maromiso(@maromiso1)さんの人気ツイート(いいね順)

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オーストリアの職場で同じ会議に出た学生が喉が少し痛くなり、相談センターに電話するとすぐPCR検査となり、結果が出るまで会議のメンバーと職場で近くにいた人は自宅待機になりました。結果は陰性でしたが、少しでも不安な人をすぐ検査できる体制は社会から不安を取り除く為に大切だと実感しました。
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スポーツ選手が差別などに声をあげた場合も同様に、本業に集中しろ、みたいに言われます。人が真剣に生きていれば、社会の問題も真剣に考えるのは当たり前です。そして社会は皆で作るものなので、問題に気がついた人が声を上げる事は社会を成立させる上でとても大切な事です。
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経済や時間的に恵まれた環境で育った人達に偏ってしまっており、結果、日本の高学歴者達は、性差別による不条理を感じることの少ない男性は特にですが、学校の内外で社会構造について学ぶ機会が少なく、自身のいる環境の外側への想像力を持たないまま育つ傾向にあります。 これらの要因により、
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私は大戦も被爆も知らない世代です。ただ、そんな訴えは平和ボケした綺麗事だと言うなら、それこそが被爆の恐ろしさを忘れた平和ボケだと私は思います。
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今、ベラルーシや香港で民主主義と独裁政治が戦っている事にどれほどの日本人が関心を持っているでしょう。他国にも自国の選挙にも無関心で、独裁的な政治をされても無関心、つまり自ら民主主義を捨てておきながら、日本スゴイなどと幻の先進性を信じる、今の日本社会の精神性はあまりに未成熟です。
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そして、社会から差別をなくす、ここに向かうにあたり、社会の中のマジョリティ層が差別と向き合わない限り社会は変わる事ができません。この不完全な社会では、自分が安心して不自由なく暮らせているなら、その裏には苦しんでいる人が必ずいます。
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例えば、障害者と呼ばれている人の「障害」は、その人の特性が社会に想定されていないために、その特性が「障害」となってしまっている状態です。その特性を「障害」としているのは社会です。多様性を受容するとは、その特性が「障害」とならないための特別な配慮を社会がするということです。
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そしてその苦しみを取り除く事は、苦しむ人の孤独な努力に任せる事ではなく、社会全体でする事です。社会は複雑に絡み合った人の集合体であり、社会の中に自分に関係ないと言い切れる人なんていないはずです。マジョリティ層が自分周辺にしか視野がない中で差別がない世界など実現しようがありません。
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知識がある人、ちゃんと調べた人、そんなの関係なく政治について発言しちゃダメな人なんていません。素人、玄人、そういう事でなく誰もが自由に発言し、その意見を政治家がプロとして政治に反映する、それが民主主義の政治の仕組みです。その意味で、人の発言を抑制する事が最も政治を腐らせます。
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これは私が住んでいたアメリカやオーストリアに限らず旅先などでも多くの地域で共通していました。対して日本では、特に都市部では、誰だって大変という感覚からなのかも知れませんが、子供への優先順位は明らかに低い。子供が大人に迷惑をかけるなという空気がある場合も少なくありません。
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今の日本で、例えば、恵まれた環境で育ち学歴も職もある男性が、みんな違ってみんないい、と言って自分の事だけ考える。これは多様性の肯定ではなく、否定です。私はこういった層の無理解さの蔓延、社会への無関心さが、差別や格差が全くなくならない日本の現状をもたらす主要因の一つだと思います。
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私の知る限り、日本はこのようなコロナ禍における様々なシステムの対応があまりに遅い。私はそれは、日本人の能力の低さではなく、文科省など政治に関しても、学会運営に関しても、とにかくあらゆる領域でリーダーシップが決定的に不足しているという事が原因だと思います。
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大学教授として学生を指導し、内閣参与として国の政策に関わる人が、多くの人が亡くなる事態を軽視し、そして笑う。政治も教育も、日本にとっての明るい未来が、今の日本が築いているシステムの先にない事は、この2行のツイートで充分に示されています。日本はもう変わらなければ先に進めません。 twitter.com/YoichiTakahash…
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障害者支援。ギフテッドの子への支援。どちらも関わった経験がありますが、社会から「変わってる」と思われている子供たちへの支援として「変わったまま」の自立を目標とするのはいいですが、特に政府など権力が強い立場ほど「変わってる」と拒絶する社会側を変える方向にならないことが私は残念です。
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最低限、この発想をする人が決定層のマジョリティでなくなる状態に向かう為にも、こういった発想が社会としてマジョリティでなくなる事が大事だと思います。その意味でメディアは重要です。そういった社会への責任感を感じさせるメディアが増える事を切に願います。
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なぜじゃあ吃音について調べてみよう理解してみようとならないのか。協会への批判を見て私はとても悲しく感じました。どこかで習う訳ではないので、皆が悪意なく理解がないのは当たり前です。だからこそ、私たちは訴えています。今回の問題をきっかけに少しでも社会の理解が進むことを心から願います。
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日本に住む外国人に日本人同様の福祉を受けさせるのは間違い。こんな信じがたい考えを持っている人が少なくないようです。例えば私はオーストリアに住み納税しており、選挙権を除けば、オーストリア人と同様の福祉に医療を受けコロナ禍における様々な補償も受けています。「住む」とはそういう事です。
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障害に限らず、現在被差別側にいる人たちを、差別側にいる人たちが特別扱いしないでまるで差別なんてなかったように振る舞うことは、多様性の受容とは反対に、差別に蓋をして見ないようにして、差別側から見て世界が差別がない世界に錯覚させるだけの行動です。
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(同じアジア人なのに)日本だけ優れていて他国は力もなく性格も悪い、このよく見るロジックは単純に意味が分かりません。同様に、(学校で机を並べていて能力に差はなかったのに)大人の世界では女性は男性に劣る、このよく見るロジックも意味不明です。日本は、意味が分からない差別に溢れすぎです。
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「差別に対しては優しく訴えるべき。じゃないと聞いてもらえない。対立を強めるだけ。」 これらは、被差別者の訴えに対して、反発するか無関心かのどちらかで受け止めることすらができない人がマジョリティだからこそ出る意見であり、日本社会の抱えるあまりに悲しい現実を示していると思います。
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似た例では、日本のトイレはきれいと言われていますが、清掃業者が頻繁には入らないトイレでは、男性側はかなり汚いです。妻から聞く限り女性側とは確実に差がある。あくまで個人の体感の話ですが、掃除などの世話をしてもらう機会が平均的に多い男性側の方が汚くなるのは辻褄は合っていると思います。
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差別的な発言や差別に無理解な発言をしたら一斉に批判を浴びる事例に対し、「怖い」と感じるまではありえるとして、それが、差別しちゃってないかという自分への怖さではなく、訴える人に対しての怖さになってしまう差別構造ど真ん中の考えを持つ人が少なくないのが日本の現在地のようで残念です。
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帰国してみると、子供の通う小学校でも相手に対しいじわるな意味合いで個人の感想だよねって言うことが流行っていて驚きます。ネットが普及し大量のデータと共に人間は究極的に客観的な視点を持った神のような存在になれる気がするのかもしれませんが、現実は、ただ未熟な思考しか持てない動物です。
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この最後の「いい」には、言い切る力強さと同時に今は違うという悲しさと弱い立場への優しさを感じます。しかしこの一文を社会的強者が自身の正当化に使う時、そこには悲しさも優しさもなくただ強く言い切る冷たさがある。百年経って尚、金子みすゞの想いを踏みにじる、私はそんな使い方は許せません。
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年収1200万円の高所得者世帯の児童手当が廃止。問題は、「高所得」を国が定義、つまり、「子供が何人いてもどこに住んでいても手当など必要ない裕福な額」を国が定義する形になってしてしまっている点、そして、その額が1200万円だという衝撃にあると思います。