maromiso(@maromiso1)さんの人気ツイート(いいね順)

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日本では受験が「受験=教育」かのような位置づけです。この傾向は学歴が高い程強くなります。職業柄高学歴の人を多く見てきて感じるのは、この「受験=教育」の弊害ばかりです。中でも顕著なのは、受験問題のように答えがない事案への対応力、つまり自力が驚く程欠如している傾向がある点です。
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トランプは差別主義とかでなく利を追及するビジネスの考え方をしてるだけといった意見を目にしますが、私が目にする限り世界のビジネスはもうそんな古いやり方ではなく、環境問題や多様性を考え持続可能なやり方で短期的かつ長期的にも利を追及する方向に動いています。時代はもう次に進んでいます。
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日本は、数として、外国人労働者含め世界でトップクラスに移民を受け入れているのにも関わらず、労働力として利用するだけ利用して移民政策も取らず、その子供達にあるべき教育も提供できていません。これは大きな人権問題だと理解しなければいけません。
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私はこの奇妙な現状を生む大きな要因の一つに、社会において影響力や決定力など力を持つ層の力を持つことへの無理解さに無責任さがあると思います。例えば少しでも差別に思いを巡らせれば気がつくような表現を安易に作ってしまったとして、これはそれが差別的だと気づけなかったからではなく、
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日本の学歴社会の問題。日本の高学歴者達は、学業、受験、就職、仕事、この偏ったほんの一部分があたかも人生の大部分だと教えられて育ち、結果、この一部分以外を当たり前に大事にする人に衝撃を受けたりします。問題は、この人生の多様な大部分を知らない高学歴者達が社会を動かす立場にある点です。
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繰り返しますが、苦しい人生の中で芸人という仕事を選んだ方は本当に尊敬しますし、そのような人が少ないのは障害を持った私たちの問題ではありません。また抗議をしたら芸人さんが出られなくなるという意見も、番組もそれを見る側も現在の吃音への理解度合いは変えないという前提に立っており、
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日本は長い間、リーダーシップの弱い中、個々が各々考えて動く、つまり最近よく見聞きする言葉では「自助」で持ちこたえてきたのだと思います。しかし、このやり方では、「維持」はできても大きな「変化」は期待できません。個だけでは全体を変える方向に動く事は難しいからです。
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その研究者自身も、ただ真面目に研究し、共同研究者とただ真面目に議論し、いい結果を出し、それを持って科研費を取り、キャリアを築いている人でした。そのシンプルさでいいんだ、そのシンプルさこそが大切なんだと感動し、そこから私自身も地に足の付いた本当のキャリアが始まったと感じています。
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差別のない未来に向かうのなら、未来に向かう動きをしなければその未来に近づく事ができないのは明白です。また仮にその未来を目指さないのなら、世界の流れと反してどんな未来を目指すのか、具体的なビジョンが必要です。そのどちらもないのが今の日本という現実は最低限受け止めるべきだと思います。
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日本で多様性の受容が進まない根本に、マジョリティとしての男性が、ホモソーシャルな価値観に縛られ多様性を軽視し続けていることがあります。そしてここが変わらない理由にロールモデルの欠如があります。そこで微力ながら宣言します。私は多様性を重視し、その結果仕事も人生もうまくいっています。
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なくそうと社会としてはっきりと意思を持ち努力しなければなくなりません。現にこちらでも多くの努力がありますがまだまだなくなっていません。まずは社会として持つべき層がしっかりと責任を持ち、日本社会はいまこの努力を始めていると示すようなスタートラインに立たなければと危機感を覚えます。
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果たして本当に協会が問題の本質なのでしょうか。私も番組の街頭部分は見ましたが、芸人さんに対してものすごく変わった人が出てきたという前向きではないスタジオの反応がありました。その「変わった」の中に吃音の要素があるのは明らかです。また、補足しますと、
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去年の今より状況は悪いのに去年出来なかった五輪を今年にできる理由を政府は何も説明していません。去年と違いワクチンがあるという意見もありますが、主に先進国でしか進んでいないワクチン接種は、五輪にとって「ある」に入らないのは明らかです。こんな非論理的な事態を許していい訳ありません。
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日本を離れて10年、その間に大きく変わった一つが相対的な物価。こちらでは毎年賃金が上昇し物価も上がっています。対して日本では基本的に横ばいなので、日本に行く度に年々下がっていると感じます。日本は変わらず平和という声はよく聞きますが、相対的に変わっていることは本当にたくさんあります。
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命か経済か、日本政府はまるでどちらかを取らないといけないと決まっているから国全体を考えて経済を選らんでますみたいな姿勢ですが、そんな決まりは実際にはどこにもなくて、どちらも守るように最大限の対策を考えるという姿勢が国外の多くの国では基本です。
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前政権も同じですが、中身がない場合に、そこを見られない為に視点を逸らすという幼稚なやり方をする政治を決して許しては行けません。それを許し続けると、このふざけたやり方が憲法も含め、中身を伴い真剣に築かれた歴史や文化や様々なものを次々と壊してしまいます。私は今の方向性はとても怖い。
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日本が後退してるのでなく、世界が一歩一歩進んでいく中で日本が停滞してしまっているんです。特にネットの普及後は、多様な価値観が広まり世界の変化が速まっている中、日本は日本語情報に縛られてしまい変わらず停滞し続けてしまい、結果、相対的にどんどん遅れていってしまっているのだと思います。
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自分でも訳のわからない話をしてしまうことが頻繁にあります。食べたくもないものを注文してしまったり、皆がおはようという中で一人こんにちはといったり違う話をしたり、色々な失敗があります。もちろんそれでやばいやつ変なやつみたいな扱いを受けることも多々あります。
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単に自分が社会に影響を与える立場にいることへの責任感がなく何も考えてなかったから気づかなかっただけという場合が多いのではないでしょうか。そんな責任など持ちたくない、持つ必要はないという人も少なくないかもしれません。しかし差別は、よくないとぼんやり考えてなくなるようなものではなく、
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相手への尊重、この人としての基本がない意見を抵抗なく世界に発信する人が日本には多すぎます。あえて自分が嘲笑している事を伝える、論破などという無意味を目指すなど、それでは議論はおろか自身がより孤独になり不安は増す一方だと思います。尊重、相手だけでなく自分の為にも必要だと思います。
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ネットでも現実でも、モテないという理由で自分を弱者と位置づけその原因を自分を受け入れない女性に置く男性が少なくないですが、ここで言う弱者とは古い男性社会の視点からの話であり、女性を自分を高めたり何かを与えてくれる為の存在と位置づける差別的視点を持つ男性は社会的弱者ではありません。
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鬼滅の刃の遊郭が注目されています。以前も触れましたが、大正時代にあった差別的な価値観を今なお継承して、まるで現代の事のようにその価値観を肯定しながら作品を見るのと、現代とは違う時代の古い価値観だと分かった上で見るのとでは、全く違います。私は前者がマジョリティではないと信じたい。
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例えば、協会が「吃音者に対する偏見を助長する」と抗議したことに、「番組に出ていた吃音を持つ芸人さんが今後出られなくなる」「吃音に触れてはいけないという風潮になる」といった批判が相次いでいますが、
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「手抜き」という言葉が話題ですが、毎日料理をする立場から言うと、私はこの「手抜き」という言葉自体が嫌いです。そんな引き算で人を評価する視点が当り前になってるからこんな生き辛い社会になっているんだと思います。また、毎日の食事を用意、この点に引き算する余地などそもそもありえません。
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まともなコロナ対策をせず、その責任を憲法に押しつけようとすらする政府。もしそんな論理性のかけらもない政府を許すなら、それはもう民主主義の放棄です。民主主義の放棄は個人の自由の放棄を意味するという事をどれだけの人が理解しているでしょうか。日本社会は今、重要な局面にいると思います。