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○おれの平日のルーティン
起床
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終わってるのに「終わってません」みたいな顔をして社会に紛れこむ
↓
帰宅
↓
自分はもう取り返しのつかない恐ろしいところまで来てしまったのだと気がつく
↓
絶望
↓
就寝(𝑮𝒐𝒐𝒅 𝑵𝒊𝒈𝒉𝒕)
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もうどうしようも大学
わたしってどうしたらいいです科
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Twitterの人はみんなスピッツとandymoriとカネコアヤノを聞いているのに、ふつうに生活していてるとまずこれらを聞いている人に出会うことはないという
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昔Twitterっていう面白いSNSがあって、ユートピアともディストピアともつかないような変なところだったんですけど、ある時突然パッと消えてなくなってしまったんです。その記憶だけはあるのに、具体的な手がかりは何もなくて、じゃあ全部妄想だったんじゃないかって、時々恐ろしくなったりもするんです
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はじめから何も持っていないのに何も失いたくない
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おれには自分と同様に将来の雲行き怪しい友人が2人いて、全員が人生につまずいたら3人で探偵事務所か何でも屋を開いて全部終わらすと決めている
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なんにせよ、自分がつまらない人間だと気づいて、そしてそのつまらなさを自身で引き受けることがきる、というのが一番はじめの最も重要なプロセスじゃないかと思う
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「読むこと/観ること」それ自体が目的化している時点で、もはやこれはただの強迫観念に過ぎないが、そういった大量摂取の段階を経ることで、荒い網の目の中に掬いとれるものが増えていき、ただ流し込むだけの「消費」から、なにかを味わう「浪費」の段階へと移行できるということはあるかもしれない
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おれがつまらない人間なのは勉強不足だからだ、読書量が足りないからだ、映画を観ていないからだ、と思って貪るようにコンテンツを消費している時期があったけど、別に何をしようとつまらない人間はつまらないままなんだということがただ鮮やかに浮き彫りになっていくだけだった
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今日も音楽を聴いてこの歌詞は自分だけに向けられた特別なものだと思い込もう。本を読んでこれは自分の事を書いた小説だと錯覚しよう。映画を観てこの作品を深いところで理解できるのは自分だけだと勘違おう
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タイムラインでよく「積ん読がやめられない」という悩みを見るが、意図して積ん読をやめる必要は一切ない。まだ読んでいない本が棚にあることは、いま死なないでいる理由になるから
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人生に意味がなくて本当によかった
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世の中には、なりたいものになった人と、なりたいものになれなかった人と、なりたくなかったものになってしまった大人がいる
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ちょうど同じくらいの時期にTwitterを始めて、特に連絡を取り合うわけでもリプライを送り合うわけでもなく、たまにいいねし合う程度の関係で、勝手に友人みたいに思っていた人たち。でも、突然何も言わずにアカウントを消して実生活に戻っていった人たち。今もどこかで元気にやっているんだろうか
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おれは内向的で自閉的な人間なのに、一人の孤独には耐えられないという傲慢さを併せ持つ
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星野源の書く歌詞の傾向からして、「たまに重なり合うよな僕ら」「うちで踊ろう ひとり踊ろう 」なんて絶対、演奏を自慰と性交に喩えた歌なのに、『うちで踊ろう』の動画が結構な社会現象になってしまって、今更「あれはオナニーの歌でした(笑)」とは言えなくなってしまったという経緯があると思う
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書店で働くようになってから久しぶりに梶井基次郎の『檸檬』を読んだら、棚から本を出しっぱなしにして積み上げたうえにそこに生の果物まで置き去りにしていてかなりやめてほしかった
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でも、周りの大人がマスクをつけているのがデフォルトな世界で生まれた幼児が見る夢はそうじゃないかもしれない。未就学児はノーマスクの夢をみるか?
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そういえば、夢の中だと誰もマスクをしていない
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苦しみって200色あんねん
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みんながもう「陰キャ」だとか「陽キャ」だとかで言い争わなくていいように、おれが一人の人間の中で明るい部分と暗い部分を完璧に両立させてみせる
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聞き間違いかもしれないけど、電車で赤ちゃんが「Everybody will die 」と言いながら泣いていた
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「頑張らなくていいんだよ」みたいな励ましを真に受けすぎて、悪意ではなく、人の善意によって破滅してしまうかもしれない
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パチンコとか煙草とか、そういうものとちょうどいい距離感で付き合えている人 クールで憧れる。おれみたいな変な潔癖主義の人間は、これはやる/これはやらない、で最初から分けて考えてしまうから