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お待たせしました。
平野紫耀/クロサギ論です。 twitter.com/qj_web/status/…
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芸に長けた人。
芸長人。
そんな人ばかりが出ているドラマの長(おさ)が平野紫耀なんだな。
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第7話の平野紫耀は、ポタージュのように、やさしい。
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いままでたくさんの映画たちを自分なりに真剣に見てきてよかったとおもうよ。
平野紫耀のなにが、どのように、どのくらいすごいかはっきりわかるから。
おれは勘とか好みとかでこれまでのツイートをしていないと自信をもって言える。
平野紫耀は間違いなくすごいんだ。おれの映画史が証明している。 twitter.com/aidatoji/statu…
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おれの好きな話。
芸能人の名前を、出演作や役名でしかおぼえない男子大学生と話していて
「ほら、どう見てもイケメンの!」
って言うから、(芸能人はみんなイケメンだろ)と思いつつ、よくよく聞いてみたら、
大倉忠義のことだった。
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なぜ、推しを、自分の思い通りにしようとするのか、わけがわからん。
あらゆる問題は、そこから起きているよ。
推しは、自分の思い通りにはならんよ。
でも好き。
それでいいじゃん。
なんで、不満なんだろう。なんで、不満なのに、ファンを名乗るんだろう。
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つまりさ、クロサギは、「いま」だから、「いま」の平野紫耀だから、できたドラマなんだよ。
このことを忘れるべきじゃない。
この「いま」に対して、敬虔な気持ちでいたほうがいいと思うよ。
メリークリスマス。
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⭐️
平野紫耀という芸術に出会った歓びに満ちた文章だと思いました。
⭐️
最初の読者=編集者さんからのご感想です。
みなさんのご感想も、お待ちしています🧸
リリースまで、いましばらくお待ちください🎂
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誕生日は1.29か。
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今年の原稿も残すところ、あと4本となりました。
ラストは平野紫耀/クロサギ論です。
有終の美をめざします。
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にんげんの虚勢というものを平野紫耀はとてもたいせつにしている。
愛おしいアプローチだとおもう。
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うたうとたぶん違うとおもうのだが(だからあえて見たり聴いたりしないようにしている)、平野紫耀ってハスキーだけど、いわゆる男っぽい声じゃないんだよね。低音で圧してくるマッチョさが、ない。これは結構重要なことだと考えてる。話し方もあるけど。かといってフェミニンというわけではないのよ。
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クロサギ時評。
第4話は集中するために、まず音声オフにして画面だけを見つめた。
台詞や物語や展開をシャットアウトすると、これまで見えていなかった平野紫耀の身体性が見えてきた。
現時点で、音声付の再生はしていない。
まっさらに平野パフォーマンスを凝視した結果を、少しご報告しよう。
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相田は、まだクロサギの余韻にひたっているので、キンプリちゃん論や、他の平野紫耀出演作については、もう少し時間がかかるとおもいます。
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平野紫耀の微細で決定的な、顔揺らしの技は本能に従っている部分もあると考えられる。
だが、顔を揺らすことで画面に確かな効果が生まれていることを、彼自身が顔を揺らしながら確かに実感していることが見てとれる。
これが、特殊な臨場感の醸成につながっている。
そこには、本能と俯瞰が共にある。
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最近、新作映画を観るたび、クロサギが観たくなる。
クロサギにやられちゃってるというより、クロサギほど面白味のある映画がなかなかないから。
芝居に無頓着な日本映画が多いし、フォーマットが古すぎて、下駄をはかせながら観なきゃいけないのが辛い。
もうクロサギを観なかったことにはできない。
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クロサギ、1話しか観てないけど、彼には未来しか感じないけどな。
だって才能も、信念も、実行力も、しぶとさも、タフさも、へこたらなさも、全部あるもん。芝居に。役ではなく、表現に。
彼は強いよ。
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たとえば、大倉忠義さんのtwitterを見てると、関ジャニ∞のグッズにはメンバー自身がちゃんと関与していることがわかって安心する。
もちろんファンのためが大前提だけど、関ジャニ∞が関ジャニ∞をたいせつにしていることが伝わるのはとても健全だし、twitterの健やかな使い方だと思う。
手厚いよね。
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【本日のキャッチフレーズ】
平野紫耀は「魅惑的なズレ」を奏でるのではなく、「ズレの魅惑」に没入させる。
言い換えるなら、わたしたちは「おとしあな」におちたということである。
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たまたまフォロワーさんが多いので、あえて言いますが、三浦春馬さんがお好きなひとに「平野紫耀」の凄さを知ってほしいし、平野紫耀さんがお好きなひとに「三浦春馬」の凄さを知ってほしい。
わたしは、凄いものしか、おすすめしません。あらゆるしがらみを拒否して生きてきました。 twitter.com/aidatoji/statu…
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平野紫耀は、具体的な芝居をするひとで、彼の表現はほぼ具体を積み上げることで出来上がっている。
凡庸な演じ手がこれをやると、説明的になるか、単に面白くないことになる。
平野の凄さは、具体の集積でありながら、わたしたちを安易に納得させないことにあり、違和や差異に翻弄される愉悦がある。