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個々が、全体、つまり社会や政治また世界情勢に関心を持ち意見を持つという民主主義に国際社会の基本を見直し、相応のリーダーを求める、全てはそこからだと思います。そして今まで課せられていた自助への過剰な強要が違う方向に向けば、世界でも新しい素晴らしい力が発揮できると期待しています。
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海外で移民として受け入れてもらいサポートしてもらう事は当然なのに、海外から来た人やその子供は移民として前向きに受け入れず必要なサポートをしない。社会としてこんな自分勝手な視野ではいけないと強く思います。
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同調圧力や自己責任論に自己啓発、日本では自尊心の不足から個人を不安にさせる情報に溢れています。でも日本の本当の問題は、既にある多様な個のポテンシャルを有効に活かせない組織や国つまり社会にあります。そしてその根本は問題を自他含め個に見出そうとする精神、つまり社会への視野の欠如です。
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GoTo、マスク追加、整わない検査体制、私は現政権のコロナ対策を評価していませんが、その最大の理由は、なぜそれをするのか、その理由を論理的に理解できる言葉で説明しない点です。命に関わり、また税金を使う事案に対して丁寧な説明をしないという姿勢は、何よりあってはならない事だと思います。
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でもそれは同時に「男なら〇〇」という男性性に自身を縛り付ける思考でもあり、男性自身の自由をも奪います。結局、差別のある社会で安心して自分らしく生きていける人なんていません。差別がない、そんな狭い部屋の安心にすがるより、皆が生きやすい真の安心がある社会を目指すべきだと私は思います。
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大切なのは、この法案だけではなくこんな政治がずっと続けられている事です。国民が政治に関心を持たないと、政治は国民に関心を向けない。こうなるのは当たり前です。遅くはありません。これを機にでもいいので、政治に関心を持ち、日本に民主主義を取り戻しましょう。
#検察庁法改正案に抗議します
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性差別など差別の訴えに対して別の辛さを持ち出して誰だって辛いと口を塞ぐやり方、身に覚えがある人は即刻やめましょう。私も吃音をカミングアウトした時に皆何かを抱えてると言われ絶望した経験がありますが、このような差別への無理解がまかり通るから日本社会はいつまでも差別的なのだと思います。
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ましてや、この超少子高齢化社会を、その限られた範囲内だけでどう乗り切るつもりなのでしょうか。私たちに、このような破滅的な政治に付き合う余裕はもうとっくにありません。遠い未来ではなく、明日を生きるために、いまとは違う政治を求め、多様な可能性のある豊かな社会に変えていきましょう。
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しかし現実として、ネットが普及してから、世界の変化は劇的に速くなっており、日本はその変化に対応できていません。そしてそれがコロナ禍において目に見える形で噴出しています。これらのサインを軽視せず、今こそ変わって行くチャンスだと思います。
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日本のこの無理解の背景には、庶民として苦労し我慢する生活は当たり前という何か古い価値観に縛られていたり、自己肯定感の低さから他者への尊重が難しかったりといった様々な問題があると思いますが、どんな背景があろうと、こんな無理解がマジョリティの社会であっていいはずがありません。
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そしてその差別により、就職から家事育児に介護とあらゆる場面で性別による不平等が起こっています。私はその意味で、この下駄を軽視し放置する事は、もはや差別への加担だと考えています。日本の差別がここまで強いのは、下駄を履いている事を軽視する男性が多すぎる事が主要因の一つだと思います。
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ポリコレとも関係しますが、日本のドラマや映画を観ていると、ジェンダーや人種や障害者差別など、世界で理解が進む人権に関する問題について、問題を訴えたり伝えたいという視点ではなく、問題をとりあえず入れておくという視点のものが多いと感じます。
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水原さんへの差別、本当に酷い。私の子供の学校ではオーストリア生まれでない事で他の子から揶揄されたら大問題になります。個人のアイデンティティに関わる重大な事態だからです。文化を跨いで育つ苦労も素晴らしさも知らない立場からルーツに言及して中傷するなど、あってはならない卑劣な行為です。
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日本のネットでは、差別を訴える声に、それは差別でないと被差別側でない人が言うケースが目立ちます。これは非常に危ない傾向です。差別の被害というのは人生を左右する問題であり、ネットはその人の限られたSOSの選択肢である可能性があります。それを安易に踏みにじる危険を軽視してはいけません。
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私の住むオーストリアを含め海外では閣僚の性別も年齢も日本とは比べものにならない程多様性に富んできています。これは多様な意見を政治に取り込む為のごく自然な方向性だと思います。日本ではこの流れに反し続けておきながら多様性と口には出します。しかし事実としては、多様性の受容は進みません。
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今の日本は、変われるか、このまま落ちていくか、とても大きな帰路に立っていると思います。
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しかし、男性が生活し仕事をしていても感じる事がない圧力を女性があらゆる場面で感じているという現実は確実にあります。そしてこの圧力の根源にある「仕事=男、家=女」の古い価値観を作ってきた中心にいる男性がここからの脱却を本気で考えなければ日本社会は永遠に変われないと思います。
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トランプは差別主義とかでなく利を追及するビジネスの考え方をしてるだけといった意見を目にしますが、私が目にする限り世界のビジネスはもうそんな古いやり方ではなく、環境問題や多様性を考え持続可能なやり方で短期的かつ長期的にも利を追及する方向に動いています。時代はもう次に進んでいます。
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芸能界は酷いと他人事で済まさず、条件次第でこんなことが起こる社会構造を見直す時です。例えば今の日本は、地位が高いと見ると先生と読んだりする権威主義、ネット社会で深刻化するポルノの問題、女性ばかりが聞き役といったテレビ等で未だに溢れる差別的表現など、放置されている問題が山積みです。
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「女を守るのが男」「家庭を持った男としての責任」もういい加減こんな古くて差別的な価値観から離れましょう。もし何が差別的なのか分からないのなら、この「女」や「家庭」の部分を「部下」に「男」の部分を「上司」に変えてみて下さい。そこに対等性がない事が分かると思います。
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#変わる男たち について、男性として今議論すべきと思うのは「変わることの難しさ」です。変わらない森氏の問題は、個人を超えて社会全体の問題です。差別が蔓延する社会で刷り込まれた意識は、私の中からいつまでも消えません。この難しさに如何に多くの男性が向き合うかが日本の課題だと思います。
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鬼滅の刃の遊郭が注目されています。以前も触れましたが、大正時代にあった差別的な価値観を今なお継承して、まるで現代の事のようにその価値観を肯定しながら作品を見るのと、現代とは違う時代の古い価値観だと分かった上で見るのとでは、全く違います。私は前者がマジョリティではないと信じたい。
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子供のいる人が不倫。これが男性だった場合と女性の場合で恐ろしいほど反応が違う。男性の場合は、家族がいるのに、女性の場合は、子供を「置いて」、となる。子供の世話をするのが女性が当たり前に果たすべき役割という前提だからそれを「置いて」となる訳です。恐ろしく差別的な社会だと思います。
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欧米は個人主義。この曖昧な言葉を批判的に使う人がいますが、例えば先日、子供の通う学校の先生とのメールのやりとりの中でアジア人が差別を受けている話題が出ると、差別への批判と共にオーストリア人という立場からの謝罪がありました。単に個人でなく社会の中の個人、この感覚を持つ人は多いです。
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研究活動でも学会でも事務的な仕事でも、え、男性?という反応は受けた事はないですし、男性というだけでナメられるという経験はないですし、会議に出たら自分だけ男性で周囲から不必要に目立った事もないですし、育児休暇を取った後に、そのまま復帰しない可能性を問われた事もありませんでした。