ネットでなら中傷もOKじゃなくて、むしろネットに書き込んだものこそ確実に残ると思った方がいいよね。実際一度ネットに書いたものは削除しても履歴に残るし、専門家が調べれば匿名でも足がつく。後から情報開示依頼して訴訟もできるし、対面でボイスレコーダー取られるよりリスクあるものなんだよなぁ
なんでもかんでも自分のせいにしがちな人、実は「自分が悪にならないと他の皆が悪になってしまうから」という理由でめちゃめちゃ優しい人の場合あるんだよな。「あの人のせいで」と誰かを憎むより、自分が悪かったことにして背負い込む方が楽だったり。人に向ける優しさは自分にも向けてあげられたら
Twitterのブロック機能、「あなたはブロックされています」って出なくなればいいのにな。ブロックしたらその人のアカウントごと表示されないようにすれば「こいつにブロックされましたw」っていう謎の晒しも「あれ…?私気づいたらブロックされてた…?」っていうショック事故も大分回避できると思うの
誰かに愛されようとする前に、まずは自分が自分を愛すること。認めてあげること。 何かができるから自分を認めるんじゃなくて、何も無くて何もできなくて、足りなくて矛盾だらけでも、弱さも全部ひっくるめて「これも今の自分なんだな」って認めてあげることが大事な一歩なんじゃないかな。
脳は考える通りに影響を受けるから、良くない考えはどこかで断ち切らないといけない。 でもここで絶対にしちゃいけないのが「蓋をする事」「見ないふりをする事」 まずは口に出すなり書き出すなりして、ちゃんと受け止めてあげること。その上で、その感情にしっかりケジメをつけてあげる事が大切なんだ
最近の目標は「楽しくやること」 つい何でも「ちゃんとやろう」だとか「完璧にやろう」とか、できもしないのに120%を目指して疲れちゃうから、ちょっと目標転換。人の目や評価は変えられないけど、自分の気持ちなら自分で変えられる。自分が「またやりたいな」と思えるくらいの気持ちでやってみれたら
自分が倒れたら他人を助けることもできない。自分を疎かにして、他人ばかり何とかしようとしても仕方ない。だから自分を省みること。自分が満たされていれば分けることができるし、自分が揺れなければ誰かを支えることができる。自分を守ること、作ることは、大切な誰かを守ることにも繋がるから。
生きていることが前進すること。今は無力で、自分には何もできないように感じる時があっても、人は生きている限り前進している。今できないことは10年後には軽々とできているかもしれないし、今悩んでいることはちっぽけに見えているかもしれない。心臓が無意識で鼓動するように、人は毎日勤しんでいる
知ろうとする人は知れるし、理解しようとする人は理解できる。勿論それには努力が必要で簡単な道ではないかもしれないけれど、やろうとする心を持つ人には道が開かれている。一番難しいのは、知ろうともしない人に知らせ、理解しようともしない人に教える事。世界を広げるも閉ざすも鍵は本人なんだよね
成功者は時に「自分はこれで成功したから、あなたもできるよ!」と言いがちだけど。成功したからといって自分のやり方・考え方を他人に押し付けることはできないし、それが万人に通用するとは限らない。ゴールまでの道のりは1つじゃないし、進むペースも人それぞれ。みんな大事な個性なんだよね。
疲れている時は、休むことが仕事。 倒れている時は、回復することが仕事。 疲れているのに「もっとやらなきゃ!」と限界を超えて働けば倒れるし、倒れているのに「こんなんじゃダメだ!」と他のことをやろうとすれば回復までの時間が増えてしまう。時には休むこと、回復に専念することも立派な仕事だよ
「コロナに感染したら謝るべきか?」という質問には大半の日本人が「そうではない」と回答したのに対して、「自分が感染したら謝るか?」という質問にはYESと答えた人が大半だったというのを聞いて興味深いなと。謝るべき時に謝罪することは美徳だけれど、日本は必要のない謝罪も溢れているのかもなぁ
「ごめんなさい」より「ありがとう」を意識してみよう。よっぽどやらかした時には謝罪も必要だけど、基本的には「ごめん」より「ありがとう」の方が言われて嬉しいもの。「迷惑をかけて申し訳ない」と思うより、「おかげさまで良くなりました!」「次この人が困っていたら自分も力になろう」と思えたら
「自分に厳しく他人に優しく」って言うけど、自分に厳しいと無意識に他人にも厳しくなってしまうんだよね。「自分は我慢しているのになんで」とか「あいつだけズルい」とか。不平等な優しさ、犠牲になる優しさよりも、お互いがハッピーでいられる優しさでいいんじゃないかな。自分にも他人にも優しくね
なんか頭が重いな〜朝シャキッとしないなぁ〜と思ってた時にこれやったら、めちゃめちゃスッキリしたのでおすすめです!!!!!30秒間、この姿勢で頭のてっぺんのツボを刺激してあげるだけで朝の快適度が爆上がりしました…ほんとおすすめ…つらい人ぜひやってみてください…!
「この人のためにがんばろう」って思える存在が一人いるだけで人生は変わる。べつに命までかけなくても、笑ってほしいな、悲しませたくないな、幸せでいてくれたら嬉しいなって思えるだけでいいんだ。その心ひとつあれば間違った道も踏みとどまれるし、つらい時も諦めない力になってくれるから
誰かを大切に思う心は自分の活力になるけれど、相手に押しつけるものじゃあない。「この人がいるからがんばろう」と自分を奮い立たせるためには使っても、「あなたのためにやってあげたのに」と押しつけると歪んでしまうんだ。自分の心は相手に認めさせるんじゃなくて、自分自身が認めて大切にできたら
趣味でも何でも、「やりたい」が「やらなきゃ」になった瞬間から苦しくなるんだよね。やりたい心って貴重に思わないと案外あっけなく変質してしまうもの。好きでやっていたことが苦しくなった時は、自分を振り返る機会なのかもしれないね。
問題を乗り越えるという道があるのなら、問題を手放すという道もあるよね。「乗り越えなきゃ」と思っていた壁が実は立ち向かわなくてもいい壁で、ぐるっと方向を変えたら別の道が見つかる事もある。やらなきゃいけない事が上手くいかないなら方法を変える事、やらなくてもいい事なら手放すのも道なんだ
もっと失敗に寛容な社会になったらいいよね。失敗ができない社会は、挑戦ができない社会と同じようなもの。失敗ができない分、失敗を隠す人だって増える。失敗には反省がつきものだけど、誰かの失敗を他人が叩いていても仕方がない。無責任に叩くくらいなら、次どうするかを一緒に考えられたらいいよね
以前「パンケーキおいしかった!」とツイートしたら「私は病気だから食べられません」とリプがきた事がある。その時、誰も傷つけない言葉なんてないんだなと気づかされた。誰も傷つけない事を考えたら何も言えなくなるし、言葉は話す側の責任100%じゃなくて、聞く側の受け取り方50%で半々なんだなと
がんばったら、自分にごほうびをあげてね。「がんばっても報いてもらえない」と思える時には、いっとう自分にやさしくしてあげてね。みんなが認めてくれても自分が自分を認められなきゃ苦しいし、たとえ分かってくれる人がいなくても自分が自分を認めてあげられるなら前に進めるから。
世の中なに言っても反省しない人もいるけどさ、放っておけば自分で勝手に反省してくれる人も多いじゃん。相手は怒ってないし、なんとも思ってないのに謝っちゃう人とかさ。そういう人がミスした時は追い討ちのように責めたりしないで、見守ってあげられたらと思うのよね
誰かの幸せを妬んだところで、幸せは返ってこない。誰かを蹴落とせば自分が幸せに思えるのは錯覚で、むしろ足を引かれて一緒に落ちていくこともある。幸せは誰かと比べるものじゃないし、他人から評価されるものでもないんだ。自分の心にストンと落ち着いて、人に揺すぶられないような幸せを持てたら
Twitterやってるとたまに「最近リプできてなくてごめんね」ってくるんだけど、全然〜〜〜自由にやっておくれ〜〜〜と思うよ。 やりたくない時はやらなくていいし、なんなら1年以上ほったらかして何事もなかったかのようにまた絡んでもらえても嬉しいし気楽にできたらいいよね。