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人間は賢くないので、差別は簡単にはなくなりません。私も男性として女性差別の意識がまだ多く自分の中にあると日々感じます。しかしせめて個人が個人の成功や幸せを自分の中で味わえる、そんな社会にはなって欲しいしそうしたいと私は思います。それは誰もが生きやすい社会への大事な一歩なはずです。
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日本で見かける個人的に嫌な現象の一つに、他人のために身内を落とす、というものがあります。相手を立てたり会話を盛り上げるために自分のパートナーを悪く言う、相手の家族を立てるために自分の子供はダメだと言うなど色々あります。そして最も嫌なのがこれを政府が国民に対してやっている点です。
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自分は恵まれた立場にいるとの自覚はあるが、恵まれてない人に「同情」するのは「苦手」なので社会問題には関わって来なかった。と悪意なくさらりと言ってのける何の「自覚」もない学歴等に恵まれている日本人、私の周りには少なくありません。そして、そういう人は日本人以外では驚く程見かけません。
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そして、社会から差別をなくす、ここに向かうにあたり、社会の中のマジョリティ層が差別と向き合わない限り社会は変わる事ができません。この不完全な社会では、自分が安心して不自由なく暮らせているなら、その裏には苦しんでいる人が必ずいます。
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しかし悲しいことに、若い時はそうやっていい研究をしていた研究者がシニアになるにつれて自分は分かってる間違ってないとの保身へ走るようになるケースを沢山見てきました。そしてさらに悲しいことに、その保身は時に上記の心を持ち続ける同世代また下の世代の研究者に対しての敵視に繋がります。
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日本では自尊心を高める教育がなされない傾向がありますが、例えば成功という曖昧な言葉を安易に用いて不安を煽る本や情報など、自尊心の低さを利用して不安を煽る商売は横行しており、人の自尊心を削る事に一生懸命な人はたくさんいます。世知辛い社会です。
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例えば、障害者と呼ばれている人の「障害」は、その人の特性が社会に想定されていないために、その特性が「障害」となってしまっている状態です。その特性を「障害」としているのは社会です。多様性を受容するとは、その特性が「障害」とならないための特別な配慮を社会がするということです。
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そしてその苦しみを取り除く事は、苦しむ人の孤独な努力に任せる事ではなく、社会全体でする事です。社会は複雑に絡み合った人の集合体であり、社会の中に自分に関係ないと言い切れる人なんていないはずです。マジョリティ層が自分周辺にしか視野がない中で差別がない世界など実現しようがありません。
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年収1200万円の高所得者世帯の児童手当が廃止。問題は、「高所得」を国が定義、つまり、「子供が何人いてもどこに住んでいても手当など必要ない裕福な額」を国が定義する形になってしてしまっている点、そして、その額が1200万円だという衝撃にあると思います。
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現代では残念なことに、上記の心を持つことより、保身に走る方が職に繋がります。保身に走る人が出世し力を持つシステムになっており、上記の心を持つと力を持った保身層に敵視すらされるのだから必然でもあります。おそらくこのような事態は、研究に限らず社会の至る所で起こっているのだと思います。
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一方で海外の研究者などと仕事をすると、初めて学会に参加する学生などであっても多くの地域で言語や国際感覚など日本とかなり違っています。冒頭の会話にあるように、日本では多くの人が義務教育等を受けることができていますが、その内容を早急かつ大幅にアップデートする必要があると思います。
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なぜじゃあ吃音について調べてみよう理解してみようとならないのか。協会への批判を見て私はとても悲しく感じました。どこかで習う訳ではないので、皆が悪意なく理解がないのは当たり前です。だからこそ、私たちは訴えています。今回の問題をきっかけに少しでも社会の理解が進むことを心から願います。
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目上の人を批判してはいけない。この古さの極みのような考え方が私は心から嫌いです。まず、尊重と批判は違う。そして、社会を生きる全ての人は等しく尊重されるべきです。人生を長く生きる、何かの職を持つ、そういった個々の背景への尊重と、その人の意見を批判する事は、全く関係ありません。
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例えば女性差別について、日本と同じく差別の強い地域はありますが、差別はダメ、多様性のある社会をなどと公に叫ばれ、30年以上も前に男女雇用機会均等法が制定されているような社会で、未だに家事ができる女性=いい女性、という表現で溢れているという日本の現状は世界的に見ても際立って奇妙です。
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ここに向き合っていれば、自身からまた社会から差別意識をなくす事の難しさが分かるはずで、差別してないとか、自分や自分の周りだけなどと簡単に言う事はできないはずです。例えば私も自身に内包した女性差別が次々と顔を出し、いつまでもなくす事ができません。
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研究者として勤務することを辞め10年ぶりに帰国しました。これまで、成果を出してきた一方で、吃音へ無理解な社会の中で無理を続け体は限界でした。この話に同情してくれる人は多いのですが、私は自分の状況に昔流行った「同情するなら金をくれ」という言葉を思い浮かべます。過激に思うかもですが、
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先日、あるイベントでゴミ回収係りを他の子のお父さんと担当していたのですが、ゴミ箱の中のゴミを収集所に持っていくついでに周辺に落ちているゴミも拾っていたら、そのお父さんから、そこまでやる必要ないんじゃないですか、と言われました。この意見はお父さんあるある、というのが私の体感です。
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今、ベラルーシや香港で民主主義と独裁政治が戦っている事にどれほどの日本人が関心を持っているでしょう。他国にも自国の選挙にも無関心で、独裁的な政治をされても無関心、つまり自ら民主主義を捨てておきながら、日本スゴイなどと幻の先進性を信じる、今の日本社会の精神性はあまりに未成熟です。
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この最後の「いい」には、言い切る力強さと同時に今は違うという悲しさと弱い立場への優しさを感じます。しかしこの一文を社会的強者が自身の正当化に使う時、そこには悲しさも優しさもなくただ強く言い切る冷たさがある。百年経って尚、金子みすゞの想いを踏みにじる、私はそんな使い方は許せません。
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抗議をすることで出られなくなる、抗議をすることで吃音に触れられなくなるなら、それは、見る側またマジョリティは、今後も特に吃音に対する理解を深めるつもりはないと宣言しているに等しいと私は思います。今回の問題は、番組の吃音への理解がなかった点にあり、
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前政権も同じですが、中身がない場合に、そこを見られない為に視点を逸らすという幼稚なやり方をする政治を決して許しては行けません。それを許し続けると、このふざけたやり方が憲法も含め、中身を伴い真剣に築かれた歴史や文化や様々なものを次々と壊してしまいます。私は今の方向性はとても怖い。
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タカラトミーの件、表現の自由と擁護する声があるようです。これに限らず表現の自由という言葉を勘違いして使う人は少なくないですが、その勘違いの根本は、この言葉を何か外から与えられた宇宙の法則のように扱う点にあると思います。人間社会の倫理は社会を成り立たせる為に人間が作ったものです。
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歩くことを想定して社会が作られているなら、歩けない人が社会やっていけるための特別な配慮をするか、社会のシステムそのものを、歩ける人と歩けない人で作り変える。それが多様性を受容するということです。このような理解のないまま、曲がった価値観が広まることは、私はとても怖いです。
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オーストリアではロックダウン、マスク義務、休校、スーパーなど必要最低限の店以外は閉店、外国からの出入りも厳重に管理という状態を3週間続けても、人口900万人に対して新規感染者が1000人を切りません。世界が相手にしているのは、このウィルスです。明らかに日本は、現実を軽視しすぎています。
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アメリカとオーストリアに住んで苦労も多いですがよかったと思える事の一つが、私の場合は妻との時間や家事や育児や旅行したりなどですが、仕事以外の時間を持つ事を当り前の権利と感じられるところです。文字で書くと当り前すぎて伝わらないかもですが、私はこの点に極めて大きな違いを感じています。