この社会は非常に複雑なものなので、ダブスタ=批判されるべき矛盾であるとは限りません。そういったことを無視して「論破」と勝ち誇ったり、相手の意見を「それってあなたの感想でしょ」と断ち切る行為は、単に「私は正しさとは何かを考え続けるつもりはありません」という意思表明でしかありません。
そういった態度で実践される「攻略法」が他者と社会にどのような影響を与えるのか。あるいはそれを実践する自身の人生がどうなるか。ひろゆき的思考回路と実践は「善悪判断を放棄する」ことで成立するものなので、逆に言えば放棄しない/できない人間はそれに耐えられません。
答えが簡単に出ない/出せないことや、出した答えと反する振る舞いを選択せねばならない状況があるということは、決して絶対悪ではありません。しかしひろゆき的思考の下ではそれは「非効率/無駄」であり「ダブスタ」となり、「論破」の対象となります。
理解するつもりもない大人が作りだす社会を生きる子どもたちは、現在進行形で苦しんでいるとも言えます。このような本を出すことはさらに苦しみを増すことになるし、将来的には子どもたちに(無自覚に)加害者となることを強いる行為でもあるのではないでしょうか。
絶対に辿り着けないゴールに向かって、それでもなおそこに辿り着こうと(時として泥だらけになりながら)歩み続ける姿は、ひろゆき的価値観では「ダサい」ものに映ります。でも歩みを止めればゴールには近づけないし、ゴールそのものも消失します。それが社会であり人生であるということを
ひろゆき的な思考の下では、正しさを追求(追究)することは「嘲笑」の対象になってしまいます。なぜなら正しさとは「唯一絶対・不変(普遍)のもの」になることはなく、常に揺れ動くものであるが故に、どうやっても解答を導き出せないものだからです。非効率的で無駄、そして何よりも「ダブスタ」です。
ひろゆきの実践する世の中攻略法は「ズルをして(それを指摘・批判されても気にしないでいられるくらいに善悪判断の基準を壊しておくことで)楽に生きる」ことでしかありません。そんな生き方をする人間が増えた社会は、攻略されるというよりも崩壊します。
そういったことを抜きにして(というかそれに耐え切れなかった大人が)「攻略法」という見た目だけ良い文句によって子どもを「教育」することの意味、理解しているのでしょうか。そんな教育を受けた人はずっと苦しいままです。何事にも必死にならず、故に何事も報われない(その可能性すらない)のだから。
(たとえば高1の終わりに10年以上も続けたサッカーを怪我で諦めたとき、費やした時間と努力のすべては無駄になったと思ったけど、大学受験や修論作成、日々の本屋の仕事、おじいちゃん草野球などなどで確実に「生きている」ことを実感しています)
子どもに「攻略法」を教えることよりも先に、大人が「社会にはそう簡単に答えが出ない/出してはいけないものがある(からこそ常にベターな解が何かを考え続ける必要がある)」ということを理解することから始めるべきではないでしょうか。論破も「あなたの感想でしょ」もその対極にある振る舞いです。 twitter.com/mizno7/status/…
「正しさ(とは何か)」を考えることにはとても時間がかかるし忍耐も必要です。あるいは努力も、それが実を結ぶのには時として時間がかかることもあります(そのとき報われなかった・無駄になったと思っていても、将来のどこかのタイミングで思いもよらない形で報われることがある)。
私たちが政治や社会のことを見ていなくても、政治や社会は私たちのことを常に見ていて、隙あらば襲いかかろうとしている。
でもいわゆる「うるさい人たち」がうるさく言っていかないと問題は提起されない、つまり一般大衆にも著名人にも届かないままなんですよね。もちろんあなたのところにも届かないので、こういう冷笑もできない。人間、ひとりで生きてるわけじゃないんですよ。 twitter.com/hhhggyut/statu…
イエローカード覚悟でアンダーシャツに「人権侵害反対」と大きく書いてゴールパフォーマンスで見せつけるくらいしてこいよ。そっちのほうが圧倒的にかっこいいだろ。
クラス内でのいじめに「俺そんなん知らねーし(サッカーに集中したいから邪魔しないで)」とか言ってる人間がサッカーうまくてもなんも尊敬できないんですが?
人権侵害行為に批判をせず(それどころか「サッカーに集中すべきだ」なんてバカなことを言い出しておいて)、ジャイアントキリングだなんだとはしゃいでるの、普通に恥ずかしいですからね。
どうやら試合には勝ったらしいですけど、だからこそ話題にしますよ。試合相手のドイツはちゃんと意思表示しましたからね。
で、日本サッカー協会や代表選手は人権侵害問題に対してなんらかの批判的意思を表明したんですか?
論破ゲームはただの言葉遊びでしかないが、時としてその言葉「遊び」によって文字通り(言葉遊びではない意味において)死に至る存在がいる、ということを、キッズのみんなは覚えておくように。いまはよくわからなくても、いずれなんとなくでもわかるときがくるだろうから。
たとえば「いじめに賛成も反対もしていない人」が反対運動に対して「(嘲笑とも取れる笑顔の写真つきで)疑問を呈する」ことは、ただの加害でしかありません。もはや中立ですらないです。まっとうな人間になりたい人は、こういう論調に納得しないようにしましょう。特にキッズのみんなは気をつけよう。 twitter.com/osorahighbridg…
差別・ヘイトやいじめ、横暴な権力による支配や搾取の構造に対しては、そもそも「反対してない」時点で立つべきところを間違えています。ゆえに氏の行為は「ただの=罪のない疑問」ではなく「明らかな加害」です。その後の振る舞いも含めて反対の意思がないことも明白ですし。
追悼・安倍晋三。
ひとりの人間の死を悼むことと、その人自身の振る舞いおよびその人が背負ってきたもの(国や社会、制度など)がもたらしてきた功罪を批判的に捉えることは両立します。ということで店内にある関連本を集めてみました。
災害時に所属政党の違いなどを理由に対応に差が出ることはあってはならないことで、これこそまさに「○○に政治を持ち込むな」案件です。こういう低俗な思想丸出しの意見に納得しないようにしましょう。 twitter.com/wadamasamune/s…
私が高島さんを応援するのもお客さんが当店で本を買うのも各々の自由意志によるものです。もちろん差別に抵抗するのも。なお、私はあなたとの対話は一切望んでいないので、このあとブロックします。お店にも来ないでください。 twitter.com/y_kurihara/sta…