フリート横田(@fleetyokota)さんの人気ツイート(いいね順)

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前回東京五輪を見てきた人たちを、ここのところ集中して取材している。共通して言っていたのは、「盛り上がっていなかった」ということ。戦後復興のシンボルなど誰も感じていなかった。今回の東京五輪のほうがむしろ、騒がしく、盛り上がっているようにみえたくらい、とも聞く。
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自分は盛り場のこの種の店に行かないほうでもないと思うが、商談内容を秘匿することと、暴力を振るわれるのを我慢することは、まるで別の話だと言い切れる。 暴力を耐えなければならないというドグマを言い出す時点で、夜の街に理解があるようで、自分たちとは違う別の人種だと見做してる。 twitter.com/japantank/stat…
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お父さんお母さん兄弟突然死んで、一人残った小さい子が、何も学べず、馬小屋で寝起きし働いた頃、この国は高度成長に入っていった。誰もその子達を助けなかった。大きな事件事故、煌めく文物などと共に、誰からも忘れられた昭和を、いや忘れていないよ、とせめて思い続けたい。まだ数十年前のことです
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野坂昭如は、日本人は空襲を天変地異と同じように受け取ったと書いた。敵を憎むことも総括もなく、ただ諦めて受容れる。今もそれは変わらず、社会問題も甘受してしまう。だから今も"日々空襲を受けている"と書いた。両脚を破壊された子供の最期のまばたきを見た人の実感。今日も有効な鋭い批評だと思う
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コインパーキングから車出そうとしたら、おじさんが声かけてきた。「ねえ隣の車の番号押して清算しちゃった。なんとかならない?」。機械に記載の番号に電話かけることさえせず目下の他人に丸振りするような日頃のおじさんの仕事ぶりがマブタに浮かんできて「無理じゃないすか」と答え、車を出した
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"暗い昭和"話は腹一杯、と現代だとなるのも分かる。そもそも辛い過去を話したがらない孤児が多く証言も少ない。データもほとんどない。そのうち忘れられる。でも豊かな時代は表面化しなかった"強い人"達のエゴが、また見えてきたんじゃないか。一番弱い所の歴史と今を見比べることは、きっと意味がある
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ネットで見かけた画像だが、ここはいつ頃のどこだろう?
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今日神保町行ったので、さぼうる行くかと思ったら、マスター亡くなられたと。一度お話したが、穏やかに話す方だった。その後、休業されてたんだな。 で!明日4/5火曜再開と張り紙があった!!頑張ってください
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知らなかった。俺の岩下志麻、自分で「極妻のLINEスタンプ欲しい」って東映の岡田会長に直談判して作ってもらったんだって。なおかつ「覚悟しいや」とか日々使ってるって。 いいなー俺も「おはよう!志麻!」とか送って「なんや」とか返してもらいたい bunshun.jp/articles/-/457…
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不当な孤児など耳にしなかったからレアケースだというのは違います。昭和20年、21年時点のことを現代の人が記憶してる噂や思い出と照らし合わせても意味はありません。一家全滅、疎開先閉鎖で相当数の孤児が出て、どんな戦後を生きたか、そもそも統計がない中、この追跡調査が明らかにしています。→
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疲れた中年は、80年代の田中裕子を見ると一発で覚醒し元気になります。
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1970年、29歳の俺の志麻なんだが、俺もこうやって西へ東へ足に使われて消耗したい
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それではご覧下さい。私が8万5千回ほど眺めている、志麻の飲みっぷりです。
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小林カツ代さんのさっきの話ではないけど似た話を思い出した。池袋・人世横丁で長年店をやってきた人が、飲み屋稼業で嫌だったと言っていたのが、戦中の残虐自慢。大陸で女性を暴行した話など酔うと嬉々として話出す人が昔は結構いたと。やはりそれなりの立場の人が多かったと。こういう話は残りにくい
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あまりの過去に、口が重い人々にも手紙を書き、会いにいき、証言を得ています。また足を使い資料を追います。なぜか。著者も孤児だからです。この本を通読し、その後、反証資料を元に「孤児問題などなかった。あるいはレアだった」と言ってください。 「かくされてきた戦争孤児」、2020年の本です
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自らを省みて、素直に学んで一緒にのびよう!ってタイプより、アラをなんとか探して引きずりおろし、一緒に沈んでくれ、っていうタイプが暗躍しがちな社会だからな。いいものはほめて、真似しようよ
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これは旨えな。ご近所さんに教わったんだが、安くてもいいからオリーブ油たっぷりの中に冷凍エビ入れて、チューブニンニクと塩を投下して沸かす。クセになるな
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子供の頃、親父に連れられていく飲み屋にはこういう濃厚さの40代が結構いたが、自分も40代になって見回して見れば、もうどこにもいない。嬉しいような寂しいような
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子供時代、外から見た雰囲気や所作でキャラクターを他人から規定され、そこに閉じ込められて、その後の人生で不当に損をし、そのまま成人した人は大勢いるだろう。そういうものをなくしていく動きだと思う。
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とある街を調べていたら、寂しくなってきたその街を「プチ廃墟」と書いている人がいた。「街全体がB級スポット」で、低価格なのもいい、としていた。この方と同じ視線で街を見る人は結構いるし、悪いことでもないのだろう。だけど俺は一緒に歩きたくはないかな。街は、我々のテーマパークではない。
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「日本のいちばん長い日」では、三船敏郎に負けない存在感だった。軍隊への憎しみがなければ、あれほどの美男子であの雰囲気は出せないかもな。子供の頃、バラエティ番組で見ると、違和感覚えるほどゆるすぎる雰囲気の人だったの覚えてる。今思えば、最高だね
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富山と新潟の間、日本海の風に吹かれ立つドライブイン。これまで食ったあらゆる魚汁で一番の「タラ汁」。一人前が鍋で出てくる。 ガラスケースのおかずを取ってると、子供の頃、積み込みに向かう親父の脇に乗って行った日を思い出した。そう、ドライバーさん達が腹を満たす食堂なんだ。どうか永遠に
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こういう感じ、時々あるよね。報道会社には、この老人達と似た位置にいて似た感覚を持っていた人や、その薫陶を受けた子供達が結構多いからだろう。 そしてあの老人達と同じような現実感のない言葉を時々吐いてがっかりさせる。自分達が言わねば誰が言う、くらいの選民意識と頑固さも似てる。
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ご飯を誰かに作ってもらったら、美味しいね以外言うなよ。言えないなら自分で好きな物作って、一人で食えばいい
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前から言ってるが、どこの町にもある、ネットで数値化されないし、そもそも出てこない"街の寿司屋さん"、行かないともったいないよ。 皆さん修行された職人さんだからな。ヌタ、光物とガリの巻物なんかありがてえよ。まだ、どこの街にもある。みんなで行こうよ