失ってはじめて気づくよりも、いつも感謝して過ごせたらいいよね。今あるものを当たり前だと思わないこと、過去それを得るために苦労してもがいたこと、手に入れて本当に嬉しかった最初の心を忘れないこと。物も人も価値を忘れるほどに錆びついてしまうから、大事なものはいつも感謝して磨いていけたら
誹謗中傷が悪いとか訴えられるとか以前に、他人の悪口を言う自分が嫌だし、わざわざ嫌いな人のために時間を使うのがもったいない。人の顔って嫌味や悪口を言う時は歪んでしまうし、誰かをほめたり好きなものの話をする時は輝いているもの。せっかくなら表情美人になって生きたいよね。
自分と異なる立場の人をみて「どうしてそう考えるんだろう?」と思えるのは大事な事。でも話も通じないレベルの相手には「変な人もいるんだなー」と割り切る事も大切なんだ。脈絡のない悪意や誹謗中傷は、考えたところで意味も中身もない事が多い。「どうして」より「はいはい」が有効な事もあるよね。
これは実体験なのだけど、食べる事に対して「おいしい」とか「栄養がある」とか一切考えられなくなって「とりあえず空腹を満たす」思考になっている時は危険信号。忙しくてつい…という時もあるけれど、常習的になると心身崩して当たり前状態になる。「おいしく」食べるってとても大事な感覚なんだよね
当たり前って案外あっけないものなんだ。当たり前に過ごしていた日常が事故や予期せぬ出来事で崩れてしまったり、あの子は大丈夫と思っていた人が明日には大丈夫じゃなくなったり。いつもなんとなく享受していた当たり前が実はとっても価値あるもので。価値を忘れて手放さないように、大切にしたいよね
人ってされた事はねちっこく覚えているのに、してもらった事は簡単に忘れてしまうもの。家族でも友人でも、長く一緒にいる人ほど嫌なところも見えてきて、段々と不満がたまってぶつかってしまう事もある。でもさ、してもらった事も忘れたくないよね。一時の不満で過去の恩まで忘れないようにできたら
やったことは今すぐには返ってこないけれど、一番いい時に必ず返ってくる。こっそりした悪いことも、誰にも認められなかった小さな努力も、良いことも悪いことも必ずやった通りに返ってくる。報われないように感じる時の合言葉は「最後まで」。今だけをみて諦めずに、未来に希望を持てたら。
日本人の6割が低気圧で体調を崩すとも言われるくらい梅雨は過ごしにくい季節なので、気象病対策メモをのっけておきます。 ・水はゴクゴク飲むのではなく少しずつ飲む ・油っこいものやナッツ類の食べ過ぎに注意する ・豆類、瓜類、海藻類を積極的に摂る ・五苓散が効く!!!!!
つらい時だからといって「つらいこと」だけが来るわけじゃない。苦しい時ほど「とてもよい機会」もやってくるんだ。いい時には分からなかったことに気づけたり、悩みを通して成長したり、もがいたことで荒いところが削られ磨かれたり。過去も今この瞬間も、意味があるものにするかは自分次第なんだ。
最近はコロナのこともあるし、地震や水害もあるし、低気圧で体調優れない人も多いしでフォロワーさん元気かな…と心配になるけれど、ツイートやリプを見るだけで「あ!生きてる〜☺」と元気になるのでTwitterやってる人みんなえらい!!生きててありがとう!!
失敗したらマイナス、じゃなくて、失敗したら経験プラス1ポイントと思えたらいいよね。まずはやってみた事がえらい。やってみたからこそ、成功しても失敗しても学ぶ事がある。学んだ事は減らないし、1mmずつでも自分の中に積み重なっていく。失敗ポイントでも積み重ねれば、未来に引き換えられるから。
「うまくやろう」と思ってもなかなか腰が上がらない時は、「負担なくやろう」「楽しくやろう」に転換できたらいいかもね。「100%完璧に」と自分を縛っているなら「80%でもいいんだよ」と言ってあげること。「200%頑張らなきゃ…!」と思い込んでるなら「はい無理。20%でいいよ」と荷を降ろしてやれたら
好きだからこそ期待するんだけど、期待が重圧になってしまうこともあるんだよね。期待が相手を押しつぶす重圧になるか、背中を支える力になれるかの境目は、きっと相手をどんな姿でも受け入れられるかどうか。「こうなってほしかったのに」と刺さずに、できない姿も、理想とは違う姿も応援できたら。
頑張りすぎちゃってる時って、自分では気づけない事が多いんだよね。自分が今疲れているかとか、休憩が必要かって事に意識が向かなくて「もっとやらなきゃ」「ちゃんとしなきゃ」って考えで一杯になって倒れるまで走ってしまう。「もっと」「ちゃんと」と思う時には、限界を超えていないか振り返れたら
友だちが「しんどい〜」って連絡してくれる時、素直に嬉しいんだよな。頼られて嬉しいというよりは、つらい時につらいって言えるのは素晴らしいよなって。一番こわいのは、誰にも言えず知らないうちに押しつぶされちゃうことだよなって。「ウザがられるかも…」と思わずに、頼り頼られ生きていきたいな
がんばることはえらいけど、がんばれないことを責めないようにしようね。がんばってる人、努力してる人をひがむ必要はないし、今がんばれない状態の人を叩く必要もないんだ。「がんばらない」と「がんばれない」も別ものだしね。きっとがんばれない時は、それだけ沢山努力した証拠。休むことも仕事だよ
悩みを相談するメリットって、気持ちの問題だけじゃなくて「言葉に出すことで整理される」っていうのが大きいんだよね。頭でグルグル考えているだけじゃわからないことも、人に話すことで「あ、こうすればいいのかも」って自分に答えが浮かぶこともある。相談は甘えじゃないし、立派な解決手段なんだよ
「もっと切り詰められるだろ」とか「もっと我慢できるだろ」とか、より貧しく生きるのを追求するより、もっと心身豊かに生きる方向を求めればいいと思うの。「ヨソが食費2万ならウチも」とか「生活保護は最低賃金の月収より高いから減らせ」とか、最低を基準にしてたら貧しくなるばかりやん
「がんばらない」=「サボる/怠ける」とは限らない。まだできる力はあるけど、これ以上やったらキャパ超えちゃうな…って時は、がんばらない選択をするのも賢いこと。ついがんばりすぎちゃう人は、「がんばれない」になる前に「がんばらない」を意識するようになれば大成長だよね。
心に余裕がない時、人や物に当たると「やってしまった…」って罪悪感でマイナスになるので、むしろ5分だけ掃除するとか人にやさしくするとかプチ徳を積んどいた方がいい。ただし、できなくても自分を責めないこと。できない時は休もう。休むことが仕事。
好きでやっていたことが、義務になっちゃうとしんどいよね。自分のためにやっていたのに、人からの評価とか承認のためになっちゃうと息苦しいよね。最初は軽かったのに、あとから段々「こうしなきゃ」「ああしなきゃ」って余計なもの背負いこんじゃってさ。重い時は一旦降ろしちゃってもいいんだよ
年に1回だけ帰省している人なら、親があと20年生きるとしたら会えるのはあと20回だけ。子どもの頃毎日一緒にいたことを考えると、大人になってから会える機会は意外と少ないよね。なかなか会いにくいこのご時世だけど、電話やおくりものはいつでもできる。生きている時を大切にできたら。
「あたりまえ」と思った瞬間、大切なものも大切に見えなくなってしまう。家族も、友だちも、大切な人もそう。「今さら失うはずもない」と思うと大切にできなくなって、大切にできなくなるといつの間にか手からこぼれ落ちてしまうもの。大事なものがそばにあることは、決してあたりまえじゃないんだね。
ずっと続くように思えた小学生の頃の夏休みはもう二度と体験できないし、傍にいる事が当たり前だったあの人はもういない事が日常になった。人はいつか、と頭ではわかっていても身近な人がいなくなった日常はそうなるまで中々考えられないもの。コロナを通して「当たり前」の価値を再認識させられたなぁ
ついにネット中傷で被告側が315万4千円もの示談金を払う事例が出た…!「ネットの書き込みくらいスルーしろ」「誹謗中傷が嫌ならSNSやるな」と、被害者側が我慢する時代から確実に変わってきてるんだなぁ…嫌なものは嫌と言える権利は誰にでもあるし、匿名の罪も代価を支払うことが当たり前にできたら