自分が貴重に接した人からは貴重に扱われるし、自分がバカにした人からはバカにされるもの。相手は自分の鏡だから、自分が笑えば笑ってくれるし、自分が怒れば相手も機嫌を損ねてしまうもの。普段から人にやさしくする人には必ずやさしさが返ってくるし、人を大切にしない人にもまた返っていくんだ。
「そんなことするとモテないよ」 「そんなんじゃ出世しないよ」 とか言う人は、その人自身がモテだの出世だのがないと自分には価値がないというコンプレックスを抱えているだけなので、言われた側は「なるほど、これがコイツの弱みか」くらいに思っておけばいいと思います。
なんていうか、プライドが高くて絶対に間違いを認めない人っているけど、その間違いを認めない姿が一番かっこ悪いんだよな。目上の方や立場のある人でも、間違ってた時には素直に謝って直せる人がかっこいい。
自分の弱みを認められない人は、その弱みを人として当たり前のことって考えたらいいと思うんだ。「自分は間違えない!」と思っても人はミスをする生き物だし、気持ちに波があったり、怠けたくなったりするのも人間の性質なんだ。あるものを見ない振りするより、分かってあげた方が上手くつきあえるから
好きでやっていた事が義務になっちゃうと苦しくなるんだよね。趣味であれ何であれ純粋に楽しんでてきる時間ってものすごく貴重。でもその熱が冷めたって事は、燃え尽きるほど打ち込んだ証拠でもある。もう満足なら手放してもいいし、「ちゃんとやろう」から「楽しくやろう」って原点回帰してもいいよね
自分を大事にできると、他の人も大事にできる。自分を責めてばかりいると、どこかで人を妬んだり憎んだり、自分にかけるキツい言葉を他の人にも放ってしまうもの。自分においしい紅茶の一杯を淹れてあげられる人は、他の人にも淹れてあげられるんだ。
子どもの頃は毎日「生きてるだけでごめんなさい…」と思っていた自分が、今は歯を磨くだけで「偉い…!」お風呂入るだけで「すばらしい…!」ってわりとガチトーンで自画自賛しながら生きてるので、人ってほんと変えられるんだなと思います。自分にどんな言葉をかけて生きるかって大切よね。
今年26歳になる女でも未だに何もない道で転ぶわ、アイス食べこぼすわ、冷蔵庫開けて「なんだっけ…」とかしてるので、今高校生とかで「私はなんてダメなんだ…」と思ってる子がいたら「大丈夫、大人になっても皆ダメなとこあるから」って伝えたいな。サザエさんも財布忘れるし。
ショックな出来事に遭遇した時、それがトラウマになってしまうPTSDは有名だけど、それをきっかけにポジティブな変化をするPTSG(心的外傷後ストレス成長)は意外と知られていない。バカにされた経験をバネに成功したとか人に優しくなれたとか。過去は変えられないけど、どんな未来に繋げるかは変えられる
勘違いしている男性も女性も多いけど、タダでできる美人なんていないんだよね。「美人に生まれて得したね〜笑」なんて揶揄する人いるけど、美人は肌の手入れやら食事やら化粧品やら時間もお金も労力もかけて自己管理している。人の努力を「生まれ持ったもの」で片付けようとするの好きじゃないんだよな
「そんなんじゃダメだ」を「そんなとこもあるよね」に変えてみる。「こうしなきゃ」を「こうしてみよう」に変えてみる。言葉を変えれば、考えが変わる。考えが変われば、行動が変わる。行動が変われば、生活が変わり、生活が変われば人生が変わるんだ。大きな変化は、いつも小さな一歩から。
振り返ると思春期の頃までは母親に理想を押しつけて「親なのになんで」とか「親ならこうあるべき」みたいに思っては苦しくなっていたけど、Twitterをすると色んなママさんがいて、元気にオタ活してるママもいれば自分と同い年で育児にもがいてたり当たり前に怒ったり泣いたりしてて親も人なんだよなと
世界中の富や名声をもらったって、自分の命を失ったら何にもならない。ごはんのおいしさだって命があるから感じられるし、お金だって命があるから使うことができる。自分の命は地球一個とも代えられないくらい貴重なのに、あるのが当たり前すぎて価値を忘れちゃうんだよね。今日も生きてるってすごい事
もう後悔している人を責めたって、しかたないじゃないか。相手だってそうだし、自分だってそう。なかったことにまで必要するはないけれど、後悔しているなら反省する心があることだから。叩きすぎてその心まで潰してしまえば逆効果だし、せっかく後悔できたならもっと良い次に繋げるきっかけにできたら
失敗したらやり直せばいい。汚れたら洗えばいい。できないことがあるなら他のことをがんばればいい。できなかった過去を悔やむ時間もあっていいけれど、そこに溺れて今できることまで見失ったらもったいないんだ。時間は止まってくれないけれど、いつも新しい今を運んできてくれるから。
つかれたら休む、そんな当たり前のことに罪悪感を感じてしまうなら、「また走るために休もう」と思えばいいよ。“休む=怠け”じゃなくて、“休む=充電”と考え方を転換してみること。充電しないまま使えるスマホはないし、給油しないまま走り続ける車もない。自分もおんなじなんだ。
10万円の給付かぁ〜ありがたいなあ〜と思ってたら10万円を超える住民税の請求が届いて、うん…そうか…元々自分が納めたもんか…ってなった…
子供の価値観は親によって決まるもの。けれども世の中には数百数万の価値観があるんだ。「失敗しちゃダメ」「迷惑はかけちゃダメ」という価値観もあれば「失敗は成功のもと」「迷惑はかけてかけられて当たり前」なんて価値観もある。昔の価値観に囚われず、良いものはどんどん更新していけたらいいよね
自分が嫌いなものでも、それを好きな人がいる。もし自分の大切な人がそれを好きだったとして、目の前で「嫌い」と言ったらきっと悲しい顔をする。だから好きなものはドシバシ宣言するけど、嫌いなものはあえて言ったりしない。誰だって自分の推しをけなされたら辛いもんね。私はペンギンが大好きです🐧
べつに嫌いな人っていてもいいと思うんだけど、個人的には「嫌い」と考えると気分が悪いから「自分には合わない人」と思うことにしてる。相手が悪いとか自分が正しいとかじゃなくて、ただ自分には合わないだけ。相手を否定する必要もないのですごく楽。おすすめ。
自分が嫌いでも、自分とは一生つきあっていかなきゃならない。それなら「嫌いだから」と背を向け続けるより、足りない部分は「そんなとこもあるよね」と受け止め、できた部分は「いいとこもあるじゃん」って認めてあげた方がいい。時には休ませてあげて、機嫌もとってあげて上手くつきあえたらいいよね
「失敗したら終わり」と考えるのか「失敗したら何とかしよう」と考えるのかで人生の幅が変わる。はじめから100%ミスなく完璧を目指そうとしたら何もできなくなってしまうよね。失敗こみで仕事、失敗こみで挑戦、失敗こみで人生と思えば、ハードルもだいぶ下げられる。肩の力を抜いて生きていこう。
自分を嫌う人のために自分を変える必要はない。「嫌われないようにしなきゃ」なんて会う人会う人の要望全てに応えて自分を変えていたら、本当の自分がどこにもいなくなってしまうから。変わりたいなら誰かのための自分じゃなくて、もっと自分らしく素敵になるために変わればいいんだよ。
子どもの頃に色々あった分今生きているだけでも感謝感激なんだけど、ひいおばあちゃんから「結婚する前のひいおじいちゃんは空軍で爆撃されて海に墜落したけど偶然通りかかった軍艦に拾われて帰ってきたのよ」なんて話聞くと、今生きてる人みんな生まれた時点で奇跡なんだなぁと実感する今日この頃です
「これしかない」と思ったら要注意。理由は様々でも、ほとんどの物事には複数の選択肢があるもの。1つしか見えなくなっている時は、心に余裕がなくなって道を誤ることが多い。とくに自分や誰かを犠牲にする選択をとろうとしている時には、本当にこの道だけなのかな?と踏みとどまってみないとね。