351
おれは何をやっているんだろう……
↓
いや、おれは何もやってないからこうなってるんだった
352
冷たい水をください
できたら氷入れてください
353
2018年が5年前なの信じられない。信じないし
354
映画を半ば無作為に選出して観ていくと大概は退屈なものになるけど、それでも、「ああ、自分はこの映画を観るために生まれてきたんだ」って本気で思えるくらいの作品に巡りあえることがあるから、そのひと握りの煌めきとの出会いを求めておれは毎晩ここで祈るように映画を観続けているんだ
355
「あれはまちがいだった。あれはまちがいだった。世界を変えるための呪文を本屋で探そうとしたのはまちがいだった。どこかの誰かが作った呪文を求めたのはまちがいだった。僕は僕だけの、自分専用の呪文を作らなくては駄目だ。」
(穂村弘『短歌という爆弾』, 小学館文庫 , p292)
356
結局なんでも全部続けられるかどうかだから
357
明らかに自分の身体にとって害のあるものを避けようとしない、気にかけない、あるいは酒やタバコのように自らすすんで摂取する、そういった姿勢を無骨で「カッコイイ」とするコード(規範)がたしかにあって、これは"自虐的ナルシシズム"とも言い換えられるものかもしれない
358
毎日苦しくて、楽しくて、寂しくて、かけがえがなくて、意味がなくて、いとおしい
359
「わたし君の色が大好きな生き物なの。君の仕草や考え方の癖や声の抑揚のつけ方やそこにいる感じが好きなの。それが好みなの。だから何ができるかってあんまり関係ないんだよ。」
(『青野くんに触りたいから死にたい』, 椎名うみ)
360
おれは誰ともぶつからないでいるのが賢い生き方だと思ってたから、怒るべき場面でいつもそれをスルーしてこの歳まできてしまった。でもそれが間違いであることに大人になってようやく気がついた。と同時に、そう気づいた時にはもう、どうやって人に気持ちをぶつけたらいいのか忘れてしまった
361
ホラーでよくみる「結局いちばん怖いのは人間でした」というのはウソ。アニサキスの方が怖い
362
「およそ不幸というものは一つしかない。───自分に対する好感を失うことである。自分が自分に気に入らなくなる、それが不幸ということなのである。───」
(トーマス・マン『道化者』)
363
創作やその発信は基本的に、「うまくできない」「うまく書けない(描けない)」「うまく作れない」という諦めを自身で潔く引き受けるところからしか始められない。うまくなってから、と架空の第三者に言い訳をしているうちに日は暮れ、時は過ぎ、とうとう一生が終わってしまう
364
コロナが最悪であることには変わりないけど、ただ自分が怠惰なだけで停滞して無茶苦茶になっている種々のことが、コロナ禍にあっては「まぁしょうがないよね」といった感じで広く許容されており、そうして与えられたモラトリアムによって少しだけ救われているという側面も否定しきれない
365
写真があんまり好きじゃないのも、容姿がどうこうというよりもまず、自分が他人として存在する世界を"私"が見ているという気持ち悪さへの違和感が大きいかもしれない
366
なんでおれがおれのことを大事にしないといけないのをお前が決めるんだよ。好きにさせてくれ
367
368
369
あとは、自分の中にある攻撃性を他者に投影して勝手に"想像で"傷ついているというケースも多いように思う。明確な悪意を持って向かってくる人間なんてそんなに多くないし、そもそも世の中の人はその場のノリで結構適当に喋ってるから、他人のそんな曖昧な言葉でわざわざ傷ついてやる必要ないんだよね