映像の世紀は95年版が原点にして頂点なんですよ。第二集の詩的な悲惨さとなお輝く人間の愚かさ、第三集の栄光と凋落と文学的な現代へと回帰する美しさ、そして第四、五集の「地獄」へ向かうのが完成されつくしている。
現代で湯治ができる宿を探すと、最低でも1日2000~3000円に必要経費(冷暖房費や自炊の場合はガス代、寝具などを借りる場合はそれぞれ加算)で、宿によっては中に食堂や売店があり、近くに郵便局もあったりWi-Fiがあるところもあったり。…仕事やめて1ヶ月くらい隠棲しようかなあ。わりと本気です。
数年前にイギリスがEU脱退した時に作った映像の世紀風加工動画をHDDから発掘したけど、今見返してもけっこうソレっぽいな…。 映像の世紀 第n集 分断の時代 ―新冷戦とテロとの戦いを経て、世界は主義と自由を奪いあった。
鳥取県米子市の路地で見かけた駄菓子屋さん。巨大な一銭硬貨の看板を掲げたお店はその名も「岡本一銭屋」、明治元年に創業して以来、令和になった今でも地元の子供たちやここで育った大人たちが昔を懐かしんで帰って来るのを迎え続けている。
岐阜県には下呂だけでなく上呂と中呂もある。 茨城県には下妻だけでなく上妻と中妻もある。 山口県には下関だけでなく上関と中関もある。 愛媛県には道後だけでなく道前もある。 秋田県には大仙だけでなく中仙もある。…が小仙はない。
そうか…井出野屋さんが実質閉業かあ。私が古い旅館にハマったきっかけの1つに、5年前ここに泊まった時の経験がある。暗い宿の廊下、その向こうに女将さんのご家族の、中学生くらいの娘さんの影が歩いて行ったのを見た時「そうか、旅館にだって暮らしがあるんだ」とふと思ったのが今の私を作ってる。
TLの至る所で人が消えているのです。つい先ほどまで、目の前で話していた人が物言わぬ無の山と化し、その向こうから消えた人の友人の悲痛な声が聞こえていました。何もかも消えていく…漫画家、小説家、同人作家、旧知の友人、大事な思い出、そして希望も…何もかも… ――TL市民の手記より
「何も悪いことをしていないのに凍結されるはずがない」と信じていました。だから凍結画面が現れた時はまったく何の準備もしていなかったのです。私たちが住む世界では我々オタクは虫けら以下の存在でしたが、それが今や敵とみなされたのです。 ――日系人女性の回想より
その街に近づくと…最初に臭いがしてきました。あの臭いだってことはすぐに分かりました。「恐ろしいことが起こったんだ」とすぐに気づきました。すごく静かでした。近づくにつれ、ここの人たちに何が起こったか…分かってきたんです。 ――アメリカ兵、ディミエル・ブラックの回想より
映像の世紀 第n集 TLは地獄を見た
あの日々の状況は絶望的であった。人々は迫り来る凍結に備えるべく他サービスへアカウントを作った。人々は真剣に考え込んだ面持ちで歩いていた。私たちは人で溢れるTLを、密かな感慨を持って眺めるのだ。明日はすでに凍結がその日常を粉砕してしまうのではないかと。 ――ツヴァイク『昨日の世界』より
TLへ情熱を込めて語ったのはイーロン・マスクだけでした。私たちは彼に期待していたのです。Twitterの評判は悪化する一方でした。無意味なシャドウバンに怯え、UIは改悪されていきました。絶望していた私たちには彼の語る新しいTwitterは素晴らしいものに思えました。 ――ドイツ国民の手記より
ネコチャンがいる旅館は信頼性が高い
民俗学が好きだと、特定の地域にしかない、あるいはその地域に集中してる珍しい苗字を見たときに「あー◯◯県に来たんだなあ」という謎の感慨を抱きがち。あー青森県に来たんだなあ。
雪国のお年寄りの買い物用カートはソリなんですよ
青森で買ってきたリンゴの花の蜜を蜂さんに回収させて作ったハチミツ塗って食べてみたけど、リンゴの味して感動してる。「これリンゴ果汁配合してるんじゃないの!?」って思うくらいはっきりリンゴの味がする。よい買い物をした…。うみゃみゃみゃみゃみゃ。
・謎のブニヨド 愛知県豊田市、旧足助町の山間部の地図を眺めていたときのこと。「ブニヨド」なる地名を見つけて?????なった。…これは一体なんだ?どんな由来だ?いやそもそも日本語なのか?かなり気になり、実際に行ってみることにした(続)
愛知県の奥三河や徳島県、秋田県等はいわゆる小字以下の細かい地名が今も住所として使われている。足助もそんな地域で、地図には「月沢」「長クゴ」「イドシリ」など生活に密着していたであろう、どこか懐かしくも不思議な名前が連綿と広がる。だがその中でも「ブニヨド」はかなり異彩を放っている。
奥三河に向かったのは春の田植えの頃。山奥を縫うように小さな集落がわずかな水田を抱えて沢沿いに並んでいる姿は、どこか中国山地の鳥取や島根県の中山間地を思わせる。峠を越えるごとに東海の山々を濡らす五月雨も上がっていき、ブニヨドに着く頃には曇り空の下、田植え作業をする人々の姿があった。
ブニヨドは豊田市の東方、山の合間に位置していた。もとは足助町の旧五反田村の中にあり、到着してみると実に典型的な中山間地の農村といった雰囲気で、「ブニヨド」の名は地図には出てきても、その名が書かれた道路看板などはないようだった。とりあえず住んでいる方に話を聞いてまわる。
家の呼鈴を押すと年配の女性が出てきた。「旅の人間ですが、つかのことをお訊きします。ブニヨドって何ですか?由来はありますか?」と単刀直入に問うがやはりというのか「わからない」と返された。家の奥から更にひと世代上のお年寄りも出てきたがそれでも「わからん。ブニヨドはブニヨドや」と言う。
女性によれば今このブニヨドに住んでいるのは自分たちの家だけで、周りの人に訊かれたこともないし由来なんて考えたこともなかったという。だが家の表札には「ブニヨド」の地名が書いていると言い、貴重に感じた。田舎によくいる地元の歴史に詳しいお年寄りにも頼ってみたがやはりわからないとのこと。
周りの地形を改めて観察する。だが本当に沢沿いの田んぼと大きな岩があるのみでブニヨドの音になりそうな自然物はない。強いて言えば、川の「淀み」や川の流れの音から「トドロ」という地名が発生しやすいことにつながるか?と思う程度だった。こうして私のブニヨド訪問は無念に終わった…かに見えた。
これだけでは悔しい。帰宅後、とりあえず昔の史料を読み漁ることにした。明治~昭和期にまとめられた村史や地誌を探してみる。すると「ブニヨド」は漢字で書くと「部入土」になること、また昔は「ブニウド」と読んでいたことがわかった(なんでそう訛ったんだよ)
そして、さらに読み進めるとブニヨドのすぐ裏手に「不入土」と書いて同じく「フニヨド」と読む地区があることを知り、別の地図で確認すると「ブニョウド」と読むこともわかって「これだ!」と舞い上がることになった。ブニヨドの正体は「不入土」! つまりこの地名、中世日本の荘園制度が由来だわ!