はじめることが半分だ。一朝一夕でできることなんてほとんどない。それでも、はじめたならもう半分はできたことだ。どんなことでもはじめる時が難しい。それを乗り越えて、何か1つでもできたなら半分だ。ちょっと下手っぴでも、上手くいかなくても、やってみたことがそれだけ大きいことなんだよ。
「自分には価値がある」この言葉が何だか言いにくい。「自分には価値がない」この言葉は何だか言いやすい。単純に言ってしまうと、ぶっちゃけ慣れの問題なんだ。難しい漢字も何度も書き取りすれば覚えるように、はじめは難しくても自分の価値を続けて認めていけば受け入れられるようになるんだ。
「役に立たなきゃ価値がない」 そう思ってがんばろうとすると苦しくなる。何ができる、できないは関係ない。何もできなくたって自分には価値がある。 「夢のためにこうしたい」 「この人のためにやりたい」 せっかくやるなら、「やらなきゃダメだから」より「やりたいから」と思えたらいいよね。
どんな人だって波はあるものだ。健康な人も鋼メンタルな人も落ち込むことはある。よくできる日もあれば何もしたくない日もある。そんな時は「今日はダメな日だ」と思わずに「今日は充電の日だな」と思えばいいんだ。「なんでできないの〜」と落胆せずに「今は備えよう」と割り切れば過ごしやすくなるよ
何かやりたいことがあっても「絶対に上手くやろう」「100%完璧にやろう」と思うとなかなか手がつかないもの。大きくドカーンとやろうとするより、1日10分からでも始めてみたらいいんだよ。1日10分も1年続ければ60時間やったことになる。60時間もやれば100%までいかなくても確実に変化できるから。
人は自分が思っているほど余裕がない。みんな自分の人生で手一杯で、他人を見ている余裕なんてないんだ。誰がミスしたとか、ちょっと変わってるとか、少し気にしたところで明日には忘れてしまうもの。つまらないことですぐ口出しする人は暇人なだけ。自分の人生に一生懸命な人には誰かを貶す時間もない
「できる人に嫉妬すること」じゃなくて、「できる人に学ぶこと」を意識するだけでも人生は変わる。「なんでアイツはできるんだ〜」とモンモンとするより「なんでアイツはできるんだ?」と研究対象にしてやればいい。できるからには理由がある。それを学んでやれば、敵も先生になるんだ。
自分を変えるには、「こうするべき」というルールを外してみること。「こうしなきゃ認められない」「愛されない」と思っていた自分ルールを外して、ハードルを飛び越えるのではなく下からくぐってみること。何かができなくても足りなくても自分は存在していていいんだと、認めてあげられたらいいよね。
感情には蓋をしてしまうより、潔く認めてしまった方がずっといい。辛いのに「辛くない」、悲しいのに「悲しくない」、そうやって押し込めた感情は見ないふりをしただけで無くなったわけじゃない。それでいつか溢れてしまうくらいなら、「辛かったんだね」と受けとめてあげた方が安心して消化できるから
思い込みの力は良い意味でも悪い意味でも大きい。「私はダメ人間だ」と思えばよりダメ人間らしい行動をしていくし、「私は愛されてる」と思えばより肯定的な事に目が向くようになっていく。もし自己肯定感の低い人がそうなりたい時は「私は愛されてもいいんだ」と許可型の思考を繰り返していくといいよ
嫌なことばかり思い浮かんで憂鬱になる時は、好きな言葉リストを作ってみるといいよ。好きな食べ物、好きな色、好きなものに好きな場所、そして好きな言葉etc...自分だけの好きなものを書いたノートは、心がつかれた時のいい薬になる。「これ好きだな」「いいな」と思える心を大切にできたら。
負わなくていい重荷を負って、怖がらなくていいことに怯えて生きていたら苦しくなるよ。降ろしていいんだ。怯えなくていいんだ。大丈夫なんだ。敵だと思っているものは、実は敵じゃないこともある。頭がいっぱいなら、少し距離をおけば落ち着くこともある。解決法は1つじゃなくて何通りもあるんだ。
誰かが邪魔しなくても、自分が自分を止めてしまう事がある。「そんなの無理だよ」「できっこない」「やる資格がない」なんて。でもやってもいない事の結果なんて誰が分かるのか。資格がないなんて誰が決められるのか。やってできたら儲けもの、ダメでもやらないでダメよりやってダメの方が経験値になる
老いてやりたいこともできなくなる前に人生終えたいな、と思ってた時期もあるんだけど、70代になってもバリバリにサッカーして造園して朝から晩まで20代がついていけないほどやりたいことをやって生きる人に出会ってから、こんな歳の取り方をしたいなと思えるようになったんだよな
「自分ひねくれてるな」と思ったら「よし次はもうちょっと素直に受けとめてみよう」と思えばいい。「やらなきゃ」じゃなくて「やってみよう」と肩の力を抜いて荷を降ろすようにすればいい。「だからダメだ」じゃなくて「次はこうしよう」と希望を持てばいい。いつも緊張して生きてたら疲れちゃうもんね
Twitterの画面の先には人がいるんだけど、それをただの画面としか思っていない人が意外といるんだよね。対面だと出てこない暴言がネット上で簡単に出てくるのは、人と喧嘩するより教科書に落書きするような感覚なんじゃないかなと。でもそれは錯覚だから画面の先の人に訴えられることもあるのよね。
映画やアニメに「面白かった」「つまらなかった」って言えるのは最後まで観た人だけ。途中までしか観ていないのに「つまらない作品だ」とは言えないように、人生もきっと同じなんだ。今が最悪だからって途中でやめたら何にもならない。最低でも最高でも、最後までいった時に言えたらいいんじゃないかな
誹謗中傷で訴えられると相手に損害賠償30~100万円支払うことになるそうなので、クソリプは「この人になら私の100万あげてもいいわ」と思える人にだけしたらいいと思う👍 覚悟もない奴は黙っとれ。
失敗しない人はいない。汚れない人は一人もいない。お風呂に入らなければ誰だって汚くなるし、お風呂に入ればきれいになる。誰でも自分を貴重に思って、磨いて、作って、よく管理してあげれば作品になる。汚くしようと思えばその時から汚くなるし、きれいにしようと思えばその時からきれいにできるんだ
自分を解放してあげられるのは、自分しかいない。誰かが自分を幸せにしてくれたって、自分が幸せだと感じなければ幸せじゃない。誰かが背中を押してくれたって、自分が動かなければ進めない。世界中の人が認めてくれたって、自分が自分を認められなきゃ苦しいんだ。自分に自分を幸せにする力がある。
高校生の時「私はもうダメだ」と絶望したけど、そこで本当に諦めたら早すぎるんだ。映画の始まり5分だけ観て「つまんない」と席を立つような。小説の冒頭だけ読んで「あきた」と本を閉じるような。後からどんなどんでん返しや心躍る展開があるかも分からないのに、やめてしまうのはもったいないよね。
自分の価値を分からないと捨ててしまう。たとえダイヤモンドだって価値を分からず放っておけばホコリを被って埋もれてしまうし、見つけて磨いて手入れをすればその時からは輝くようになる。宝石は世界中にあるけど、自分は1人だけ。何ができるとかじゃなく、同じものを2つと作れない時点で貴重なんだ。
世の価値観は「コンプレックスがあるから綺麗になりたい」から「自分がかわいくなりたいからなるだけ」にどんどん変わっていってるのに、YouTubeの広告は相変わらずコンプレックスから不安を煽る商法なの時代遅れ過ぎて笑っちゃうな。中身がないからすぐ弱みにつけこもうとするんだよな。絶対買わん。
間違えたら批判されるのが怖くて何も言えないって状況が一番怖いんだよな。何も言えない、何も出来ない状況は静かに腐っていくしかない。できるだけ間違えない努力は必要でも、人なんだから間違いはあって当然のもの。間違いを恐れて何もしないより、やってみて、違ったら直す事ができればいいんだよね
この人は何でもよくできるから才能なんだな、と思っていたら「120万回やってできるようになったんだ」と。「はじめから上手くできた事は何ひとつない。得意な事もなかったし、子供の頃はよくできる人を見上げていた。努力が99%だ」と。「無いものは作ればいい」彼から教わって今も大切にしている言葉。