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【関連情報】NHK Eテレ「にほんごであそぼ」4月10日放送の「十人十色」で武者小路実篤の言葉「君は君 我は我也 されど仲よき」が取り上げられます。
nhk.jp/p/nihongo/ts/K…
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(『武者小路実篤全集』の上でふて寝ですか?!) twitter.com/abikoshirakaba…
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TVアニメ「文豪とアルケミスト ~審判ノ歯車~」のオープニングには、志賀が庭木で作って1本を実篤へ贈り自らも使った杖がモチーフとなったシーンがあります。また協力者に実篤の著作権管理団体が入っています。
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【関連情報】昨夜は舞台「文豪とアルケミスト 異端者ノ円舞(ワルツ)」無料配信があったとのこと。2020年1月東京公演で当館理事長で実篤の孫・武者小路知行も志賀直哉のお孫さんと観劇をご一緒しました。孫2人の出会いは2017年8月の「文アル×実篤記念館コラボ企画」会場でした。#文劇一挙配信 #文劇2 twitter.com/bunal_butai/st…
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【関連情報】『週刊朝日』7月8日号の記事がネットに掲載されました。
武者小路実篤の孫が明かす“文豪の素顔” 小遣いは大金、美食家ではなかった dot.asahi.com/wa/20220630000… @dot_asahi_pubより
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文アルが5周年を迎えるとのこと。【文アル年表】初回で2017年8月に初の記念館タイアップとして開催した実篤記念館とのコラボをお取り上げいただきました。当館にとっても初めてのことばかりで、思い出深いイベントでした。 twitter.com/BunAl_PR/statu…
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なにやら振り返っておられるようですので、実篤記念館にお迎えした時の写真を。1枚目と2枚目は2017年8月のコラボの時。3枚目と4枚目は2018年11月〜12月のタイアップの時。
#今までの文アルぶんごーパネルを見せてほしい
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実篤記念館からお出かけしたこともありました。1枚目は2018年11月〜12月のタイアップの調布市文化会館たづくり展示室移動展会場で。2枚目は2017年11月〜12月に宮崎県の高鍋町美術館で開催された特別展「武者小路実篤・新しき村 人間萬歳」の会場で。
#今までの文アルぶんごーパネルを見せてほしい
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少年画報社のコミック誌『ヤングキング』で連載が始まった漫画「めぞん文豪」に、武者小路実篤が登場するとのことです。
文豪たちが現代日本でシェアハウス生活、新連載「めぞん文豪」がYKで開幕 natalie.mu/comic/news/427…
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【創刊110年『白樺』表紙しおりプレゼント】昨年秋にご好評いただきました『白樺』表紙しおりプレゼントを、現在開催中の特別展でも実施します。期間中にご来館いただくと、入館一回につきランダムに1人1枚特製のしおりを差し上げます。期間は特別展開催期間の6月13日まで。
mushakoji.org/info/info_146.…
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【 #ミュージアムグッズ 】個性的な装幀が美しい雑誌『白樺』の表紙で #マスキングテープ を作りました!雑誌をそのまま絵柄にしたものと、画家・岸田劉生が手がけた表紙をまとめた2種類です。#カモ井加工紙 株式会社製で、各495円(税込)。4月24日(土)より当館にて発売します! #白樺マスキングテープ
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【実篤チョコ2021年限定版】1月20日(水)発売。毎年好評により早期に完売することがあるため、予約(取り置き)をお勧めします。来館できない方は発送も承ります。予約(取り置き)と発送は実篤記念館でのみ、1月20日から受付け。注文方法など詳細はホームページをご覧ください。 mushakoji.org/info/info_139.…
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なにやらゴッホ「向日葵」が話題に上がっているようですね。ゴッホ“幻の「ひまわり」”は、白樺美術館計画のために大正9(1920)年に神戸の実業家・山本顧弥太が日本に招来しました。芦屋の山本邸にありましたが、昭和20(1945)年8月6日、第二次世界大戦末期に空襲で焼失しました。
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だから文学者の苦心は全精神をこめて、作品をつくることになるのだ。自分の人格を全部、たたきこんだ作品をつくることが必要なのだ。(中略)文学は文学者から自然に生れるもので、他人から要求されて、それにあはせて生れる種類のものとはちがう。内から純粋に生れるものが、一番純粋な文学と言へるのだ
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大事なのはいい作品をつくり、多くの人に文学的な深い喜びを与へることである。多くの人に精神の糧を与へることである。(中略)文学者の仕事は一時的の効果さへ上げればいいと言ふ仕事ではない。何年たつても、何度よんでも、益々感心しないではゐられないやうなものをかくことが必要なのである。(続く)
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「それが作家というものだから」
作家とは、文学者とは?
作家によって一人一人それぞれの考え方、それぞれの苦しみと喜びがあることでしょう。
武者小路実篤は、このように考えました。「文学に志す人」『文学に志す人に』より。
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弔辞についてはもう一つ逸話があります。志賀が亡くなる数年前、実篤の元に新聞社を名乗る電話で、志賀が亡くなった、弔文を書いて欲しい、と頼まれる事件がありました。夜が明け、いまわしい嘘とわかると、実篤はその書いた原稿を1ミリほどになるまで細かく細かくちぎり捨てたといいます。
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86歳だった実篤は、その頃ほとんど外出しなくなっていたことから、志賀の葬儀には出ないものと思われていました。そのため、葬儀次第に実篤の名はなく、弔辞は里見弴のみとなっています。里見は彼らしい情感のこもった弔辞を書き残しています。
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実篤の弔辞は原稿の用意はなく、その場で心に浮かぶ思いを述べたもので、書いたものは残っていません。ご遺族やその場にいらした方に何度も確かめましたが、会場の録音も不鮮明で聞き取れないとのこと。ただその場に列席した方々の耳と心に残るのみです。