インボイス制度とはなんぞや?ってなった人はこちらのサイトをぜひ一読してみてください。反対署名も受け付けてますので。 stopinvoice.org
「俺は若くて大きなおっぱいの女の子にあれこれされて元気になる男たちの権利を守ります!!女の子たちが性加害を受けている事実は知りません!!」ということを世界に向けて高らかに宣言しないでほしい。それ、なにもかっこいいところないから。
スポーツに政治を持ち込んでいるのは常に「政治のほう」であり、だからこそ私たちはそれを批判する(そして「スポーツに政治を持ち込むな」と批判される)。スポーツ観戦を純粋に楽しめないのは政治(や私たち市民が無自覚に)持ち込むナショナリズム=日本スゴイのせいである。
ひろゆき的な思考の下では、正しさを追求(追究)することは「嘲笑」の対象になってしまいます。なぜなら正しさとは「唯一絶対・不変(普遍)のもの」になることはなく、常に揺れ動くものであるが故に、どうやっても解答を導き出せないものだからです。非効率的で無駄、そして何よりも「ダブスタ」です。
「フィクション世界(冗談)で描かれていることが現実世界にもたらす加害の可能性」に気づけていないのだから、仮にフィクションと現実の区別がついていたとしても意味はありません。「やっていいこととダメなことの区別」がついていないので。
「正しさ(とは何か)」を考えることにはとても時間がかかるし忍耐も必要です。あるいは努力も、それが実を結ぶのには時として時間がかかることもあります(そのとき報われなかった・無駄になったと思っていても、将来のどこかのタイミングで思いもよらない形で報われることがある)。
デモに行く、SNSでツイートする、休み時間の教室や家族との食卓で「これやばくね?」と話題にする、布団の中で「こんなんおかしいだろ!」と怒りに震える...etc、ぜんぶ意味のある行動です。私たちそれぞれの「できるかぎり」のすべてに意味があり、他者を動かし、社会を動かすものになります。
いやほんとにマジでインボイス制度は「誰も得しない」制度なので、署名とか見つけたら勢いよく署名&拡散をお願いします。直接的には関係ない人でも、まわりまわって確実に影響出ますので。
この社会は非常に複雑なものなので、ダブスタ=批判されるべき矛盾であるとは限りません。そういったことを無視して「論破」と勝ち誇ったり、相手の意見を「それってあなたの感想でしょ」と断ち切る行為は、単に「私は正しさとは何かを考え続けるつもりはありません」という意思表明でしかありません。
「ミニスカートを履くのははしたない」という価値観自体が男性から一方的に構築・維持されてきたものなので「どんな格好するのも自由」という批判をしたわけで、それを理解していれば何も矛盾してないことがわかると思いますよ。 twitter.com/MIKITO_777/sta…
ひとりの人間の死を悼むことと、その人自身の振る舞いおよびその人が背負ってきたもの(国や社会、制度など)がもたらしてきた功罪を批判的に捉えることは両立します。ということで店内にある関連本を集めてみました。
「困る!!」「困ってる!!」ってことを目に見える形でこちらが表明しないと助けてくれないんですよ、政治って。残念なことに現政権は特にそれが顕著ですし、何も表明しないと「ないことにされて終わり」なので、ちょっくら意思表明しに行きましょう。気軽にね。
皮肉が動かせるのは人の口角までで、結局のところ社会を動かすのは実直な信念を伴った言葉と行動なのだということを、私たちは歴史に残さねばならない。
うるっっっっっっっっせええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(インボイス登録しない人だけのコミュニティを作って、ゴリゴリに経済回して生存してやろうぜみなのもの〜) twitter.com/YahooNewsTopic…
対人コミュニケーションの得意不得意に関するものに限らず、このような「みんなと違うことをやってると変な目で見られてしまう」ということを意識させる記事、もしくは教育環境は、端的にまとめると「誰にとっても悪影響」なのでやめましょう。 twitter.com/jijicom/status…
絶対に辿り着けないゴールに向かって、それでもなおそこに辿り着こうと(時として泥だらけになりながら)歩み続ける姿は、ひろゆき的価値観では「ダサい」ものに映ります。でも歩みを止めればゴールには近づけないし、ゴールそのものも消失します。それが社会であり人生であるということを
先日報道されたウトロ放火の続報にもあるように、SNS上の書き込みが実際の加害行動に結びつく可能性は0ではありません。元ツイートの「オフとかしたらあかんでw」は「実際にオフしたらウケるでw」になった実例ですよね、このウトロ放火は。 news.yahoo.co.jp/articles/16788…
理解するつもりもない大人が作りだす社会を生きる子どもたちは、現在進行形で苦しんでいるとも言えます。このような本を出すことはさらに苦しみを増すことになるし、将来的には子どもたちに(無自覚に)加害者となることを強いる行為でもあるのではないでしょうか。
“ゲイに生まれて嫌だなと思う瞬間は、自分が発した言葉で大切な人をこの世からいないことにしてしまう瞬間だ。あえて過激な言葉で表現すると、自分の恋人を自分の手で殺す瞬間だ。同棲しているのに一人暮らしだと嘘をつく時、彼のことをただの友達だと説明する時、 lighthouse24.thebase.in/items/71266060
実は年末にGoogleマップのクチコミに画像のものが投稿されていました。しつこく運営に依頼をかけ、先日やっと削除がされたので今はもうありませんが、この発言はこれと同様の行為です。
そしてそんな社会は早晩崩壊するので、放棄した者自身もまた苦しむことになります。そんな社会でいったい誰が幸せになれるのでしょうか。「真面目に生きる」ということを馬鹿にしすぎです。というか、どこにも馬鹿にできる要素などないはずです。いい加減、恥ずかしがらずに真面目になりましょう。
当店のトイレはジェンダーどころか色々とフリーですが、今まで一度も事件が起こったこともその気配もありません。なぜならお店のポリシーとして「セーファースペース」を掲げている場所に加害意識を持った人はやってこないからです。つまり問題なのはジェンダーレスではなく「場所(の空気)」です。 twitter.com/reinanananisor…
答えが簡単に出ない/出せないことや、出した答えと反する振る舞いを選択せねばならない状況があるということは、決して絶対悪ではありません。しかしひろゆき的思考の下ではそれは「非効率/無駄」であり「ダブスタ」となり、「論破」の対象となります。
そういったことを抜きにして(というかそれに耐え切れなかった大人が)「攻略法」という見た目だけ良い文句によって子どもを「教育」することの意味、理解しているのでしょうか。そんな教育を受けた人はずっと苦しいままです。何事にも必死にならず、故に何事も報われない(その可能性すらない)のだから。
人権侵害行為に批判をせず(それどころか「サッカーに集中すべきだ」なんてバカなことを言い出しておいて)、ジャイアントキリングだなんだとはしゃいでるの、普通に恥ずかしいですからね。