喧嘩しないのが友だちじゃないし 喧嘩してもまた付き合えるのが友だちなんじゃないかな。 同じ道を行くことが友情じゃないし 大切なものや目指すものは違っても お互いを応援できるのが友情なんじゃないかな。 自分や相手をがんじがらめに縛ろうとしなくたって、いいんじゃないかなって。
前にフォロワーさんが「熱が37℃で吐き気がひどい…でもこれくらいで休んじゃダメだよな」みたいに呟いててちょ待ってェ!ってなったんだけど、個人というより社会の問題が大きいんだよな 故障した車をそのまま走らせれば事故が起こるし、故障させない/したらメンテナンスが当たり前にできたらいいよね
何かを始める時には、 ほとんど必ずバカにしてくる人がいる。 上手くいっている時には、 嫉妬してくる人がいる。 だから「なんで」といって頭を抱えずに、 「そういうもの」と割り切って進めばいい。 本当に間違えた時には、 自ら立ち直れる謙虚さがあればいいんだよ。
できる人と比べて落ち込んだり、 できない人と比べて見下したり、 そういうの全部潔くやめちゃおう。 大丈夫、それ止めても人間ダメにならないからさ。 どうせ比べるなら、 「この人みたいにがんばろう!」とか 「自分も気を引き締めないとな」とかで十分だよ。
・花を活けられる ・着付けができる ・運転ができる ・料理が上手い ・食べ方が綺麗 ・早寝早起きができる ・絵が描ける ・文が書ける ・歌を歌える ・息をしている この辺り1つでもできる人見かけると尊敬してしまうし、今日も自分はすごいなと思いながら生きている。
できないことまで「できる、できる」と暗示をかけると負担になる でも何でもかんでも「できない、できない」と思っていても辛くなる 「やってみたらできるかもしれない」 「できなくても死にはしない」 「できなかったら次の経験値にしよう」 言葉のかけ方を変えるだけで 人生楽になるんだなぁ〜
ひとりじゃ背負えない荷物もあるよ お引越しする時も 片手で運べる荷物、 両手でやっと運べる荷物、 ひとりじゃどうにもできない荷物がある そういう時は、 ふたりで運べばいいんだよ 友だちでもいい、業者さんでもいい 大きな荷物もふたりなら大丈夫 心のお引越しにも 時には人手が大の切。
自分の弱さに向き合える ってすごいこと ただし、向き合ったからといって すぐに解決できるとは限らない 向き合うまでにも葛藤があって 向き合ってからもひと悶着、 ふた悶着、何十悶着とあって なんやかんやをやっと乗り越えて 進んでいくもんなんだ 焦りは禁物、 まず向き合った事が大きいんだよ
プライドは間違いを隠蔽する為じゃなく、 潔く過ちを悔い改めて名誉挽回する事に使えばいいと思うの 罪は償う 足りなかったものは補う できなかった事は人の手も借りてやる そうして間違いを改める事にも 少し寛容になれたらいいよね 罪も足りなさもできなかった事も隠していたら、何にもならないよ
心がむしゃくしゃーっとした時は、 自分が何に対して憤っているのか 指さし確認するといいよ 大した事に怒ってるなら きちんと向き合わなきゃならないし 大した事ないものに怒ってるなら 疲れているだけ→だからしっかり休めばいいんだ 私は今朝人生史上最悪に前髪カットを失敗してンもうッ!!!
私にとって大した事でも あなたにとっては大した事じゃない あなたにとって大した事でも 私にとっては大した事と思えない お互い人間だから、 ズレがあるのは仕方ないよね 大した事かどうかを決めるのは 体験した本人だけ 外野から「くだらない」と言わずに 「その人にとって」を大事にできたら
人を呪わば穴二つって言うけど 人を恨むのは単純に疲れる 目の前にいない時までその人の事を考える時間も勿体ないし わざわざ仕返しをするにも手間がかかる 他人をどうこうしようと考えるより ・反面教師にする ・スルースキルを鍛える ・ペンギン動画をみて癒される に変換した方が健康的だよね🐧
怒りのコントロールって大事 頭にカーッと血がのぼった時ほど 「この人に怒っても仕方ないよな」 「自分を責めても変わらないな」 と心にひと声かけてみよう 相手も立場上仕方なかったり 状況環境タイミング、 人にはどうしようもない問題も沢山ある 怒りに振り回されると 自分が疲れちゃうからね
自分が普段から我慢している事は「なんであなたは守らないの!?」と他人に対しても厳しくなるし、自分が誰かに許してもらった事は「まあ私も許してもらったしな」と他人にも寛容になる。 自分に厳しく人に優しくは実際のところ難しくて、自分にも他人にも優しく生きられたらなと思う今日この頃です
コロナによる経営難で内定取り消しってニュースを見て、「あれだけ時間もお金も労力もかけて手に入れたのに辛いよな…」と思いつつ、「でも何かあったら真っ先にお前を捨てるような奴と一緒になるより良かったじゃないか。他の選択だって星の数ほどあるぜ!」となってあれ…これ…失恋を励ますやつ…?
義務教育で学んだ中でも「和を以て貴しと為す」って言葉は好きなんだけど、時に「和を尊重するあまり和にそぐわない異物は排除する」って真逆の排他主義になるのは怖いなと 皆と違う人を叩くのを娯楽とする人もいれば、正義だと信じてやる人もいて 異なる人とも尊重し合う事が本当の和なんじゃないかな
つらいことがあった時、 「もう嫌だ、もう終わりだ」と思えば 自分が苦しい 「ここから学べることがあるかもしれない」 「何か意味があるのかも」 「この経験を次にいかそう」 と思えば、自分が楽だ 痛いこと、つらいことに目を瞑って 否定はしなくても、 真正面から優しく向き合うことはできるから
許されたいと思うなら、まずは自分が許すことからだなぁ。 憎らしかった誰かを許すこと、自分自身を許すこと。 許すという言葉が負担なら、重たい荷物を手放すと考えたらいいのかも。 「ここまでよく背負ってきたね、おつかれさま」ってね。
わざわざ「してやった」と言わなくても誰かにしてあげた事があるし、してもらった事が沢山ある。 当たり前の事、毎日の事、何気ない日常の事。 そんな小さな感謝に気づける人でありたいな。 気づいたらその場で感謝を口にできる人でありたいな。 いつか言おうと思ってる内、伝えられなくなっちゃうから
嫌なものは嫌と言える勇気も大切だけど、嫌なものを嫌と言える空気も大切だよね。 嫌を言えない空気って息苦しくなっちゃうし、そんな空気出されたら私は読まずにゴリ押ししますけれども👊
雨が降ってこそ作物が実り、冬になってこそ害虫がなくなるように、困難を通してこそ成されることがある。 その時はつらく苦しくても、過ぎてみれば意味があったことも沢山ある。 「あの時のせいで」というより、「あの時のおかげで」といえるような今を生きられたらいいよね。
人を憎むのは簡単だけど、心が苦しい。 人を愛するのは難しいけど、好きでやるから心が楽だ。 嫌いな人を考えていたら美味しいご飯もまずくなるし、楽しいことも楽しくなくなるけれど、好きな人を考えれば塩むすび一つもおいしくなる。 愛が負担になっている時は、何かがズレていないか立ち返れたら。
コロナの影響で色んなものが中止になっているけども、運営にキレるのはやめておこうね。 音楽イベントでも何でも、今この時に開催して万が一が起これば叩かれるのは目に見えてる。 そうなればコロナが落ち着いてからも開催できなくなるかもしれないし、今は好きなものを守る気持ちで応援したいよね。
自己否定が癖になると、責められていない事まで責められているかのように錯覚し始める。 小さな失敗や誰も気にしていない事まで「責められているに違いない」と思い込みが強くなっていく内、段々と人に対しても否定的になってしまう。 自己否定は他者否定に繋がり、自己肯定は他者肯定にも繋がっていく
「今、ちょっと限界がきてるな」と思う時は無視しない事。とにかく多少強引にでも休む事。やるべき事は時間を決めて切り上げる、やらなくていい事からは一旦手を離してみる。そして「休んじゃダメなんだけど…」と思わずに「よし、休もう」と意識して充電する事が大事。 自分を置き去りにしないでね。