親にやることなすこと否定されて育ってきたので、誰かに自分の気持ちを素直に伝えることができない。どうしても「拒否されるんじゃなかろうか」と不安になる。そのせいか、ナウシカの「ほら、怖くない。怯えていただけなんだよね」のシーンで毎回涙ぐんでしまう。キツネリスの気持ち、めっちゃわかる。
ナチュラルボーンコミュ障なので、「わかる」「頑張って」「応援してます」みたいな気持ちを伝えたくて何度もリプライを書いては消しを繰り返すんだけど、「うわ、きっしょ」と思われるのではないかと勇気が出ず、結局「いいね」を付けるだけで終わりがち。
大豆田とわ子の「人生に失敗はあったって、失敗した人生なんてない」「別れたけどさ、今でも一緒に生きてる」のセリフがまんまマクベスの3人にも当てはまっていた。日々、後悔の連続で隙あらば人生を終了させたいと思ってる私がこの2作にずっぽりハマったのは必然だなあと思った。#コントが始まる
「出没のクマ、交尾期にオス同士の争い負け市街地に逃げてきたか」の見出しに涙が止まらない。
札幌の市街地にクマが出て襲われた人もいるのに「見守り登校」をさせているらしいんだけど、いくら大人でも丸腰の人間がクマに太刀打ちできないだろうし、食われるのを見守るくらいしかできないと思う。
10近く年下の女性との会話から誕生日を推測してプレゼントを買ってくるというキショさ極まりない行為も坂口健太郎だとなんとなく許されてしまう。「人間は所詮顔」の現実を突き付けてくる朝ドラ。#おかえりモネ
大皿の料理が少し残ると小さな皿に移し替えて保存するんだけど、夫は大皿にそのままラップをして冷蔵庫に入れようとする。私は「無駄にスペースを食うのがイヤ」で夫は「洗い物が増えるのがイヤ」。どちらも己の主義を押し付けないので揉めることはないが、互いに相手を「意味わからん」と思ってる。
すべての人のありとあらゆる生き方を全肯定する最高のドラマだった。#大豆田とわ子と三人の元夫
専業主婦で一番しんどいのは、給与が発生しないことでも、社会から断絶された孤独感でもなく、「家事も育児もちゃんとやって当たり前」と思われがちなところだと思ってる。
どうやら私には省略癖があるらしく「え?なんで今その話?」と呆れられることも多い。たとえば「今日は雨だね」に対して「ファインディングドリー」の話を始めたりする。雨→八代亜紀→そういやドリーに八代亜紀出てたっけ、の発想。頭の中で常に連想ゲームが起きてるので、聞き手をポカンとさせがち
保護者の留守中に不登校の小学生男児を自宅から無理矢理連れ出した担任教師、「これが正しいと思った」と供述してるらしいけど、下手すりゃこの児童を死なせた可能性がある。懲戒免職ものだと思う。
家族でも友人でもないのに、死産したばかりの人に「赤ちゃんはお空に忘れ物を取りに帰ったんです。きっとまた戻ってきますよ」と声を掛けられる人、きっと善意100パーなんだろうなと思うと何とも言えない気持ちになる。
道で転べば「ほら、ちゃんと前向いて歩けって言ったじゃない」、風邪を引けば「寒いのに薄着なんかしてるから」などといちいち責めるタイプの親に育てられたので、いまだに身体の不調を誰かに告げるのを躊躇してしまう。
「親に怒られるから」と、車にはねられたことを黙ってたっていう子供の話を聞いて驚愕。ケガや病気をすると叱るタイプの親御さんいるけど、下手すると命に関わる行為なので本当に危険。
「やっぱあの時ああすべきではなかった。今更後悔が止まらない」とグズグズしてたら、夫が「過去の選択は全部『正解』なんだよ。『選んだ』ってことは少なくともその時点では自分の中で『正解』だったはずなんだから、それでよし。はい終了。で、夕ご飯は何食べる?」と言い出して強かった。
母親に対しては、育ててくれたことには感謝してるけど、もうほんとにぜんぜん好きになれない。同じクラスにいたら絶対に友達になれないタイプ。大人になっても「お母さん大好き」と言える人が心底うらやましい。「家族が大好き」と思えるのって本当に幸せなことだと思う。
「大豆田とわ子と三人の元夫」「コントが始まる」は何度見ても新しい発見がある途轍もない名作だと思ってるんだけど、視聴率は低い。おそらく、ながら見できない”わかりづらさ”も原因のひとつだろうけど、視聴率を重視するあまり、この手の”わかりづらい”ドラマが淘汰されるのだけは勘弁してほしい。
アマゾンにはよく「読んでないけど作者が嫌いなので☆1」みたいなクソレビューがあるけど、この前、とある小説の評価に「あまり面白くはなかったですが、梱包がとても丁寧だった」と星5つにしてる人がいて、さすがにいい加減にしてほしかった。
そんな私ではありますが、フォロワーの方から「もー、ほんと大好きです!最高です!!ずっと応援してます!!」とメッセージをいただいた直後にブロックされたのは、さすがに混乱した。
そもそも「フォロー」は自分の読みたいものを選ぶ「定期購読」と解釈してるし、リムられても「飽きたんだろうな」くらいにしか思わないんだけど、「フォロー=お友達」感覚な人はいろいろとめんどくさい感情がわいてしまうんだと思う。
いちいち「フォローを整理させていただきます」とツイートしてからリムーブする人がいるらしい。本人としては生殺与奪の権を握ってるつもりなんだろうけど、単なる失礼な人にしかみえないし、「これから屁をこかせていただきます」と宣言してから目の前で屁をこくのと同じようなもんだと思う。
たまたま見掛けたツイートが面白くてフォローしようとホームを見に行くことがあるんだけど、リツイートだらけでいくらスクロールしても本人のツイートに辿り着けないことがある。「ツイート」「ツイートと返信」の他に「純度100パー本人による渾身の面白ツイート」タブが欲しい。
「多様性を認めよう」だと「いや、認めん!」と反発を食らうことがあるので、「みんな違ってどうでもいい」くらいの気持ちでいるのがベストだと思ってる。
今の若い人たちに「ちょっと前まで、恋愛して結婚してマイホームを購入して子供を生んで老後は孫たちに囲まれて年金を貰いながら悠々自適に暮らすのが『平凡な人生』だったんだよ」って言っても絶対信じてもらえないだろうな。
「老後は緑に囲まれた静かな田舎でのんびり暮らしたい」みたいなことを言う人いるけど、足腰弱ってヨボヨボなのに、近所に病院もスーパーもなく、最寄りのコンビニは10キロ先だったりするのはだいぶ厳しいし、私は老後こそ大都会に住みたい。