は、日本の決定層に如何に多様性がないかを表しています。言い換えれば、国もどんな組織も多様性を欠いた決定層を置くことが如何に危険かを表しています。日本のジェンダー問題は選択的夫婦別姓の先にまだ山積みであり、足踏みする余裕なんて全くありません。
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子育てをしていない人だってベビーカーを押していない人だってみんな大変、それは当たり前です。みんなそれぞれの人生を必死に生きているのだから当たり前です。しかし、それは世界のどこの地域でも共通です。違いは、社会として子供や子育てのことをどう見ているのかということだと思います。
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家事や育児について、今までやってなかったスキルのない自分いきなり始めても云々といつまでもやらないのに、何歳までに転職すべき、幅広いスキルを身に着けるべき、迷ったらまずは始めてみるべき、などと仕事に関しては当り前のように新しい事に前向きな男性を何人も見て来ました。
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これは「満足すべき生活」の強要であり、政府の人々への見方が現れていると思います。こちらオーストリアの児童手当は、所得や子供の年齢や数また家族状況等により個々に額が決まっています。日本で技術的にそれが出来ない理由はありません。日本の育児関連の制度には、納得いかないものが多すぎます。
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私はこの日本の子供や子育てに冷たい風潮はとても悲しい。他人を思いやる、日本にはこの素敵な精神があると思いますが、この精神が、子供また子供を育てる大人が他の大人を思いやるという一方通行にならず、大人が子供を思いやるという方向に働くことをもっと当たり前にしていきたいなと強く感じます。
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ここまで明白に辻褄が合ってない中で、例えば高い給与を得たり出世したり社会的に優位に立ったとしてどう感じればいいのか私には分かりません。変な例ですが、世界大会と称しているのに世界の半分の地域しか参加が難しいサッカー大会に出て目指せ世界一だなんだと騒いでいるように感じてしまいます。
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恵まれた立場にある人に社会の事を考えるべきと言うと、その人達だって辛いこともあり頑張ってる、といった見当違いの返事が来る場合があります。日本では、社会を考える事はまるで付加的な奉仕のような認識があると感じますが、社会で生きる人が社会の事を考えない社会が持続できる訳ありません。
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ポルノの表現の問題も、セックスの合意の問題も、それが差別にあたるとの指摘をされたにも関わらず、差別に当たらない別の道を探す事もせず今までの方法で性欲を満たし続けようとするのであれば、それは社会に生きる一人の人間として単に怠慢であり傲慢です。言い訳せず、最低限の努力をしましょう。
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よく差別を訴えた時に、被差別側にそれ受け入れている人がいるんだから問題ないと差別側が反論するケースがあります。例えば、これは女性差別にあたる表現だと指摘すると、女性にも嫌がっていない人がいるから問題ないと反論したりします。しかし、この反論には極めて大きな誤解が含まれています。
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都立高の合格点数に性差がある件、私立の女子校が多いから都立高の女子枠が少なくなってるのだから当たり前、という謎の論理でこれは差別ではないという声が少なくないですが、まず、性別によって枠を決めている公立校の存在が当たり前になっている日本の現状は世界では全く当たり前でありません。
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日本政府はいま、福島原発の処理水の海洋放出を決定しようとしています。これは、処理水ではありますが、事故前ではありえない量の放射線物質を含んだ汚染水です。冷却作業はこれからも長期に渡り続くため、これから長きに渡り日本から相当量の汚染物質が海洋に放出され続ける事を意味します。
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海外留学なんて必要なくてオンライン授業で、という話があるようですが、日本という海外の情報が入り難い国では特に、海外で色々な人と話し現地を五感を通じて見る事は貴重な経験になると思います。仕事でですが、米国もオーストリアも出来る限り調べてから行きましたが、住むと印象は全然違います。
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私は吃音障害を抱えていますが、最初にカミングアウトできたのは海外に出てからの国際会議の場でした。その時の反応に勇気付けられてこちらでとても過ごしやすくなりました。しかしその後、日本の会議でカミングアウトしたら場が凍りつき地獄のようでした。その行為を批判する人もいました。
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インボイス制度にしても税制度そのものにしても、日本の文化も技術も経済もフリーランスや個人事業主や中小企業等が支えている割合がものすごく大きいのに、制度としては大企業や政府に寄りすぎており、結果として今の日本は「弱者が搾取されることで成立する国」となってしまっています。
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感情の抑えが効かなくなった時に、以前より他者への愛情や尊重を前に出すような中高年の方々もたくさんおられます。潜在意識がどこにあるかが大切で、高齢化が進む日本社会を誰もが生きやすい社会にする為にも、大人も含めて、差別や多様性に対してなど人権意識の改革また教育が必要だと強く感じます。
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そもそも社会的優位性や地位や勝敗やお金などの価値観にも違和感は強いですが、差別は良くないとか言葉の問題ではなく、性別や出身地や障害などの背景によって明白に辻褄が合わないことが多い社会は、そこを無視したとしても結局、色々と不自然で無理がある皆が生きにくい社会なのではないでしょうか。
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フェミニストがアラフォーアラフィフだと否定的に茶化す意見をよく見聞きしますが、雇用機会均等法などの法整備にも関わらず差別がなくならない不条理に直面してきた方々が差別を訴える事を茶化す意味も、差別が続く現状にも関わらずより若い世代は訴えないはずと考える論理も、全く理解できません。
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履歴書の性別欄をなくす動きに、トランスジェンダーの人の為にそんな事したら人事が性別が分からなくて困る、とか支離滅裂なパニックになる人が少なくないようです。世界の様々な地域ではもう当り前ですが、ジェンダーバイアスがある社会だからこそ必要な対応だという点への理解が広まる事を願います。
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もっと言うと、一人は私の妻で、現在のキャリアで心から尊敬できる仕事をしていますが、何度か記事にも書いていますが、その中でも多くの差別を受け苦労しています。もう一人は、出産後に育児との両立に苦しみ、会社を辞め、現在はキャリアの再スタートに苦労しています。
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多様性を受容する社会は単純に多様な可能性に溢れる社会、自由度の格段に高い社会です。表現もこれまでの偏りがなくなり格段に多様な表現が可能になります。今まで閉じこもっていた中ではなく、海のように広がる外への自由、ここへの視点がないので、多様性を考えることを逆に不自由と感じてしまう。
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多様性のある社会は、何もしないで実現するものではありえません。例えば女性差別が当たり前の社会で、男性がいつも通りに自分の事だけ考えて生活していて、差別がなくなる訳ありません。どんな差別も格差も同様です。今は、多様性の無い、自分と違う誰かが自分のままで生きていけていない社会です。
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それが分からずこの言葉を使っている場合もそれを分かっていてあえて悪意で使っている場合もあると思いますが、いずれにしても、差別とは何か犯罪をなくすにはどうすべきか、つまり社会をどうしたいか考えるいう社会を作らないと生きられない人間にとって最も大切な部分を軽視すべきではありません。