淀川のマッコウクジラの件で、「標本にするって言ってもお金がないんじゃないの?」という質問が来たので、少し解説します。まず、大型クジラの死体の処理は、①海岸へ埋設、②重石をつけて海洋投棄の2択です。1/12
死体から流れ出る油による水質汚染や腐敗臭を全く気にしない!という ことならばもう少し話はシンプルになるかもしれませんが、そうはできないですからね。これらを踏まえた発言が、「自然に返すのだってそんなに簡単じゃない」です。
過去の例ではマッコウクジラを沖合に曳航して沈めるのに一頭500万ほどかかっています。海岸に埋設するのも沖合に沈めるのも、どちらも膨大な労力とお金がかかります。労力についてはこちらの記事が参考になるかと思います→spf.org/opri/newslette… twitter.com/garasuhibar/st…
2002年1月に鹿児島県大浦町で起きたマッコウクジラ14頭の集団座礁の顛末、壮絶すぎる…。救助、埋設、海洋投棄。次々壊れていく重機やクレーン。一頭を海に沈めるのに20〜30トンの重りが必要なのか…海洋投棄も決して簡単な選択肢ではないことがよくわかる。一読の価値あり。 spf.org/opri/newslette…
動物を解剖して体の構造を調べたらどんなことがわかるの?と興味を持った方は、ぜひ拙著「キリンのひづめ、ヒトの指:比べてわかる生き物の進化」をご覧ください!クジラの話はあまり出てきませんが、いろんな生き物の身体を例に出しながら、様々な形の進化を紹介しています! twitter.com/anatomygiraffe…
クジラ担当の田島さんも、ニュースになるような大型クジラだけでなく、ひっそりと打ち上がる小型のイルカ類の死体だって大切に解剖して標本にする。「話題になったクジラを博物館で見せ物にしよう!」というわけではなく、どんな個体も同じく、貴重な資料として後世に残そうという使命感で動いている。
今回の淀川の個体がどうなるかは知りませんが、私は、標本としてきちんと残せたらいいなぁと思っています。形は違うかもしれませんが、標本作成に関わる方々も、命を大切に思い、弔う気持ちをもっています。共感できなくても構わないので、少しだけでもそれをわかってもらえたら嬉しいです。
川田さんの最も尊敬できるところは、「訃報がニュースになるような高齢のゾウでも、車に轢かれて持ち込まれたタヌキでも、自分にとってはどちらも全く同じ、大切に残すべき標本」と断言するところ。誰にでもできることじゃないなぁといつも思う。
大人のマッコウクジラの脳油は2〜3トンほどあります。かつては、精製して機械用油など工業用オイルとして使われていたものです。脳油の凝固点は30度程度なので、流出して水で冷やされたら、固形化して川底に沈みます。水質の悪化を引き起こすとともに、悪臭の原因にもなります。 twitter.com/wakannnan/stat…
もちろん科博の田島さんの「海獣学者、クジラを解剖する」もおすすめです!沿岸に流れ着いて死亡してしまったクジラからわかることがわかりやすくまとまっています。 クジラの解剖のために日常的にトレーニングしてるの、本当に尊敬する… twitter.com/anatomygiraffe…
科博の川田さんの「標本バカ」もおすすめです。無目的・無制限・無計画で集めることの意義。amazon.co.jp/dp/489308934X twitter.com/anatomygiraffe…
博物館が引き取った動物の遺体のその後について興味をもった方は、拙著「キリン解剖記」をご覧ください。私の研究の話でもあり、キリンたちの"第二の生涯"の話でもあります。 twitter.com/anatomygiraffe…
そもそも、15mのクジラの解剖→埋葬→掘り起こし→骨格標本化ってのは、めちゃくちゃ大変な作業で、エゴがなければできないです。なので、「エゴだ」というのはその通りですが、それを批判される言われはないよねと思います。
「自然に返したい」と言う気持ちはもちろん理解できますけど、特に大型動物の場合は、自然に返すのってそんなに簡単じゃないんですよねぇ。
博物館の人間は、「死を無駄にせず、標本として未来に残す」というエゴを突き通すために、できることはなんでもする、というだけの話だと思います。そして、どちらの意見でも「死を弔いたい」という気持ちは同じだと思います。
それと「骨格標本にするのは人間のエゴ」という意見もよく見かけるのですが、この手のケースでは「自然に返してあげたい」もエゴだと思います。淀川に大人のマッコウクジラの脳油がそのまま流れ出たら大変なことですよ…どちらもエゴで、そのエゴを貫くためにどこまで時間やお金を費やせるか、です。
1万点を超えるカモシカ頭骨標本を作っている人(科博の川田さん)のエッセイ。 sotokoto-online.jp/diversity/515
カモシカの頭骨標本を1万点以上作り続けるのは正気の沙汰ではないし、私は絶対に真似できないんだけれど、そういうある種の狂気と使命感をもった人にしか構築できないコレクションってのは間違いなくある。ただ漫然と過ごしているだけでは、集めることも未来に引き継いでいくこともできないのです。
例え一種につき100個体の標本があっても、雌雄で比較するなら50個体ずつ。大人と子供に分け、時代や収集地域ごとに分けて比較をするなら、十分な数とは言えません。博物館は単なるエンタメ施設じゃなく、研究施設でもあるからこそ、同じ種でもいくつも集めていく必要があります。
これはおそらく、野生動物でも一定の頻度で生じる奇形だけれども、率が低いために見つかったことがなかった(or見つかってたけど報告されてこなかった)のだと思います。症例報告の有無は小さな話ではありますが、たくさん見比べて初めてわかることは結構あります。
国立科学博物館には1万点を超えるカモシカの頭骨コレクションがあるんですが、その中にたった一つだけ、後頭骨環椎軸椎奇形(Occipitoatlantoaxial Malformation)という異常をもつものが見つかりました。ヒトや家畜、愛玩動物では知られている症例でしたが、野生動物では報告がありませんでした。
それに、今はどちらも同じマッコウクジラですが、今後様々な研究が進んでいって、マッコウクジラがいくつかの種に分けられる可能性だってゼロじゃないわけです。「かつては同種として博物館に保管されていたものが、最新の分析によって別種として報告される」なんてことも割とよくある話です。
「大阪市博にはもうマッコウクジラの骨格標本があるんだから、もういらないんじゃないか」というご意見をちらほら見かけるのですが、博物館は一種につき一個体の標本があれば良いというものではないです。いくつも集め続けてはじめて、雌雄の違いや大人と子供の違い、昔と今の違いがわかるからです。
展示の最後にあるパネル。
埼玉県こども動物自然公園にある、シカのいる森(右)といない森(左)の比較展示。園内の谷をそのままシカの飼育スペースにし、谷の真ん中に移動防止柵を設置するというシンプルな展示ですが、 「野生鳥獣による森林被害の約7割は、シカによる枝葉の食害や剥皮の被害」と言うのがよくわかる。