f_red*(@fred61122150157)さんの人気ツイート(新しい順)

101
昨日の大井川訪問で一番驚いたのは... 3月に検査期限を迎えたE102が庫の奥で解体中。。 よく見ると「そう」ではなさそうです。 旧型ばかり故、故障もあり修繕に手間と時間はかかるでしょうがすべての車両に心血を注ぐ現場の方々の姿。どんな展開になるのか見守って行きたいと思います。
102
EF6477つづき 愛知機関区公開で晴れのお召し装備を見せて以降、庫から顔を出さなかったセブンセブン。 2014年春、知り合いから屋外に出されていると一報が入り稲沢へ。西日に銀差しが輝いていました。 いちファンの身勝手ですが、願わくばこの様な姿で保存される事を願って止みません。
103
EF6477つづき 2012年頃原色に戻されここ5年程は屋外に留置され退色も目立ちます。しかし多くの同僚が解体されて行く中、大切に保管され今もカタチある事が奇跡。現状維持するだけでも苦労がある事でしょう。 この日もナンバープレートを大切に扱う職員の姿に愛情を感じ、敬意を表します。
104
今日のJR東海さわやかウォーキングは稲沢駅 JR貨物の企画協力で愛知機関区の一部が公開されました。 会場片隅には稲沢の主、EF6477号機の姿が。 この展示のため大切に保管されているナンバープレートや銘板、区名札が取り付けられ僅かな時間ですが命を吹き返しました。2019.6.9
105
2006年3月改正で廃止となった出雲用24系の回送。 回客ではあるが憧れのロクイチ+ブルートレインが実現、堂々のハネ12両長大編成は壮観。 回1541レ 2006.4.1 #ロクイチの日
106
急行ちくま つづき 先日のEF6477急行ちくまに続いて多客期に運転されていた12系臨時ちくま。数回ですがEF58150号機が運用に入った事があります。 米原の運転停車では西と東海の乗務員が交代。残念ながらそのシーンはネガには見当たらず。 1993.12.30 急行ちくま83号
107
EF6477号機+急行ちくま つづき 稲沢区の定期運用だったため目当のセブンセブンも度々充当されました。ただ走行シーンの撮影となると、夏至に近い季節に限定され確率はぐっと下がります。この日は曇り空、大阪行きはハネが釜次位に来る魅力。下りの篠ノ井線も良かった事でしょう。1993.6
108
私の平成を振り返っている間に、桜も散り4月も終わってしまいました。 春の西線へ繰り出そうと思っていながら、なかなかロクヨン原色重連が稼働しません。繁忙期がひと段落した頃、81レを追ってみました。 尊敬する新潟の写真家さんが発表されていたトワイライトの作品にヒントを頂き、動感S流し
109
NHK総合 4/28(日) 19時 「ニュース7」 の一部でお召し列車特集が放送されます。 これはテレビの前で正座して見なければ😃ロクイチファンの方はお見逃しなく!? #ニュース7 #EF5861 #お召し列車 ※2001年3月鎌倉行幸時撮影
110
平成22年 2010年 空白 20年に渡り生活の中心にあった大切なものを失い線路から距離を置く空白が訪れました。あれほど気になった仲間からのメールや天気予報も気にしない日常に寂しさを感じていた頃リニア鉄道館へ車両搬入の一報。レール上ではない違和感を感じながらも記録に収めています。
111
平成21年 2009年 LAST RUNNER 平成8年以降は年に数回の臨時運用以外、宮原の番人と化していたEF58150号機。幡生での台検試運転に臨む姿が、EF58形式最後の本線運用となった。 この旧型機を長年、愛情を込めて送り出してくれたJR各社に改めて御礼を申し上げます。
112
平成20年 2008年ロイヤルエンジン 伝説へ 心のどこかで永遠に走り続けると思っていた。2月、55年間住み慣れた旧東京機関区を去る事になり終焉が現実であると突きつけられます。これは「ひと休み」なのだとサヨナラは言いませんでした。いつの日か伝説に新たなページが刻まれる事を信じて。
113
平成19年 2007年 最後の一瞬まで 隣にいた同僚が去り工臨仕業を独りこなす157号機。残り1年を切り全方位記録するためデジタル化、義務感と緊張から撮影に楽しさは無い。でも北部でお世話になった運転士Aさんの前だけはスッと肩の力が抜けた。最後もピッと汽笛一吹、ありがとうイゴナナ!
114
平成15年 2003年 望遠病発症 当時活況だった掲示板や個人WEB。某〇釜様のページに上がった長望遠ショットに大いに影響を受ける。 システム併用していたFDからEOSへ完全移行。さすがに600mmは無理だったがサンニッパはEFへリプレイス、標準レンズのように多用し始めたころ。
115
平成13年 2001年 三たび国旗はためく 1月雪の水上ホームで「3月」と耳打ちされる。 今回はついに東海道線東京発のお召し。先輩や仲間のお陰で試運転から万全の体制で臨んだ。 3月28日当日は北鎌倉で国旗はためく姿を。南亘りは有終の美。これ以降この華麗な姿を見る事ができていない。
116
平成12年 2000年 赤い風 イゴマルを三石まで撮影に行くがウヤ。帰りにふと谷汲に寄って見ると赤い古豪に一瞬で虜。次週から箱庭通いが始まり始発〜終車まで、そこはまるで写真の実験室 暫くしてここに通う猛者達と出会い情景、人物、単レン、RVPなど撮影スタイルにも強く影響されて行った
117
平成9年 1997年 別れの始まり JR発足10年、鉄道写真を始めて同じく10年。 馴染みの車両、列車が廃止されて行く。横軽は2年間で10回程しか訪れられなかったが色々と鍛えて貰った。いつ引退かと言われ続けたEF58よりも先にヌマ座が逝ってしまうとは。これも別れの序章に過ぎない。
118
平成8年 1996年 栄光再び 5月頃囁かれ始めた平成初の61号機お召し。試運転から情報統制や場所取りまで経験した事が無いような雰囲気が記憶に残る。それでも当日入で召9002は岩舟、召9001は思川に場所を確保。その荘厳な姿に大勢の仲間と万歳した。1996.10.24 思川-小山