headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141219-… 先日発売されたヤングガンガンに久しぶりに50pの読み切り描きました。生まれて初めての熱血スポーツものに挑戦しましたんで、よろしければ手にとってみて下さい。
gateってアニメ見てたら、ヘリの出撃シーンで地獄の黙示録よろしくワルキューレが流れてたんだけど、あれってナチス御用達の作曲家だったワーグナーをあえて使うことで「ベトナムでアメリカがやってることは、ナチスと全く同じだぜ」って皮肉を含んでたんだけど、どれだ意味が分かってんのかな
しかも作中で自衛隊員自身が「ヘリで出撃するならワルキューレを流したい」とか言い出してて、上層部でそれを止める良識のあるヤツもいなくって、頭が痛い。異世界に行ってタガがゆるみまくった自衛隊員が、ノリで残虐行為を振るいまくる予兆としか解釈できなかったが、これから先の展開、そうなんの?
ナチス御用達、じゃなくて、ナチスお気に入り、って言ったほうがいいですね、言葉の使い方を間違えてました、すみません。
ナチスとワーグナーを関連付けるのは穿ち過ぎ、とか沢山リプを頂いたが、ヨーロッパでのワーグナーの評価って実際こんな感じdiplo.jp/articles01/011…だし、ワーグナーを演奏しようと苦心する(各国で上映禁止の為)楽団のドキュメントも見た事あるし、大変だなあ、と思ってました
リプを色々読んで気付いた事。自衛隊をナチスドイツと並べてみると、ものすごく反発されるが、自衛隊をベトナム戦争当時のアメリカと並べてみても、誰も何も言わない、そもそも悪口と認識されない。あのキルゴア中佐の元ネタって、日本本土に対する無差別爆撃を主導したカーチス・ルメイなんだけどな。
なーんか、おそ松さんのここ最近の二次創作方面における大人気っぷりに関して、色々気になった事があって、それであーだこーだと考察してたら、何となく自分の中で論がまとまったので、書き記しておこうかと思う。
気になったのは、おそ松さんの二次創作において、第一話で示された「今風の、美化された絵柄」ではなく「赤塚先生の画風に近い、昭和っぽい絵柄」の方に圧倒的に人気が集中してる、という現象は、一体どうしてなんだろうか、という事。
この現象は多分、作り手の側もおそらく全く予測してなかっただろうってのは、グッズの多くに第一話の美形バージョンを用意してあった事から分かる。やっぱり、昭和過ぎる絵柄だとあまりに不安だったんだろうけど、市場の反応は、圧倒的に「そっちじゃない」っぽい。
これはまあ先に結論をいうと、おそ松さんのあの(美化されてない方の)キャラデザインがとても「クール」でシンプルで、レゴやマインクラフトのブロック一個分にも等しいからだと思う。
ここで言うクールってのは一般的な意味とは違って、マクルーハンって人の唱えたメディア論に出てくる用語で、クールなメディアというのは「情報量が少なく、自分でアレンジする余地が多い」媒体を指し、ホットなメディアというのは「情報量が多く、自分でアレンジする余地が少ない」媒体の事を指します
おそ松くんの元々のキャラデザは、非常に濃くて個性的なキャラクターが多い赤塚作品の中でも屈指のプレーンさを誇り、見ているだけで何か人間味が染み出てくるバカボンパパやイヤミと違って、「普通の少年である」事以外に何にも伝わってくるものがない、究極的に味も素っ気もないデザインだと思う。
「没個性」というのが、そもそのおそ松くんの個性であった訳で、ここにあえて6人分の個性を追加した「おそ松さん」は、公式にやっているとはいえ、既に完成しているものを組み替えてアレンジする、極めて二次創作的な作りをしている作品だと思う。
そもそもがオムニバスのギャグ作品だったので、色んな解釈改変アレンジを何でも受けいれて何でもアリとする土壌があったというのも大きい。つまり「おそ松さん」第一話はその作品そのものの楽しさと同時に、作り手が「おそ松くんの世界を二次創作する楽しさ」をも おおっぴらに提示していたという。
ここでレゴとマインクラフトの例えがまた出てくるのだが、第一話であれだけハチャメチャでかつ非常に作りこんだ、「作例」を見事に提示した上で、それを全てあっけなく解体し、シンプルなブロックだけを残して「さあ、次はまた別なのを作りますよ」とやった。これでいろんな人に火が付いた
これだけシンプル絵柄なら自分にも二次創作出来そう、って初めて手を出す人も多いだろうし、クリエイティブな人は第一話の絵柄はあくまで「作例」であって自分は自分なりのを作る、って向きも多いんだとおもう。pixivを回ってみた限りやっぱり一番目に付いたのは、昭和風&自分の絵で描く人だった
まあ結局何が言いたいのかといえば、おそ松さん超おもろい、って事だけで、こんな駄文書いて現実逃避してないで、仕事しろって幻聴がチョロ松の声で聞こえて来たんで、まあ原稿に戻りますよ、ハイ。
おそ松さんはイケメンボイスを「盛った」から売れた、という人も多いけど、実は逆に受けそうな要素で残ってるのが声だけで、パッと見イケメンでもなく、性格は全員バカで、他のクオリティが軒並み「削られた」形になってて、それでも女子が好きな核の部分だけはシンプルに残ってたから売れたんだと思う
まあ、だからおそ松さんの大ヒットを見て何かあやかりたいプロデューサーとか編集者は、これから何を盛っていくか、でなく、何を削ってシンプルにしていくか、について考えていったほうがいいんじゃないかと思う。「ギャグアニメをイケメンボイスでやりゃ、何でもウケんだろ」では少々理解が浅すぎる。
たかみちさんの画集買った記念。背景トレス。なんかこう雨とか夜とか日蔭とか、青みがかったグレーで、質感がのっぺりしてる感じなのが大好きなので、真似してみたけどまあ、こんな感じに。もっと手数を減らさないとダメなんだろうな。
この世界の片隅に、上映の終盤からすすり泣く声があちこちから聞こえ、終わった後には観客から多くの拍手が響いた。上映後の拍手を目撃したのは「エヴァンゲリオン破」と「シン・ゴジラ」以来。興行面での成功はこれでもう心配は無しと見た。
物語で鉄板の「泣き」要素、と言えば誰かが死ぬことなのだが、この世界の片隅に、では全く逆に、すずさんというキャラクターが本当に生きている、生きていたという実感にもう、感動して泣いてしまうのだ。
先日の長文感想をまとめて頂きました。興味のある方はこちらからどうぞ。この世界の片隅に、の感想とスタートレックとの共通点とノスタルジーにまつわる話です togetter.com/li/1052843