原作を少し読んでいたので、ドラマ化の配役が発表された時には「いや、久能整は菅田将暉ではないでしょ」と思ってたのにめちゃくちゃよかった。菅田将暉さんのどんな役も自分のモノにする感じ、本当にスゴい。 #ミステリと言う勿れ
「他人の幸せに難癖をつけて攻撃したところで、自分が幸せになれるわけではない」ってのに気づかないのは愚かだなあと思ってたけど、おそらく、彼らは誰かが幸せになると自分が「損」したような気分になるタイプであり、相手に不快感を与えることで己の「損」を回避しようとしているんだと思い至った。
赤の他人の日常ツイートにイラつく時には、大抵が自身に潜むコンプレックスが刺激されてるだけなので、相手を攻撃するのではなく、自分と向き合って滝にでも打たれた方がいいと思ってる。
他人の幸せツイートにイラついた時には「はい、これ嫉妬。完全に嫉妬。完全に羨ましいヤツ。ああああああああマジで羨ましい。死ぬほど羨ましい」と素直に認めるとスッキリするのでオススメ。
私の場合、同じツイートを読んでも、自分が満たされている時には「わ~素敵。よかったね~」と祝福できるのに、調子の悪い時には「mixiにでも書いてろよボケ」と突き指せんばかりの勢いでブロックしてしまうのでメンタルの具合にもよると思う。いずれにせよ、他人を攻撃するのはお門違い。
「〇〇ちゃんはXXを持っててズルい」など、相手が不正をしたわけでもないのに「ズルい」を使った時には「それは『ズルい』ではなく『うらやましい』です。リピートアフタミー、『うらやま~』」といちいち訂正する業務に携わっている。
下校途中と思われる男子小学生のグループが「え?こうじゃない?」「そうじゃないって!こっちの手でこう」などと言いながら「のりのり のりのり のりのりまさのり」の動きを一生懸命練習してた。錦鯉、完全に売れたと思った。
「他人の幸せに難癖をつけて攻撃したところで、自分が幸せになれるわけではない」とずっと思い込んでたんだけど、”幸せな人間”を殴ることでギンギンになってしまう特殊性癖の持ち主が存在するぽいので気を付けたい。
「お子さん高校卒業したのね。大学はどこ?」「妊娠しても仕事は続けるの?」はアンコンシャスバイアス。この手の無意識な決めつけをせず「新しい門出にあなたはどんな選択をしたの?」と聞きたいですね、って記事。そもそも他人にそんな質問するなよ、「聞きたいですね」じゃねえよとしか思えなかった
「交際8ヶ月で結婚!?早っ」と思う人もいるだろうけど、結婚なんてのは我に返ったらできないので交際8ヶ月くらいの脳内お花畑でラブラブチュッチュのアッパラパーな時期に役所に駆け込むのが正解だと思ってる。
何故か炎上した幸せなご夫婦の素敵ツイートのせいでどうしてもリンツが食べたくなって公式サイト見たら、人気フレーバーの詰め合わせセットが送料無料だったので即買いした。「ツイッターが炎上すると私が肥える」というバタフライエフェクト。lindt.jp/c/collection/9…
「どうせあの葡萄は酸っぱくてまずい。誰が食べてやるか」と勝手に思うだけなら無害だけど、「あんな酸っぱい葡萄を食うやつはバカ」と人格否定したり「え?甘いですよ?」と楽しんでる人に「いや、その葡萄は酸っぱい。お前は洗脳されてるだけ」と言い出す輩がいるので世の中から戦争がなくならない
ある子が天パの同級生に「クルクルしてて可愛いね」と褒めたら、(その子にとっては天パがコンプレックスだったらしく)大泣きされて学級会が開かれる騒動があったらしい。たとえ好意でも他人の外見に言及するのはよろしくない、ってのは大人でも分かんない人がいるので先生も大変だろうなと思った。
「見ただけで妊娠」でお馴染みのオダギリジョーのキスシーンなのにエロさが微塵もなくてスゴい。額の傷だけではなく、るいの心の傷を全部包み込むようなそれこそお日様のような温かい抱擁だった。#カムカム
新刊「親になってもわからない」(2/2発売)絶賛予約受付中。「毒親の子は毒親、になってしまうのか」その呪縛から解放されるために悩みながら模索する日々を綴った初の子育てエッセイ本です。佐藤二朗さんに最高の帯文を書いていただきました。ぜひご予約くださいませ! amzn.to/3GsoKKp
これ、補足ですが「外見」とは「生まれつきで変えられない見た目」のことで本人が選択したファッションや髪型、メイク、持ち物なんかを「いいじゃ〜ん」というのは全然ありだと思ってるし、どんどん言っていきたい。
「息子が彼女を家に連れてきたら焼魚を出して魚の食べ方を見てジャッジする」って話、いろいろとヤバいところしかないんだけど、とりあえず自分がジャッジする側と信じて疑わないのがヤバい。「うわ、ここんちの親、下処理してないじゃん。ないわ~」と自分が彼女にジャッジされる可能性も考えてほしい
東大刺傷事件の犯人は医師になる為に東大を目指していたらしいけど「別に東大じゃなくても医者になれるじゃん」と考えられないくらい視野が狭まっていたのだろう。「人生には色々な選択肢があるし、そのどれを選んでも尊重するよ」と言ってくれる大人が傍にいれば救われたのかもしれないと思ってしまう
彼にとって東大に入るのはあくまで医師になるための「手段」だったはず。手段を目的化することの危険性を改めて実感する。
中受に向けて毎日夜遅くまで勉強してる子を知ってる。ゲームもテレビも禁止、友達と遊ぶ暇もない。親からは「勉強が大好きでいつも楽しく塾の宿題をしてる」と聞いてたけど、ある日「ゲームがしたい」と突然泣いたことがあったそう。自分の本当の気持ちがわからなくなってるんだろうなと思ってしまった
東大刺傷事件のニュースを見た夫の「そもそも必死になって勉強しなきゃ合格できないような学校に入ろうとするのが間違い。入学した後もずっと必死に勉強しなきゃならないし、学校生活なんも楽しくないじゃん」ってコメントがなぜか私に思いっきりブッ刺さってしまう事案が発生。
体育が常に5の人に「努力すれば必ず結果が出るから勉強は好き。いくら努力しても結果が出ないから運動は嫌い。あれは生まれつきの能力」って話をしたら「逆だろ、それ」と指摘されて目からウロコが落ちたことがある。「勉強できない人=努力をしない怠惰な人間」と思い込んでたの、本当にヤバい。
全速力で走ったのに「真面目にやれ!ふざけてんのかバカ!」と体育教師に怒鳴られて「マジでクソ野郎過ぎる」と思ったことがあるんだけど、成績が上がらないと愚痴る同級生に「真面目に勉強すればいいじゃん」と思ってた私も完全に同類。
私は何事に関しても実力以上に必死で頑張るクセがあってそれが美徳だと思ってるんだけど、夫は「俺は頑張らない。そこそこやってそこそこで生きていく。高望みするから疲れるんだよ。身の丈大事」と言うような人間なのでたまに本気でビックリする。
幸せになるために頑張ってるのに、寄せては返す「ツラい」「キツい」「めんどくさい」と闘ってるうちに自分が何を求めてるのかわからなくなる。「幸せってなんだっけ?なんだっけ?ポン酢しょうゆのある家さ」の深さに今更気づく始末。