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現在の日本の大衆の革命運動や反体制に冷淡なのは、1995年のオウム真理教事件が分水嶺なのではないかと感じます。オウムは組織を作り武装化し国家転覆を狙うなど、革命運動のパロディのような側面があり、しかも国家が本気で潰そうとした点では極左セクト以上であった。
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たぶん日本人が頭で理解できても心で理解できないのは、力と強さに対するロシア人の感覚で、今回の騒ぎでプーチンが露わにした弱さが今後どのように転ぶのか、予測しがたい。
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敵陣営で反乱が起きて悪人同士の潰し合いがはじまるの、何十年も前から俺知ってるぞ。黒富野だ。
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合六先生、ミームの人になってたのか。
twitter.com/t_gordau/statu…
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2.26は首都の正規軍によるクーデタ未遂だったが、プリゴジンのあれは私兵集団が反乱して地域に割拠したわけで、比較するならむしろ西南戦争だな。
言い換えると我が国が150年前にそういうのを一掃して確立した近代に、ロシアはまだ立ち至っていない。
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ジェンダー・ギャップ指数で日本が125位だそうだが、ポーランドやオーストリアより上位の46位にエスワティニが入ってるのは何なんだ。
専制君主の王様が毎年数万人の処女を踊らせた中から嫁選びしたり、無理矢理さらった少女を後宮に入れちゃう国だぞ。
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情報収集のプロを自称する人は情報分析のプロではないから、いったん現場から離れてしまうと状況から乖離してしまい、ついには相手が意図的に与えたゴミを特ダネと有難がって垂れ流すようになり果てるんだな。
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鉄血も魔女も、企業が支配する新自由主義がもたらした、経済格差による犠牲への憤りが共通するモチーフとなっているのが、作り手が汲み取った今日的なテーマなですが、ウクライナがああなって国家間戦争による総力戦体制に回帰しそうなので、ガンダム次回作はどっち方向へ行くでしょうかね。
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広島会談とか広島宣言とか広島体制とか、どれかひとつはこれから生まれる子供たちの受験問題になりそうです。
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G7首脳とゼレンスキー大統領が一堂に会するというのは国際政治上、ヤルタやポツダムに相当する出来事で、しかもそれに広島の名が冠されるわけですな。
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三方ヶ原合戦は家康が、兵糧搬入に浜名湖水運を必須とする浜松城を本拠に選択した段階から勝負が決まっていた。そこが信玄の凄みで、家康は戦略の誤りの代償を血で贖う破目になったが、それは兵糧という計算可能な物理的要素に基づくもので、威信や民心といった曖昧な精神的要素ではなかったという。
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三方ヶ原合戦は考証の平山優先生が述べた「新説 家康と三方原合戦」の解釈が納得させられたんですよね。信玄の転進は堀江城を落とし庄内半島と浜名湖水運を制圧するおが目的で、浜松城の兵站戦が遮断されることに気づいた家康は、プライドではなく軍事的合理性の問題として打って出ざるをえなかった。
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ゆうき先生へのリプ見ると、私がすぐ連想したトラホームがほとんど出てこないのに驚いたが、数多の日本人の視力を奪い恐れられた国民病が知られなくなったこと自体、戦後日本の保健衛生政策の成功の証なのだろう。
twitter.com/masyuuki/statu…
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@dragoner_JP 現状の精度では無罪判決で身柄を解放されるわけではなく、殺人・放火など重大な触法精神障害者を専門に扱う病院への入院措置となりますね。被告の病状によりますが、生きてる間に退院できない可能性もあります。
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本当にもうね。左翼を標榜するならきちんと理論に依りなさいよ。そりゃ空理空論に堕することもあったけど、理論的であることが右派に対する強みであり、時に政策に反映される成果を生み出すこともあったのだから。感情拗らせるままロシアの提灯持ちなんて左翼とは呼べないでしょう。
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いまだに寝言言ってる人がいますが、いったい社会主義理論のどこに財閥資本オリガルヒや反動的暴力装置シロヴィキを肯定する根拠がありますか。クレムリンの掲げる戦争目的なんて、遅れてきた帝国主義戦争じゃないですか。
いまのロシアを擁護するのは左翼ではなくてファシストでしょう。
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「人形用乳母車」や「三輪車」って、回転部に組み込まれたベアリングの規制じゃないかな。
twitter.com/NissoBoeki/sta…
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にもかかわらず「二百三高地」の評は、乃木愚将説に立つ「坂の上の雲」に引きずられたものが非常に多い。これは映画解説者や批評家を含め、いかに「二百三高地」という映画がまともに鑑賞されていないかという証左でもあります。
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誤解してる人が多いですが、「二百三高地」と「坂の上の雲」は別物です。司馬遼太郎と無関係な企画であり、しかも脚本の笠原和夫は雑誌「シナリオ」のインタビューで、史実を調べるうちに司馬と異なる乃木像を抱くに至ったと明確に述べています。
twitter.com/ka4eB4PljMPDNi…
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乃木希典は帝国の無人格な模範ではなく、その終焉にあたり一個の人格として国家の規矩を逸脱した。乃木神社の設立は、この扱いに困る異物を何とか忠君愛国の裡に封じ込めようとした国家の思惑とも見ることができるだろう。
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乃木の前近代的な殉死は国民に衝撃を与えたが、同時に子供を喪った乃木家の断絶を遺言したことは政府を困惑させた。一身の意思による乃木男爵家の廃絶は、明治国家の築いた官制と栄誉の秩序に対する逸脱であり、反抗だったからである。
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戦争で犠牲を払った民衆にとって、息子を失った父親である乃木は、エリートとして戦場行きを免れたインテリたちよりも近しい存在であった。
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息子を二人ながら戦場で喪い、漢詩で「愧(は)ず我何の顔(かんばせ)あって父老に見(まみ)えん」と兵士たちを死なせた自己を責め、西南戦争中の連隊旗喪失を殉死の理由に挙げた乃木は、軍国日本の栄光ではなくその犠牲と悲惨の担い手であった。
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司馬遼太郎「坂の上の雲」の以前から芥川龍之介「将軍」のように、乃木は意識高いインテリから嫌われ冷笑されると同時に、日本の民衆から最も人気のあった軍人であった。そして鶴見俊輔や橋川文三といった近代思想の研究者は、その事実を軽視しなかった。
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乃木神社への参拝がただ軍国主義と関連づけて批判されているのを見るに、かつての日本人にとっての「乃木将軍」は忘れられて久しいのだなと思った。