そういえば昔、内弟子というか教え子で、某ぎゃるげのアンソロジーの仕事を振った子がいたのですが。 (複数のヒロインのショートエピソードを小説としてそれぞれ書く) その子は何を思ったが自分の担当のヒロインを冒頭数行で退出させて……
後は延々その子オリジナルのキャラ二人のラブコメの掛け合いをやるだけのものを提出してきた事があって。 というか提出された編集者が弱って私のところに「これボツにしますがいいですよね?」と言ってきた事がありまして。
今風に言えばあれだ。『ぼっち ざ ろっく』のアンソロジー小説本で、『ぼっちちゃんの短編』を依頼されてるのに、ぼっちちゃんは9割出てこないで、延々、原作にもアニメにもいないキャラのラブコメ見せられるような。そんな原稿。
当然、私はその教え子を叱りました(怒鳴るのではなくこんこんと説教した)が、彼は「こうしないと僕の小説にならないから」「僕のキャラが書きたかった」とか言って泣き出しまして。
その子はそれから程なくしてうちから出ていきましたが、それはそれとして、どうも、 「読む人やクライアントの事なんか考えず自分の好き勝手にやる」事が、 「自分の個性」なのだ、 ――と思っている節のある人は一定数いて。
例えば新人賞に投稿する小説なら別にそれでいいでしょう。なろうだのカクヨムだのに投稿するのも同じ。   でも依頼を受けて書く原稿でそれやっちゃだめだと、何故分からないのかと。 これもなんというか、変な「クリエイター信仰」なのかなあと思ったりします。
たまたまこの彼の名前が、知り合いの講師の先生と話をしていて出てきたので、「そういえばそんなことありましたねえ」と遠い眼をしつつ、ツイッターに書く私。
いずれにせよ。 わがままを言うだの、支離滅裂なことする、だの、依頼内容をガン無視する、だの、そういうのをしないと個性が出ないと思ってるなら、大変な間違いだなと私は思います。 個性ってきちんと仕事してても勝手ににじみ出るもんではないのかなと。
ついでに言うと、ラノベ書きの場合、作品が売れてアニメ化だの何だのになった場合、いきなり翌年来る税金の額が(場合によっては桁違いで)跳ねあがるから、浮かれて使い込むとえらい目に遭う。 国民健康保険とかも跳ねるよ。 気を付けましょう。
創作物における情報提示の話。 昨今はアニメだろうが漫画だろうが創作物本編の『外側』で情報提示するのが当たり前になってたりしますが、基本、創作物は『それ自体』で完結して物語を語らないといけないので、お客さんが受け取りやすい情報提示の順番とか頻度を心掛けると可読性が上がります。
前にも書いたけど、きっちりキャラ作り込んである程度動かしてやると、作者の意図や都合はどうあれ、『こいつこんな事言わない(こんな事しない)』と気づく場面が出てきます。 これがよく作家が言う『キャラが生きて勝手に動き出す』現象の正体かなと。 twitter.com/game_sennin/st…
これも前に書いたけど。 情報提示の話。 なんでも良いですが、『オリジナルのアニメの第一話』(シリーズものの第二シーズンとかは向きません)を時計片手に、十秒ずつ止めて、『この時点で自分は何が分かったか』を書き出していく。
『どれだけ迅速に、簡単に、説明くさくなく、世界観やキャラの情報提示ができるか』の手管をそれで覚えて、武器として溜め込む。 『リコリスリコイル』であるならば、電波塔、システムキッチン、の順にするのと、システムキッチン、テレビ、千束、電波塔、の順にするのとではどう印象が変わるか。
セリア(百均)は一体どこにむかっているのだろう。 いや、色々ありがたいんだけどさw
……ラノベだのなろうだのの『高尚さ』『低俗さ』について。 職業に貴賎なしとも言いますが、ラノベだろうが、なろうの書籍化作品だろうが、『個人の好き嫌い』はあっても、絶対的な『高尚さ』とか『低俗さ』なんて存在しないというか、時勢によって変わるので、あてになりません。
企画書の話。 新人賞応募作などには勿論要らないし、なろうとかに投稿する分にも要らないのだけど。 最終的にプロとして仕事してゆくなら、企画書が書ける方が色々便利なのと、企画書は途中で迷った際に初心を思い出す際の助けにもなるので、必須ではなくてもやっぱり書けた方が良いとおもいます。
寝る前にちょっとだけ。 創作について悩んでいる人は多いと思いますが、その際に、誰かの創作論だのツイートだの本だのを参考にして自分に合った方法論を身に着けようって人は多いと思います。
たしか、あかほり先生だったと思うが、『いいか、榊ちゃん。目一杯、ラノベ作家はこんなに楽しくて儲かるんだぜー! ってアピールしとけ。それが、後輩に対する先輩の責務って奴だからな。俺もああなるんだって後輩が希望を持てるようにしてやんなよ』と言われた事がある〉RT
そして私がよく言う『キャラが勝手に動き出す』という事の本旨はコレ、という話でもあります。 きちんとキャラができて(立って)いれば、特定条件を与えた時の言動について『まぁこいつならこうなるよな』と自動出力される感じ、作者の都合で動いてない、確固たる自我があるが如し、という。 twitter.com/kasai_sinya/st…
精神論に絡んで。 これも本当に何度も書いてるけど。 『創作技術の奥義を一言で言え』という無茶振りをもしされたとしたら。 『原稿用紙の(モニターの)向こう側に読者(お客さん)を見る事』 と答えると思います。 読みやすい文章、面白い展開、その他全ての技術はそこから逆算できると思ってるので。
ラノベ書きの厳しい世界を発信したなら、優しく嬉しい世界も発信せんとバランスは取れないよね。 ラノベ書きになって良かった事。 うまくハマれば、基本、会社勤めができないダメ人間の私みたいなのが結婚して子供養えてます、今のところは。 平日の昼間に遊んだりもできます。 通勤地獄と無縁。
まあ人生一発逆転の為に作家目指す、って人は居ると思うし実際、一発逆転した人間は一杯いるけど(まさに私とか)、大体の一発逆転は『少しずつコップに水を注ぎ続けた結果、表面張力を超えて一気にこぼれる』状態なので、正直、全く何も書いた事の無い人間がなろうとすると、結構な努力が要るですよ。 twitter.com/game_sennin/st…
知り合いの専門学校の先生が、小説を書く訓練として『ガンダム 水星の魔女』の第一話を生徒さんにノベライズさせたという原稿を見せてもらった。 翻案などは無し、純然と第一話の冒頭シーンを『小説として』描いた場合にどうなるか、というもの。 まぁ当然と言えば当然だけど、あちこち抜けがある。
その抜けも多層的で、確かに生徒さんがいきなり書けと言われて書けるものではないが、逆にその抜けを指摘していくと、『冒頭で何を提示しないと読者は小説の世界に入れないのか』がわかる。
なかなか興味深い試みだけど、まぁ専門学校一年目の生徒さんにノベライズ(それもガンダムの)は無理というか、無理だからこそ、学びが得られる訳だけども。