「あの時こうしていたら」という後悔や「なんでもっと良くできなかったんだ」と自分を責める期間もあっていいけれど、いつまでも後悔だけしていたら進めないんだ。 だから大事なのは、どこかで自分を許す事、後悔にケリをつける事。 「できなかった分こうしよう」と、過去よりこれからを大切にできたら
一生懸命やったけれども上手くいかないこともある。 それでも、やったことは無駄にならない。一生懸命だったことは1mmも無駄にならない。 行なったことに意味があるし、心を尽くした分、見えなくても自分に積み重なったものがある。 その時思い通りに報われなくても、あとになって得るものがあるから。
人は事故にあって救われたら感謝するけれど、もし事故にあうはずだった道を偶然通らなければ感謝もしないし気づかない。 偶然予定が変わって、偶然違う道を通って、起こらなかった事も沢山ある。 起こった事だけじゃなくて知らずに避けた困難にも感謝するようになれば、毎日感謝が尽きない人生なんだ。
人間なので自分と合わない人がいるのは当然なんだけど、それを「みんなもそう思うでしょ?」って他人にまで同意を求めるのは違うと思うんだ。自分がしっかりしてればサシでケリをつければいいこと。仲間を呼ばなきゃ戦えない相手なんて、ちっぽけな存在だと思えばいいよ。
機能不全家庭で育った人、自分はアダルトチルドレンかな、という人。たとえどんなに自信がなくても、今生きている事が一番すごい事だよ。子どもは大人に守られて育つもの、それでも周りに頼れる人がいなくたって必死に今まで生きてきたんだから、ものすごい事じゃないか。生きている事が一番の価値だ。
苦しい時には、自分一人でやろうとしていないか振り返ってみて。 誰だって自分の力だけでやることには限界があるもの。 一人で運べる物は一人で運べばいいし、二人で運ぶ物なら二人で運べばいいんだ。 一人で耐えることよりも、誰かを頼ることも立派な手段だよ。
自分と他人が違うことに怯えないこと。 他人が自分と違うことに驚かないこと。 私とあなたは違っていて当たり前だし、「なんで」「どうして」「こうすべき」と戦う必要もないんだ。 守るものは法律と思いやりの範囲で十分、勝手な正義や“当たり前”の言葉で、自分や人を責めないようにできたら。
友だちが…!!! すっっっっっっっっっっっっっっ っっっっごくかわいいマスクを作ってくれました〜!!!!! うれしいいいい〜!!! 感謝〜!!!!!(((o(*゚▽゚*)o)))
うまくいかない時の対処法 ・方法を変えてみる ・うまくできる人をマネしてみる ・繰り返しやってみる ・別のやり方を調べてみる ・相談してみる ・最後までやってみる そしてうまくいかない方がいいこともあると知っておくこと。 今思い通りにいかなくても、後でもっと良い形で実現することもあるよ
つらいこと大変なこと、何でもかんでも“今あるもの”と“自分一人”で解決しようとしなくていいんだよ。 分からないことは調べればいい、聞いてみたらいい。足りないものは作ったらいい、頼ったらいい。 頼っても冷たい人もいるけれど、皆が皆そうじゃない。 誰かに頼れる人が頼られる人にもなれるから。
できなかった事を数えるより、できた事を数えてあげたらいいよね。「朝起きれなかった…洗濯できなかった…」なんて自分を責めても気分が上がらないし、「今日はよく寝れて偉い!明日は洗濯もやっちゃおうかな」って思えたらいいんじゃないかな。自分を苦しめるよりご機嫌に過ごせる言葉をかけられたら
できなかった1つを見て、全てを決めつけないこと。 失敗したことは反省して次にいかせばいい。謝る人がいるなら謝って償えばいい。 でも失敗したことで自分の価値まで傷ついたりはしないんだ。 子どもが水をこぼしたからって、その子が無価値になったりはしないでしょう。 命の価値は変わらないから。
些細なことで罪悪感を抱きがちな人 ・午後ティーを午前中に飲む ・さけるチーズをさかないで食べる ・夜歯を磨いた後に何か食べる ・お風呂で10数えずに出る ・コアラのマーチの絵柄を見ないで食べる という大罪に比べたら全然軽いので安心してほしい。
コロナ終息のために今できる事は、決してドラッグストアの店員に「マスクないんですか?!」とわめき散らす事ではなく、医療従事者や運送業者の方々をウイルスのように差別する事でもなく、不要不急の外出を控え、手洗いうがいを徹底し、尽力して働いて下さっている方々への感謝を忘れない事だよね。
私の父は運送業だけど、毎日中古のトラックをピカピカに磨いて走ってるんだ。誰にバカにされたって生活に必要な食料やマスクや色んなものを毎日運んでくれてるんだ。そんな大事な人がいなくなったら私は娘として悲しいし、運ばれたものを必要とする人だって困るでしょう。差別じゃなくて応援しよう。
公共と私事をごちゃ混ぜにして「私が嫌」を「みんなが迷惑」とかに変換して強要するタイプには要注意。「この人嫌だな」と思うことは誰でもできるし距離を取るのも自由だけど、わざわざ「あなたのここが気に食いません」とか「こう変えてください」と相手を自分好みに変える権利は誰にもないんだよね。
心に余裕がない時ほど、食べる事、休む事を楽しむ意識が大切。 何かに一生懸命になるのもいいけれど、夢中になりすぎて生活が疎かになり始めると基盤が崩れ、やりたいことも崩れてしまう。 怒りや不満も同じで、頭いっぱいにグルグルしている時は、プツと風船に針を刺すように息抜きしてあげないとね。
感染症の影響で経済も揺らいでいる中、 “コロナを理由に突然「家賃を値上げします」と連絡がきた” というツイートを見た直後に “「不安な時期だろうから」と大家さんが来月家賃を2万円引きにしてくれた😭” と別のツイートが流れてきて、やっぱり緊急時の対応で人の中身は出るよなぁと…
外出自粛といっても出勤せざるを得ない人もいるし、コロナ疎開だめ!といっても介護や金銭的に実家へ戻らないと生活していけなくなった人もいる。 「あえてしない人」と「できない人」を無分別に叩くより、「できない人」はどう気をつけたらいいか、どう支えたらいいかを考えた方が建設的だと思うの。
コロナの影響で「体調不良でも出勤」がどれほどマズいのか浸透してほしいな… 必ずしも本人だけの問題じゃなくて、「出勤しないと経済的に苦しい」とか、「休んだら人手が足りない」とか原因は様々だけども、これを機に全職場環境や「無理して働くのが美徳」の価値観も変わったらいいなぁ…
自分に自信が持てない時は、今だけを見て落胆しないこと。 生まれたばかりの赤ちゃんを見て「この子は歩くこともできないなんて…」とガッカリする人はいないように、これから歩くことも喋ることも覚えていくから心配ない。 人生一生自分作りだから、過程をみてガッカリせずに希望を持って作ればいい。
1回目やってみて全くダメだったことも、2回目やってみると少し感覚が掴めてくる。3回目、4回目には手応えが感じられてきて、5回目にはできる希望が見えてくる。6回目、8回目、10回目…それぞれ差はあるけれど、繰り返すうちに「できなかった」ことが「できるようになる」ことは沢山あるよね。
手は作ろうと思っても作れない。 足は作ろうと思っても作れない。 心臓だって人の手では完全に作れないし、一度失ったら同じ命も作れない。 何ができるとかできないとか関係なく、一つしかない命は生まれた瞬間から貴重なのに、辛い時はそんなことさえ見失ってしまうんだよね。 私もあなたも貴重なんだ
どうして「自分には価値がない」なんて誤解して生きるのか。できないことも沢山あるけれど、できることも沢山あるんじゃないか。まだやってみたこともないこと、これからできることも山ほどあるんじゃないか。今だけを見て自分を決めつけず、足りなさだけを見て自分を誤解しないでほしい。
自己肯定感が低いのは本人だけの問題というより、親や周りの人の影響が大きいんだ。頑張って認められようとしてもボコボコに叩き潰されて、否定的な考えが当たり前になっていって。そうして認めてくれる人が現れても否定してしまったりするんだけど、それを受け入れる時が転換期になると思うんだ。