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今ならそう思うけれど、当時、そういう会話をする元気が本当になかった。
ただでさえ育児が辛いのに、なぜ成人であるあなたに一つ一つ説明しないといけないの?
なぜあなたは子どもと一緒に食事しても、辛い物を迷わず選んで、好きなだけ食べて…ができるのに、私の分まで奪うの?って思ってたけど。
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「私の気持ちを察してほしい…」というよりは、『そんなことまで言わせないでほしい…』という気持ち。
そんなこと言わなくても、目の前にいる人の食べている量を考えたら、自分が食べて良いものかどうかの判断がつくのが大人ではないですか? twitter.com/suzu_and_bell/…
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かなり前の療育園での出来事。
自閉症児のお母さんが、「もう、こんな子育てられない。」って泣き始めて…
ダウン症児のお母さんが、「じゃあ、私にちょうだい。大事に育てる。」って言ったことがあった。
そのお母さん、二度と泣き言を言わなくなったし、お子さんを急にかわいがるようになった。
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当時の私は、他人事ではないくらいに育児ノイローゼで、「もう無理です。誰かこの子を育ててください。手をあげてしまいそうな私からこの子を守ってください。」と心の中では叫んでいたのだけれど「代わりに育てるからちょうだい。」と言われたら、やっぱり簡単には手放せないよな…と思った。
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自分の中では「誰かこの子を育ててください!」という感情は、愛情がないから、辟易としているから湧くのだと思っていたけれど、違うんだ…大事だから、すごく愛しているから、こんな私なんかじゃダメだと思うから、誰かお願い!って思うんだ…あ…私にもちゃんと愛情があった…とそのとき気づいた。
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その日から、こんな私じゃダメだから誰か育ててください!と思うのなら、「こんな私」をやめたらいいだけだわ…と考え方を変えた。
私は、「こんな私」を卒業した。私が変わったら、息子も少しずつ変わっていった。
あのお母さんの言葉を聴いていなかったら私はずっと苦しいままだったと思う。
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「じゃあ、私にちょうだい。大事に育てる。」
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これ、上辺だけの言葉ではなくて、本気のトーンだった。本気で育てる覚悟があったと思う。その方を救いたい気持ちでおっしゃってたと思う。
そのお二人の信頼、日頃の関係性があってこそ成り立つ会話なので、安易に使って良い言葉ではないと思う。
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(その後、ダウン症児のお母さんは、「辛い時はいつでも預かるよ。」と全面的に応援、協力し、実際の行動でも、そのお母さんを救っています。泣き言を言えなくしたのではなく、泣き言を言う必要のない状況を作ることに協力されていました。けして辛い気持ちを受け止めなかったわけではないです。)
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義母が私に服を買ってきて、「これ、良かったら着て。」と。
んと…良くない…と思って、
「ありがとうございます。でも、私、だいたいの服が袖丈が足りなくてサイズが合わないので、着てみますね。」って答えて、目の前で着せてみせて、
「あらぁ…たしかにサイズが合ってないわね。返品するわ。」
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義母は、無神経なので、悪気なく傷つくことも平気でズバズバ言ってくる。
義母から学んだことは、悪気なくズバズバ言ってくる人には、こちらも、ニコニコしながら悪気は全くありませんって顔で、ズバズバ言っても、なんも刺さらないということ。
目には目を歯に歯をズバズバにはズバズバを。
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私は子どもの頃、色鉛筆を色順に並べないと気が済まなかったけれど、色順に並べると、長さがバラバラになって気持ち悪くて、長さ順に並べると、配色が嫌な状態になるしで、どちらも満たされない思いと戦いながら、妥協を覚えました。
色にはその色の居場所があって、長さの不揃い加減は目を瞑ろうと。
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「発達障害を治す!」、「発達障害は治る!」という表現は、私は問題ありだと思っているのだけれど、その言葉を使っている本、団体、人は、一発で『怪しい』と見極められるので、わかりやすく『怪しい』と教えてくれてありがとう、くらいに思っておくのが良いと思う。
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息子が小さい頃、「発達障害を疑っている」と言うと、「お子さんを信じてあげて」とよく言われた。
発達の遅れや偏りに悩んでいるのは事実だったけれど、疑っているのは発達障害であって、息子のことは生まれてからずっと信じている。
現在、我が子は私にとって最高の息子に成長している。
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令和になった今でもベルマークが続いているの不思議。
働けば時給1000円はもらえる人たちが集まって何時間も集計作業して…
人件費はゼロ円だけれど、セロテープやホッチキス代、封筒代、郵送料金かけて、送って…
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父が「酸っぱくて、ゴロゴロしてて、鶏肉とか、そんな感じの食べ物、あれは、とても美味しかったから、また食べたい」と言っていて、私の中で『鶏肉』という言葉が頭にこびりついていて、なんだか全く想像できなかったけれど、認知症の母に聞いたら、「酢豚よ」と即答していて、すごいな…って思った。
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父の言うことは、想像力を働かせないとわからない。
母はだいたいで通じる。
認知症になっても、そこの機能は衰えないんだという発見。
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でも、あまりにもいい加減すぎて、会話が全く噛み合ってないことがある。
父「お汁粉作るんでしょ。」
母「そう。お餅は何個入れるの?」
父「2個」
母「鶏肉は入れていいの?」
父「鶏肉?!」
母「普通入れるでしょ。」
父「入れないだろw」
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私「お父さんはお汁粉と思っていて、お母さんはお雑煮と思っているから会話が噛み合ってない。お母さんが作るって言ったのはお雑煮で、それをお父さんがお汁粉って言ってるから、いつもテキトーな言葉を選択するからお母さんはお雑煮のことだと脳内で変換して会話しているから、噛み合わない。」
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私がいないとバチバチの喧嘩になる。
この二人、一緒の空間にいちゃいけない人たちなんじゃないかといつも思う。
なんで結婚したんだとは思わないけれど(結婚してみないとわからないからね)、なんで離婚しなかったんだよ💧とは毎回思う。
夫婦二人きりの生活に耐えられない人は離婚一択だと思う。
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支援者から、何の気無しに言われる「お子さんに寄り添ってあげて」という言葉に「すんごい寄り添ってるけど。これでもかっていうくらい寄り添っているけど。これ以上無理なんだけど。」という気持ちになっていた時期があった。
発達障害児の親には、すべての言葉が刺さる時期がある。
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育児をしない夫の愚痴を言うと『できない夫を育てる努力をしなかったお前(妻)が悪い』的なことを言う人がいるけれど、女性は誰かに育ててもらわなくても自力で母親になるのが当たり前で、なぜか夫となると妻に育ててもらわないと父親になれない人がいるのは謎すぎる。
夫を育てる義務は妻にはない。
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学校はプールは水温が低ければ中止にするのに、体育の授業はなぜか無条件で酷暑の中でもやるのよね…
時代に合ってなくても「今までこれできたから」と貫き通す文化、良くないよね…
昔の日本はここまで気温は上がらなかったし、教室に冷房ないのが当たり前だった時代と同じ対応で良いわけがない。
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私は息子が2歳の時、もしも失踪してしまったときのために、町中の人に私たち親子の顔を覚えておいてもらおうと思って、親子で街の清掃をしていた。
通り過ぎていく人に挨拶をすることで、声をかけていただけるようにもなって、「いつもありがとうね。」と言われるたびに息子は嬉しそうに笑った。
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当時、トングにハマっていて、パン屋さんではまだ持たせられないから、百均でトングを買って、息子にマイトングを持たせて、ゴミ拾いをして歩いた。
歩き始めが遅かったこともあり、長距離を歩かせるのには、何か動機が必要だったのもあって、ゴミを拾いは、ちょうど良い運動にもなった。
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街中で出逢う人と会話もするようになり、息子の表情は明るくなっていった。
私は当時育児ノイローゼ気味だったため、できるだけ児童館など、外へ外へでるように心掛けていた。人の目がある場所にできるだけ出掛けた。
ゴミ拾いはメンタル的に児童館へ行くには辛い時、ちょうど良かった。