武者小路実篤『友情』は恋するすべての人が読むべき最良の教科書だ #3_1|光文社新書 @kobunsha_shin #note #コンテンツ会議 shinsho.kobunsha.com/n/nd0cbc7d0ac8d
#おうち時間で実篤を知ろう 18】学校の教科書で志賀直哉について習った方も多いと思います。「実篤の友だち 志賀直哉」では、大親友歴およそ70年、二人の仲良しエピソードを紹介します。#おうち時間で学ぼう #エア博物館 #自宅でミュージアム
志賀直哉が武者小路実篤に送った杖はこちら。話題になっているようですので。
「歩く時この杖をつかうと志賀と一緒にいる気がする」(武者小路実篤)【漱石と明治人のことば212】 serai.jp/hobby/222957 @seraijpさんから
話題に上がっているようですので、「僕は怒っている」の葉書を。武者小路実篤より志賀直哉宛て明治41年9月29日の葉書です。『白樺』を創刊する2年前のこの頃、木下利玄・正親町公和と共に互いの作品を持ち寄って批評し合う「十四日会」を開いていました。文中の"沙鷗"は正親町のことです。
"志賀の支援"。実篤は資金が必要な時、よく志賀直哉に出して貰いました。小学館版全集18巻に収録された書簡を見るとたびたび借金を頼んでおり、新しき村など実篤が主宰する活動には寄付を貰っています。昭和11(1936)年に欧米旅行に発つ時に書いた遺言状にも「志賀に二千円…借金がある」と書いています
"魚を残す"。「ふしぎなのはお魚の食べ方で、真ん中だけ箸をつけるのだ」昔は主人の膳から使用人がお下がりをいただくこともあり、裕福ではなくとも子爵家の体面上使用人のいる家で育った実篤は「全部食べるものではないという習慣があったのではないか」(武者小路辰子「食べ物」『ほくろの呼鈴』)
"日当たりのいい部屋"。実篤は草稿に「僕は明るい室で仕事をするのが好きだ。それも明治子だから電燈の光より日光を愛する」と書いていて(武者小路辰子「ついの住家ー座敷」『父・実篤の周辺で』)、仙川の家を建てる時も、設計士に全面的に任せた一方で、「明るい家を」と注文をつけたそうです。
タコさんウインナー?ざくろの花の、花びらが散った後の子房部分です。実篤公園にいらした小さなお子さんが並べて行き、その後いらした別のお子さんも続いて並べてくれて、可愛い風景が出現しました。
小さな芸術家たちが作り出した微笑ましい風景に、思いがけない大きな反響をいただきました。丸一日脚光を浴びて草臥れたタコさんたちは昨夕ステージを降りました。やがて土に帰っていきます。実篤記念館のざくろの花は今が盛り。毎日新しいタコさんウインナーもどきが落ちて来ます。
「僕は怒っている」の葉書。武者小路実篤より志賀直哉宛て明治41年9月29日付けです。 twitter.com/BunAl_PR/statu…
「ふしぎなのはお魚の食べ方で、真ん中だけ箸をつけるのだ」昔は主人の膳から使用人がお下がりをいただくこともあり、裕福ではなくとも子爵家の体面上使用人のいる家で育った実篤は「全部食べるものではないという習慣があったのではないか」(武者小路辰子「食べ物」『ほくろの呼鈴』) twitter.com/BunAl_PR/statu…
実篤の弔辞は原稿の用意はなく、その場で心に浮かぶ思いを述べたもので、書いたものは残っていません。ご遺族やその場にいらした方に何度も確かめましたが、会場の録音も不鮮明で聞き取れないとのこと。ただその場に列席した方々の耳と心に残るのみです。
話題に上がっている志賀の弔辞について。昭和46年10月26日、志賀直哉の葬儀が青山斎場で執り行われました。86歳の武者小路実篤は、祭壇の友に長く切々と語りかけたと言います。その様子について川端康成は「まことに立派で、宗教の域に到るやう」(「志賀直哉」『新潮』昭和46年12月号)と述べています。
86歳だった実篤は、その頃ほとんど外出しなくなっていたことから、志賀の葬儀には出ないものと思われていました。そのため、葬儀次第に実篤の名はなく、弔辞は里見弴のみとなっています。里見は彼らしい情感のこもった弔辞を書き残しています。
弔辞についてはもう一つ逸話があります。志賀が亡くなる数年前、実篤の元に新聞社を名乗る電話で、志賀が亡くなった、弔文を書いて欲しい、と頼まれる事件がありました。夜が明け、いまわしい嘘とわかると、実篤はその書いた原稿を1ミリほどになるまで細かく細かくちぎり捨てたといいます。
「それが作家というものだから」 作家とは、文学者とは? 作家によって一人一人それぞれの考え方、それぞれの苦しみと喜びがあることでしょう。 武者小路実篤は、このように考えました。「文学に志す人」『文学に志す人に』より。
大事なのはいい作品をつくり、多くの人に文学的な深い喜びを与へることである。多くの人に精神の糧を与へることである。(中略)文学者の仕事は一時的の効果さへ上げればいいと言ふ仕事ではない。何年たつても、何度よんでも、益々感心しないではゐられないやうなものをかくことが必要なのである。(続く)
だから文学者の苦心は全精神をこめて、作品をつくることになるのだ。自分の人格を全部、たたきこんだ作品をつくることが必要なのだ。(中略)文学は文学者から自然に生れるもので、他人から要求されて、それにあはせて生れる種類のものとはちがう。内から純粋に生れるものが、一番純粋な文学と言へるのだ
そして、志賀直哉との70年にわたる友情の証を。
実篤手ぬぐいでマスクを作りました。手ぬぐい生地は綿100%で、色は青・紫・緑・テラコッタ ・赤・ライトブルーの6色。裏地は白で、現在は夏用の冷感生地(まもなく二重ガーゼ生地に変わります)。ひもは柔らかいTシャツ素材です。一枚900円(税別)。発送も承ります。
【『白樺』創刊110年 特別企画】明後日10月17日(土)から始まる秋の特別展は、実篤らが中心となって活動した雑誌『白樺』の創刊110年を記念した展覧会です。会期中、来場された方全員に、『白樺』の表紙しおりをプレゼントします(1回の入場につき1人1枚)。
なにやらゴッホ「向日葵」が話題に上がっているようですね。ゴッホ“幻の「ひまわり」”は、白樺美術館計画のために大正9(1920)年に神戸の実業家・山本顧弥太が日本に招来しました。芦屋の山本邸にありましたが、昭和20(1945)年8月6日、第二次世界大戦末期に空襲で焼失しました。
【実篤チョコ2021年限定版】1月20日(水)発売。毎年好評により早期に完売することがあるため、予約(取り置き)をお勧めします。来館できない方は発送も承ります。予約(取り置き)と発送は実篤記念館でのみ、1月20日から受付け。注文方法など詳細はホームページをご覧ください。 mushakoji.org/info/info_139.…
#ミュージアムグッズ 】個性的な装幀が美しい雑誌『白樺』の表紙で #マスキングテープ を作りました!雑誌をそのまま絵柄にしたものと、画家・岸田劉生が手がけた表紙をまとめた2種類です。#カモ井加工紙 株式会社製で、各495円(税込)。4月24日(土)より当館にて発売します! #白樺マスキングテープ