KAMEI Nobutaka(@jinrui_nikki)さんの人気ツイート(新しい順)

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これと似た構図なんですけど。 白人至上主義者は、黒人の存在自体を嫌悪してきたわけではなく、従順な奴隷である限りにおいては、その存在と労働を好意的な感情とともに利用してきたのです。 対等な人間として権利を主張する存在になったことで、憎悪を向け始める。 結局は、支配欲ということです twitter.com/akashishoten/s…
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NHKによるパラリンピック聖火リレーのキャンペーン映像を見ていると。 相模原の津久井やまゆり園、すなわち虐殺発生現場での採火などというイベント案は、阻止しておいて正解だったと思います。 こんな明るい調子の語りで、「克服の物語」みたいに言いくるめられていたら、本当に目も当てられなかった
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この動画で本当に嫌だと思ったのが。 「日サロ行きすぎだろ」とだれかが発言した時、周りがみな笑っていて、言われた本人も周囲に合わせて苦笑いを強いられているように見えることです。 抑圧の現場では、本人は抗議しにくい。 金メダルをかじられ、状況に合わせざるを得なかったあの場面と似ています
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アフリカ系のルーツをもつ万波中正選手に対し、「日サロ行きすぎだろ」の発言、確かに聞き取れます。動画21秒あたりです。 「日焼けサロン」のことばを用いて、肌の色をあげつらう、露骨な人種差別発言です。 これを笑いの中でごまかして済ませる選手たちと、それを広報する球団に対し、抗議します twitter.com/FightersPR/sta…
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米国のアフガニスタン脱出情勢、それと重ねる形での南ベトナム・サイゴン陥落の画像がしきりに流れてきます。 「傀儡政権を見捨て、それまでの協力者も放置して敗走した、無責任な帝国の数かず」というテーマを考えていました。 満州国を放棄して敗走した大日本帝国こそ、その最たる例ではありませんか
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なにせ、大日本帝国は、第二次世界大戦の終結を最後まで遅らせた国家です。その世界史的な立ち位置を自覚した方がよいと思います。 玉音放送中心の歴史観は、あくまでも国内向け。世界の中の日本の立ち位置と見られ方を自覚し、侵略戦争をやめる約束をしたことを引き受ける歴史観は、重要だと考えます
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私は、8月15日よりも9月2日を重視するという考え方に立つ者です。 天皇が国内向けにラジオ放送したのは、ひとつの契機ではありますが。 連合国に対し、日本軍無条件降伏とポツダム宣言受諾を確認し、世界が降伏文書の調印を見届けることで、日本の再出発を刻んだ日。揺るぎない重要さをもつと考えます
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また奇妙な流行になると不快なので、書いておきます。 ふだん車いすを用いているのでない、二足で歩いて暮らしている俳優が、車いすマラソン選手の役を演じることに、私は違和感をもっています。 車いす使用者の中から、人材を発掘することはできなかったのか。それを探す努力をしたのだろうか
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米国が、長崎爆心地付近の住民を「興味深い」研究対象として、長期観察の対象としていたことを知りました。 そのことを住民に告知も説明もせず、治療と健康維持に活用することもせず、ただデータを持ち帰っていたということも知りました。 露骨な人体実験。非人道的な研究に、改めて憤りが湧きました twitter.com/nhk_n_sp/statu…
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字幕メガネは「聞こえる多数派が、日本語字幕のない今までの映画鑑賞方法を守るために、聞こえない少数派に身体的苦痛を強いる手法」に過ぎないのだ、と理解しました。 多数派の既得権益を1ミリも脅かさない形で、少数派にしわ寄せを向ける技術として用いられています。 実際、そういう事例多いですよ
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この技術で、多数派と少数派の共存を解決できた!と思うでしょうか。 実際、そのメガネをかけ、2時間の映画を観てみたらいいと思います。あれはかなりキツイです。 メガネは相当重く、耳と鼻に痛みをもたらし、顔の角度によって字幕の見え方がぶれる、快適とは言い難い鑑賞方法です。解決とは言い難い
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テレビの手話通訳関連で腹が立ったので、もうひとつ書きます。映画館の字幕の問題です。 聞こえない観客が日本映画を観に行く時、字幕は不可欠ですが、聞こえる客は字幕がじゃまだなどと文句を言います。 妥協案として、聞こえない客が特別なメガネをかけ、目元に字幕を映すというサービスがあります
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「手話通訳を見たくない聞こえる人たちのために、手話を表示したり消したりする機能があるとよい」みたいな話も流れてきます。 甘えるのもたいがいにしなさい、と思います。 選択肢のないろう者たちが、手話共存の放送を求めている。切実な要望です。 手話を見たくなければ、テレビに紙でも貼ればいい
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これ、手話通訳ありのEテレ版です。 画面が縦横約80%に縮まり、右側に手話通訳者が映ります。それだけです。情報はすべて同じ。 これを総合テレビで映せばよい。 この程度の措置を講じるために、別チャンネルを使う必要があるのか。この程度のことにすら我慢できない多数派に迎合しないといけないのか
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見比べていて思ったことを言います。 いまEテレでやっている、この放送だけで十分です。これを総合で映せばよい。 そして、いま総合テレビで映っている方は要らない。手話通訳ありの放送で一本化すべきだと思いました。 まったく情報の欠落のないEテレ版を排除する合理的理由はない。そう確信しました
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いま、五輪閉会式をNHK総合テレビで見ている、耳の聞こえるみなさんは。 試しにと思って、同じ行事の中継を、Eテレの方で見てみてほしいと思います。中継内容は同じです。 画面右に手話通訳が映っています。これは、じゃまでしょうか。目障りでしょうか。チャンネルを分けるほどの支障があるでしょうか
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手話あり放送だけ隔離、という状況が、やはり私には相当こたえます。共存するための手話通訳ではないのか、と思う。 食事の時に、手話だけ別テーブル強制とか。 宴会で、ろう者だけ放置とか。 路上で手話で話していたら暴力的にからまれるとか。 多くの場面を経験しました。忌まわしい光景がよみがえる
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『風が吹くとき』というアニメ映画があります。 老夫婦が、核戦争勃発後も、政府の指示に忠実に従って静かに自室閉じこもり生活を続けるも、やがて衰弱していき…。 究極の「自助・自宅療養映画」です。日本政府の政策に対する心構えを養う上で、参考になるのでは、と思います movies.yahoo.co.jp/movie/4506/
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NHKは、結局、隔離という方法でしか、手話通訳付き放送を実現しなかった。 NHKと、それがおそらく忖度しているであろう多数派視聴者の意識におけるこの冷淡さは、この五輪が残した負のレガシーとして、末長く蒸し返されるべき事例であると私は思います
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「映画館で、日本映画に日本語字幕が付くと目障りだから、字幕付き上映を別の日にやればいい」 「落語会の舞台に手話通訳がいるとじゃまだから、舞台の下に降りろ。または、手話通訳付き公演を別の日にやれ」 などの類例を思い出しました。存在は認めるが、共存は絶対に認めない、という論理の数かず
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どうぞと招き入れられて、別室に隔離されるようなニュアンスを感じました。 共存を拒む論理とは、何なのだろう。総合テレビには入れたくないと判断したNHKは、一体何を守ろうとしているのだろうか twitter.com/tokyonewsroom/…
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会食を断るとか。 出張を安請け合いしないとか。 ワクチン接種の翌日はきっぱり休むとか。 対面会議をオンラインに切り替える提案をするとか。 場の空気など読まず、ひとり席を立って窓を開け始めるとか。 接近してきた相手から離れるとか。 自他の健康のために、躊躇せず、行動に移すことは大事です
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IOCもNHKも、原爆の日を軽視することが明らかに。 「原爆の日を特別視するべきでない。日本の加害責任も直視せよ」という主張があることは承知しています。それらも含めて、重視するべきだと考えます。広島長崎の原爆被害、大量虐殺の事実を軽視してよい理由にはなりません buzzfeed.com/jp/kotahatachi…
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ボーア戦争とアフリカ植民地の実録映像を出してきたのは、さすが…と思いました。 一方、トルストイがガンジーをほめ称えたのはいいけれども、そのガンジーが実はアフリカ住民を蔑視していたとして、今批判されていて、銅像も撤去されているので。 その辺の認識の更新は必要かと思いました #映像の世紀
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制作側の良心と思える場面がありました。 「この映像は○○とは限りません。後日創られた可能性があります」 といった趣旨のことを時々述べていました。こういう注釈は大事です。 フェイク動画が横行し、開き直っている今の時代。こうした慎重さは、むしろ学ぶべき姿勢ではないでしょうか #映像の世紀