若者を苦しめているのは高齢者ではなく、社会全体のパイの少なさ=貧困です。つまり高齢者も苦しんでいるし、どの世代も苦しんでいます。もう一度言いますが、この動画によって作られた対立/分断は、結果としてだれも幸せにしません。若者(とされる人間)のひとりとして、強く批判します。
当店のトイレはジェンダーどころか色々とフリーですが、今まで一度も事件が起こったこともその気配もありません。なぜならお店のポリシーとして「セーファースペース」を掲げている場所に加害意識を持った人はやってこないからです。つまり問題なのはジェンダーレスではなく「場所(の空気)」です。 twitter.com/reinanananisor…
「正しさ(とは何か)」を考えることにはとても時間がかかるし忍耐も必要です。あるいは努力も、それが実を結ぶのには時として時間がかかることもあります(そのとき報われなかった・無駄になったと思っていても、将来のどこかのタイミングで思いもよらない形で報われることがある)。
この発言に内在する加害性に気づけず「冗談」として公に放ってしまうことと、多くの性的搾取表現に内在する加害性に気づけないことは、軌を一にしています。そしてこれは「フィクションと現実の区別くらいつく(から加害性のある表現を公にしてもいい)」という言説に説得力がないことも表しています。 twitter.com/hapitori/statu…
ひろゆき的な思考の下では、正しさを追求(追究)することは「嘲笑」の対象になってしまいます。なぜなら正しさとは「唯一絶対・不変(普遍)のもの」になることはなく、常に揺れ動くものであるが故に、どうやっても解答を導き出せないものだからです。非効率的で無駄、そして何よりも「ダブスタ」です。
たとえば「いじめに賛成も反対もしていない人」が反対運動に対して「(嘲笑とも取れる笑顔の写真つきで)疑問を呈する」ことは、ただの加害でしかありません。もはや中立ですらないです。まっとうな人間になりたい人は、こういう論調に納得しないようにしましょう。特にキッズのみんなは気をつけよう。 twitter.com/osorahighbridg…
追悼・安倍晋三。
この社会は非常に複雑なものなので、ダブスタ=批判されるべき矛盾であるとは限りません。そういったことを無視して「論破」と勝ち誇ったり、相手の意見を「それってあなたの感想でしょ」と断ち切る行為は、単に「私は正しさとは何かを考え続けるつもりはありません」という意思表明でしかありません。
今年の夏には国政選挙もありますので、インボイスは困るな……ってなった人は「インボイス反対」ってやってる政党や議員さんに票を入れましょうね。投票しに行かないと「インボイスやります」って言ってるところ=現政権=与党が勝ってしまうので。
そういったことを抜きにして(というかそれに耐え切れなかった大人が)「攻略法」という見た目だけ良い文句によって子どもを「教育」することの意味、理解しているのでしょうか。そんな教育を受けた人はずっと苦しいままです。何事にも必死にならず、故に何事も報われない(その可能性すらない)のだから。
“ゲイに生まれて嫌だなと思う瞬間は、自分が発した言葉で大切な人をこの世からいないことにしてしまう瞬間だ。あえて過激な言葉で表現すると、自分の恋人を自分の手で殺す瞬間だ。同棲しているのに一人暮らしだと嘘をつく時、彼のことをただの友達だと説明する時、 lighthouse24.thebase.in/items/71266060
「フィクション世界(冗談)で描かれていることが現実世界にもたらす加害の可能性」に気づけていないのだから、仮にフィクションと現実の区別がついていたとしても意味はありません。「やっていいこととダメなことの区別」がついていないので。
著者や出版社は仕事に感情入れてもいいのに(本を書くのに感情が入らないなんてことは不可能)、本屋はそれを許されないんですね。本屋も本屋である前にひとりの人間なんですが。 twitter.com/vaimos3/status…
そしてそんな社会は早晩崩壊するので、放棄した者自身もまた苦しむことになります。そんな社会でいったい誰が幸せになれるのでしょうか。「真面目に生きる」ということを馬鹿にしすぎです。というか、どこにも馬鹿にできる要素などないはずです。いい加減、恥ずかしがらずに真面目になりましょう。
絶対に辿り着けないゴールに向かって、それでもなおそこに辿り着こうと(時として泥だらけになりながら)歩み続ける姿は、ひろゆき的価値観では「ダサい」ものに映ります。でも歩みを止めればゴールには近づけないし、ゴールそのものも消失します。それが社会であり人生であるということを
対人コミュニケーションの得意不得意に関するものに限らず、このような「みんなと違うことをやってると変な目で見られてしまう」ということを意識させる記事、もしくは教育環境は、端的にまとめると「誰にとっても悪影響」なのでやめましょう。 twitter.com/jijicom/status…
うるっっっっっっっっせええええええええええええええええええええええ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!(インボイス登録しない人だけのコミュニティを作って、ゴリゴリに経済回して生存してやろうぜみなのもの〜) twitter.com/YahooNewsTopic…
デモに行く、SNSでツイートする、休み時間の教室や家族との食卓で「これやばくね?」と話題にする、布団の中で「こんなんおかしいだろ!」と怒りに震える...etc、ぜんぶ意味のある行動です。私たちそれぞれの「できるかぎり」のすべてに意味があり、他者を動かし、社会を動かすものになります。
理解するつもりもない大人が作りだす社会を生きる子どもたちは、現在進行形で苦しんでいるとも言えます。このような本を出すことはさらに苦しみを増すことになるし、将来的には子どもたちに(無自覚に)加害者となることを強いる行為でもあるのではないでしょうか。
グローバルスタンダード?なにそれ?日本(俺たち)の問題に口出さないでくれる?というか世界だからって正しいとは限らないじゃん?遅れてる遅れてるうるせえよ?みたいな反応もダサさの極みなのでやめたほうがいいですよ。
人権侵害問題には一言も発せなかったくせに、自分たちをヨイショしてくれるエライヒト相手には要望通りの振る舞いができてしまう。くだらないですね。
いやほんとにマジでインボイス制度は「誰も得しない」制度なので、署名とか見つけたら勢いよく署名&拡散をお願いします。直接的には関係ない人でも、まわりまわって確実に影響出ますので。
いいか未来の男たち、こういうダサい大人にはなるなよ。「男らしさ」なんてものは一切気にしなくていいから、他者の痛みや心の機微に気づける人間になろうな。
答えが簡単に出ない/出せないことや、出した答えと反する振る舞いを選択せねばならない状況があるということは、決して絶対悪ではありません。しかしひろゆき的思考の下ではそれは「非効率/無駄」であり「ダブスタ」となり、「論破」の対象となります。
つらすぎるな、この社会。