苦しく生きるか楽しく生きるかは 自分がどう考えるかで左右する 雨が降ったら 「ジメジメして最悪だな…」 と思う人もいれば 「恵の雨だなぁ」 と感謝する人もいる だけども要注意なのが 大雨洪水警報レベルの台風がきたら話は別って事 考え方次第でどうにもならない環境は 抜け出す選択もアリだよ
人に傷つけられた分 誰かを傷つけようとする人もいれば 自分が痛かった分だけ 人には優しくしようと思う人もいる 若い頃にされて嫌だったことを 「こういうものだから」 と言い訳して次の世代に押し付けるより 「これは良くなかったから廃止〜」 「次からはこう変えてみよう」 ってできたらいいよね
味が嫌いで体にも良くないものを食べるより 自分が好きで健康にも良いものを食べる方がいいように 気にくわない人の事をグルグルネチネチ考えて病むくらいなら 好きな人や好きな物を考えて幸せに過ごす方がずっといいよね 体は食べるものによって作られるように 考えは考えた通りに作られていくから
休む時は 「休んじゃダメなのに…」と 思いながらだとむしろ疲弊するから 潔く 「今は腹くくって充電しよう! 休むことも仕事の一つだ!」と 思い切ることが大切 スマホも人間も0%じゃ動けない 休むことに罪悪感がある時は 「また走るために休もう」と 思えればいいんだよ 01w.me/rxte7
人は他人の事を100%理解するなんてできないんだよなぁ。 だから「わかった気になる事」が一番怖い。 でも、ほんの一欠片でも理解しようと努力する事はできるし、理解はできなくても相手を尊重する事はできる。 受ける側も100%まで理解される事を求めなければ、きっともっと平和になれるんだよなぁ。
中身も外見も取り柄がなくたって、 生きてていいんじゃない? 取り柄がないと生きてちゃいけない なんて誰が言ったか知らないけど、 言った方が100%命のわからず屋だし、 誰も言ってないなら自分で勝手に思っているだけ。 自分で勝手に思い込んでたことは、 自分で勝手に変えていいんだよ。
自分の弱さを隠して張るプライドはもろいけれど、 自分の弱さ足りなさも全部ひっくるめて磨いていくプライドは輝くんだよなぁ。 弱いところは誰でもあるし、 人それぞれその内容が違うだけ。 全てを話す必要はなくても、 隠すことで苦しんでいるなら 打ち明けた方がスッキリすることもあるよ。
誰かを許す事も大切だけど、 自分を許す事も大事だよ タイミングが悪かった 状況環境が悪かった 相手にも都合があった… そんな自分にはどうしようもなかった事まで 自分のせいにはしていないのか 何もかもを思い通りにできないのは当たり前 自分の分だけ潔く反省して、 次に繋げられたらいいよね
今外国人が「コロナで大変だから日本に行くのはやめておこう」「渡航を禁止しよう」っていうのは全然差別だと思わないし適切な感染症対策だと思うけれど、日本人をウイルス扱いされたら悲しくなる。それは日本から中国に対しても同じ事で。差別しなくても対策はできるし「お互い頑張ろう!」でいいよな
人の失敗には寛容になろう。 ついでに自分の失敗も大目に見てあげよう。 失敗から学ぶこともある。 失敗しないと学べないこともある。 失敗したその時は痛いけど、 成長痛くらいに思っておけばいい。 とりかえしがつかない事に思えても 生きていると大体なんとかなるものさ。
誰かに傷つけられたから自分も誰かを傷つけてやろうとする人もいれば、 過去助けてくれた人がいるから自分も誰かを助けようとする人もいる。 プラスもマイナスも連鎖するけど、 繋ぐも断ち切るも自分次第。 良いものも悪いものもまた巡り巡って自分にかえってくるのなら、プラスを繋いでいきたいね。
5月に結婚予定だった友だちから「明日空いてる?」ってLINEきて、くだらない内容なら断ろうと「何かあったの?」と返信したら「結婚やめた」と返ってきてこれはくだらなくないやつだ…!!と心配して会いに行ったら「でね、新しい彼の写真がコレで〜!」と惚気話をされてメロスは激怒した。
クリエイターにとっての創作物は絵でも歌でも文章でも何にせよお腹を痛めて生んだわが子と同然なので、貶されれば「おたくの子、ブサイクですね」って言われるくらいショック(or激おこ)だし、褒められれば「お子さんめちゃめちゃにかわいいですね!」って言われるくらい喜んじゃうんだよね。
誰かを叩ける人は、 自分と関係ないと思っているから。 もし自分が病気なら同じ病の人を 「怠けだ」「甘えだ」と叩けないし、 賢い人は 「いつ自分や大切な人に同じ事が起こるかわからない」 と知っているから叩かない。 人に優しくした事も厳しくした事も いつか自分にかえってくるんだよね。
「新型肺炎と診断されても治療は普通の肺炎と変わらない」 「だから検査数は過度に増やさず療養すべし」といっても、 「検査したら新型肺炎と診断されました」と言わないと熱があっても咳をしてても休ませない会社が多いのも問題だよなぁ。 これを機に「無理して頑張る美徳」は崩壊した方がいい。
悪口を言うメリット ・一時的にスッキリする 悪口を言うデメリット ・周りから「悪口を言っている人」という目で見られる ・反撃があるとスッキリした以上のストレスがかかる ・相手が想像以上の苦痛を受けて命に手をかけたら責任取れない デメリットが大きすぎて あえて言うものでもないなぁとなる
もうだめだ!って思っても ふんばらなきゃならない時もある。 ここでやめたら自分が後悔する、 諦めたら取り返せないものがある、 ふんばらなきゃいけない時は、 ふんばった先に希望がある時。 逆に無理してふんばり続けた先に 崩壊が見えていることなら 潔くやめておこうね。
硬い強さではなく、 しなやかな強さが大事。 限界まで張り詰めてポッキリ折れてしまう強さより、 押されればヘコむけど ヘコんだ分はね返してやる強さか、 時間が経てば何食わぬ顔で 元通りになれるクッションみたいな 強かさが持てたらいいかもね。
よく「素人は黙っとけ」みたいに言うけど、素人はどんどん発言した方がいい。 「自分はまだよく知らないから…」と黙っていたら、大体そのまま知らずに終わっていく。 素人でも専門家でも「私の意見が全て」みたいに語るのは良くないけど、言ってみてこそ議論や関心が生まれ理解が成熟していくんだよな
不謹慎不謹慎って騒ぐのは好きじゃないんだよな。 悲しむ時は悲しむ、笑う時は笑う、やらなきゃいけない事はやる、遊ぶ時は遊ぶ。それでいいじゃないか。 一つ辛い事があるとず〜っと引きずって連日連夜自分と他人に押しつけなくても… と思ったのでフワッフワの赤ちゃんペンギン貼っときますね🐧
天まで届くような名誉欲があっても 何にもならない。 人はやっぱりほめられたら嬉しいし 誰かに承認されるために がんばってしまう生き物。 でももっとほめられるために ほめられないことをしたら、 意味がなくなってしまうんだ。 そんな当たり前を忘れないように 謙虚さを大切に生きていきたいね。
謙虚さ=自己否定ではないよ。 謙虚さはあくまで慎ましさであり、 おごらないこと、高ぶらないこと。 「そんな私なんて…」と言うよりも、 「おかげさまで」を忘れないこと。 誰かを引き立てるために 自分を貶すことはないし、 自分を高めるために 誰かをバカにする必要もないんだ。
病気になった始めの頃って本当に怖くて 経験者の言葉がすごくありがたかった 健康な友達が励ましてくれるのも勿論嬉しかったけど 「でもこの痛みはわからないんだよな」とひねくれた心もあった 同じ病気、同じ障害でも痛みまで同じとは限らないけど 経験したことはやっぱり心の支えになると思うんだ
自分にとっては心底傷ついた言葉でも、言った相手は大体忘れちゃってるもんなんだよね。 こちとら何日、何年とグルグルその言葉を考え続けているのにさ。 失礼しちゃうよね。 だからもう、失礼のお返しをしちゃおう。 そんな言葉あっさり忘れてやって、もう関係ないやってくらい今を大事に生きられたら
子どもの頃に読んだ本も大人になると感じ方が変わるように、過去の捉え方も時間と共に更新されていく。 今はつらい事も5年、10年後には笑い話になっていたり、 20年、30年後には「あの時のおかげで」と思えるようになるかもしれない。 過去あった事は変えられなくても、過去の意味は変えられるんだ。