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話題に上がっている志賀の弔辞について。昭和46年10月26日、志賀直哉の葬儀が青山斎場で執り行われました。86歳の武者小路実篤は、祭壇の友に長く切々と語りかけたと言います。その様子について川端康成は「まことに立派で、宗教の域に到るやう」(「志賀直哉」『新潮』昭和46年12月号)と述べています。
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「ふしぎなのはお魚の食べ方で、真ん中だけ箸をつけるのだ」昔は主人の膳から使用人がお下がりをいただくこともあり、裕福ではなくとも子爵家の体面上使用人のいる家で育った実篤は「全部食べるものではないという習慣があったのではないか」(武者小路辰子「食べ物」『ほくろの呼鈴』) twitter.com/BunAl_PR/statu…
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「僕は怒っている」の葉書。武者小路実篤より志賀直哉宛て明治41年9月29日付けです。 twitter.com/BunAl_PR/statu…
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"日当たりのいい部屋"。実篤は草稿に「僕は明るい室で仕事をするのが好きだ。それも明治子だから電燈の光より日光を愛する」と書いていて(武者小路辰子「ついの住家ー座敷」『父・実篤の周辺で』)、仙川の家を建てる時も、設計士に全面的に任せた一方で、「明るい家を」と注文をつけたそうです。
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"魚を残す"。「ふしぎなのはお魚の食べ方で、真ん中だけ箸をつけるのだ」昔は主人の膳から使用人がお下がりをいただくこともあり、裕福ではなくとも子爵家の体面上使用人のいる家で育った実篤は「全部食べるものではないという習慣があったのではないか」(武者小路辰子「食べ物」『ほくろの呼鈴』)
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"志賀の支援"。実篤は資金が必要な時、よく志賀直哉に出して貰いました。小学館版全集18巻に収録された書簡を見るとたびたび借金を頼んでおり、新しき村など実篤が主宰する活動には寄付を貰っています。昭和11(1936)年に欧米旅行に発つ時に書いた遺言状にも「志賀に二千円…借金がある」と書いています
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「歩く時この杖をつかうと志賀と一緒にいる気がする」(武者小路実篤)【漱石と明治人のことば212】 serai.jp/hobby/222957 @seraijpさんから
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【#おうち時間で実篤を知ろう 18】学校の教科書で志賀直哉について習った方も多いと思います。「実篤の友だち 志賀直哉」では、大親友歴およそ70年、二人の仲良しエピソードを紹介します。#おうち時間で学ぼう #エア博物館 #自宅でミュージアム
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武者小路実篤『友情』は恋するすべての人が読むべき最良の教科書だ #3_1|光文社新書 @kobunsha_shin #note #コンテンツ会議 shinsho.kobunsha.com/n/nd0cbc7d0ac8d