若者を苦しめているのは高齢者ではなく、社会全体のパイの少なさ=貧困です。つまり高齢者も苦しんでいるし、どの世代も苦しんでいます。もう一度言いますが、この動画によって作られた対立/分断は、結果としてだれも幸せにしません。若者(とされる人間)のひとりとして、強く批判します。
1000円の手持ちしかない人は「文庫本1冊」か「ラーメン1杯」のどちらかしか選べず、前者が勝てば後者が負け、後者が勝てば前者が負けることになります(当たり前体操)。しかし手持ちが2000円になればどちらも選べ、どちらもハッピーです。これが3000円になれば花束も買えます。
私たちがすべきことは「限られたパイの奪い合い」ではなく「パイの総量を増やすこと」であり、このような世代間(およびあらゆる)対立/分断感情をもとにした行動を促すことは、結果としてだれの得にもなりません。 twitter.com/nanatakamatsu/…
スポーツに政治を持ち込んでいるのは常に「政治のほう」であり、だからこそ私たちはそれを批判する(そして「スポーツに政治を持ち込むな」と批判される)。スポーツ観戦を純粋に楽しめないのは政治(や私たち市民が無自覚に)持ち込むナショナリズム=日本スゴイのせいである。
仮に民主党政権でそれらが失われたのだとしても、その期間以外の自民党政権下でもっと多くのもっと大切なものが失われていると、私は感じています。というか「誇り、自信、活力」は「自民党にとっての」ですよね。「私たち市民の」それらは現在進行形で損なわれています。 news.yahoo.co.jp/articles/b523a…
“ゲイに生まれて嫌だなと思う瞬間は、自分が発した言葉で大切な人をこの世からいないことにしてしまう瞬間だ。あえて過激な言葉で表現すると、自分の恋人を自分の手で殺す瞬間だ。同棲しているのに一人暮らしだと嘘をつく時、彼のことをただの友達だと説明する時、 lighthouse24.thebase.in/items/71266060
明らかに国がおかしなことになっていて、いわゆる「戦前」なのだということをこのようにして突きつけられてしまうと、正直なところ本なんか売っている場合ではないわけですが、そんな状況だからこそ歴史=生の塊である本を売り、作り、読まねばならないのだとも思います。 twitter.com/book_lighthous…
思春期に、真面目であることや「コミュ力」がないことを理由に人気者側(=社会の空気)から蔑まれていた/いることは、確実にあなたの心を蝕んでいます。しかし間違っているのは、今も昔もあなたではなく相手です。あなたは変わらず真面目であっていいし、静かな人でいい。胸を張って生きましょう。
思春期特有のこの手の揶揄はいわゆる「陽キャ(人気者、コミュ力高めetc)」の専売特許的なもので、その背景には(有害な)男らしさの誇示があったはずです。そしてその男らしさ規範に苦しめられていた「陰キャ」も当然いて、フェミニズムを含む反差別の実践はそんな陰キャを救うものでもあると思います。
ひろゆき(やこの手の揶揄に乗っかる人間)が当時「陰陽」のどちらであったかは知りませんが、「自分を苦しめていた規範を再生産する」振る舞いを大人になってからしてしまうことは、結果として誰も救わない=自分も楽にはならないということを、まだ引き返せる場所にいる人には気がついてほしいですね。
「コンドーム持ってたらエロ目的(のヤバいやつ)」みたいなニュアンスの揶揄は小中学校の教室でよく見かけたものでしたが、おとなになってもそれをまだやり続けてしまう理由がなんなのか、批判的に考える必要があると思います。 twitter.com/hirox246/statu…
皮肉が動かせるのは人の口角までで、結局のところ社会を動かすのは実直な信念を伴った言葉と行動なのだということを、私たちは歴史に残さねばならない。
後世の人間たちが「なんかすごい人たちがいたんだなあ!」と感じるような歴史を、私たちみんなで作っていきましょう。
難しいことを言う必要もありません。何かがおかしいと感じたこと、不満に思ったことをそのまま口に出したり紙に書いたりネットに書き込んだりするだけでいいんです。それを繰り返していけば、いつのまにか色々なものが理解できるようになるし、発信できるようにもなります。
デモに行く、SNSでツイートする、休み時間の教室や家族との食卓で「これやばくね?」と話題にする、布団の中で「こんなんおかしいだろ!」と怒りに震える...etc、ぜんぶ意味のある行動です。私たちそれぞれの「できるかぎり」のすべてに意味があり、他者を動かし、社会を動かすものになります。
私たちが学んできた歴史=過去はすべて、無名の人々が支えとなって作り上げてきたものです。教科書に出てくる名のある人はみな、たまたまそのとき「エライヒト」だっただけです。歴史を動かしているのは今も昔も、名もなき多くの「私たち」です。
戦争は人が起こすものだし、故に戦争を防ぐこともまた人が起こせるものです。私たちひとりひとりが決して無力ではないことは歴史が証明しています。何者でもない自分が何かしたところで社会や政治なんて大きなものが変わるわけない、などと思わないでください。
人生で叶えたい目標がある人、特に目標はないけど楽しく生きて寿命をまっとうしたい人、これから子どもや孫が生まれてくる人...etc、今からでも遅くないので、現政権が何をしようとしてるのかを知って「自分のために」行動しましょう。戦争は誰も幸せにしない。どんな立場や価値観の人であっても。 twitter.com/miraisyakai/st…
これも「格上相手に勝ちを掴みにいくメンタリティ」の使い所でしょう。そもそも表敬訪問でなんで選手が官邸に出向くんですかね。グラウンドに首相を呼べ。エライヒトを動かせ、エライヒトを疲れさせろ(ボールは疲れない)。
人権侵害問題には一言も発せなかったくせに、自分たちをヨイショしてくれるエライヒト相手には要望通りの振る舞いができてしまう。くだらないですね。
自分たちがなにに加担しているのか、させられているのか、なにもわかっていないんですね。 twitter.com/yahoonewstopic…
そんなダサい「生き方=冒険」をするくらいなら同じく小学館より刊行されている『葬送のフリーレン』などを読み、その影響を受けるほうが比較にならないほどいいでしょう。アニメ化も決まっていますし、電子でも紙でもアニメでもお好きなものでぜひ。 sunday-webry.com/episode/326975…
放棄できてしまう人間が増えれば当然社会は崩壊するし、放棄できない人間が無理してその思考と実践を行い続ければ苦悩は増すし、思考と実践を途中でやめても「ズルをして」きてしまった分の「遅れ」的なものはなかなか取り返せず、やはり苦悩は増します。
そういった悪循環に引き摺り込み、苦悩する人間の憎悪を利用して成長していったのが掲示板文化であり、ひろゆきのビジネス(あるいは彼そのもの)です。何度でも言いますが、そのような社会=環境で楽しく生きられるのは「善悪判断を放棄した者」のみです。
そしてそんな社会は早晩崩壊するので、放棄した者自身もまた苦しむことになります。そんな社会でいったい誰が幸せになれるのでしょうか。「真面目に生きる」ということを馬鹿にしすぎです。というか、どこにも馬鹿にできる要素などないはずです。いい加減、恥ずかしがらずに真面目になりましょう。