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【管理人より】
本日は77年目の終戦記念日です。
昭和19年10月25日から昭和20年8月15日まで300日間続いた特攻隊の戦没者は、海軍2431名、陸軍1417名、計3848名(航空特攻のみ集計)となりました。
特攻隊員およびアジア太平洋戦争(大東亜戦争)の戦没将兵の御霊に謹んで哀悼の誠を捧げます。
#終戦記念日
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お父さん、さようなら、僕は、明日、日本のために死にます。(略)口答え一つしたことはなかったけれど、お父さんを好きだなんて言ったことはありませんでした。最後だから、言わせてください。
僕はお父さんが大好きです。
―海軍少尉 佐々木八郎(第一昭和隊 S20.4.14)
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俺には君は過ぎた妻だつた。もつたいない位な妻だつた。最後に当り感謝する。俺も女は君一人しか知らなかつた。俺もずつと守り通した君一人が、世界中の女の様な気がする。君も俺の心と同じと信ずる。
―陸軍少尉 大平誠志(第二十振武隊 S20.4.12)
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日本にもトルコにも、祖国や愛する人々を護るために、勇敢に戦って散華された、多くの英雄の歴史があります。これらの尊い犠牲によって、我々は国家を維持し、日常生活を送ることが出来るのであります。
―テキン・キャル(元駐日トルコ海軍武官)
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日本男児へ
来るべき時は今だ 何が何でも勝つのだ
我々は一足先に征く
ついて来い、死しても護るぞ!
如何なる困難は困難の中にはあらず
日本の後輩よ、頼む
―海軍上飛曹 山本平造(第六金剛隊 S19.12.14)
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お父さん、さようなら、僕は、明日、日本のために死にます。(略)口答え一つしたことはなかったけれど、お父さんを好きだなんて言ったことはありませんでした。最後だから、言わせてください。
僕はお父さんが大好きです。
―海軍少尉 佐々木八郎(第一昭和隊 S20.4.14)
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お母さん御安心下さい。決して僕は卑怯な死に方はしないです。お母さんの子ですもの。それだけで僕は幸福なのです。
お母さんお母さんお母さんお母さん!こう叫びたい気持で一杯です。何か云って下さい!一言で充分です。
―海軍少尉 鷲見敏郎(第一七生隊 S20.4.6)
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お父さん、さようなら、僕は、明日、日本のために死にます。(略)口答え一つしたことはなかったけれど、お父さんを好きだなんて言ったことはありませんでした。最後だから、言わせてください。
僕はお父さんが大好きです。
―海軍少尉 佐々木八郎(第一昭和隊 S20.4.14)
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今春、靖国神社に参って見て下さい。そこでは幾多の戦友と共に、私が桜花となって微笑んで居ることでせう。
私は笑って死にました。どうか笑って下さい。泣かないで私の死を意義あらしめて下さい。
―海軍一飛曹 嶋村中(第一神雷桜花隊 S20.3.21)
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俺たちの苦しみと死とが
俺たちの父や母や弟妹たち
愛する人たちの幸福のために
たとえわずかでも役立つものならば
―陸軍少尉 長谷川信(誠第三十一飛行隊 S20.4.12)
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実に日本の国体は美しいものです。古典そのものよりも、神代の有無よりも、私はそれを信じた祖先達の純心そのものゝ歴史の姿を愛します。美しいと思ひます。国体とは祖先達の一番美しかつたものゝ蓄積です。
―海軍少尉 山口輝夫(第十二航戦水偵隊 S20.6.21)
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愈々お別れです。大いに頑張りますから御安心下さい。小さい時に皆さんとけんかしたことが楽しい思ひ出に成ります。三人で力を合せて私の分までお母さんを大切にして下さいね。お願いします。皆様に多幸あられん事を祈って居ます。
―海軍上飛曹 小松武(第二御楯隊 S20.2.21 弟妹へ)
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【管理人より】
安倍元首相の訃報に際し謹んで哀悼を捧げます。
我が国の民主主義の根幹を揺るがすテロ行為は断じて許されるものではありません。政治家の暗殺という卑劣な形で人間の命が奪われたことに、断固として反対の意を表します。
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今になって何等の孝行もしませずに来ました事が、大河の水の如く胸にしみて来ます。しかし私は男でした。今迄何の為に父母が養ってくださったか、それは日本男子として恥ぢざる男となる様に。それが私への望みであったらうと思ひます。
―海軍上飛曹 川野忠邦(第六神剣隊 S20.5.11)
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父さん、だいじな父さん
母さん、だいじな母さん
永いあいだ、いろいろとお世話になりました。
好子、寿子をよろしくお願いいたします。靖国の社頭でお目にかかりましょう。
ではまいります。お身体おだいじに。
―海軍中尉 永尾博(第三草薙隊 S20.4.28)
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大君の 御楯となりて 敵艦に 轟音と共に 我は散りゆく
―海軍二飛曹 船越治(第三建武隊 S20.4.6)
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泣きつぽい母上ですから一寸心配ですが泣かないで下さい。私は笑つて死にますよ。
「人が笑へば自分も笑ふ」て父上によく言はれたでせう。私が笑ひますから母上も笑つて下さい。
―海軍少候 大塚晟夫(第三草薙隊 S20.4.28)
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父母様
智恵三は元気で突入します。
郡山の湯浅の母上様の手紙のとおりに、
二十三年間御世話になり立派に突入します。
―海軍一飛曹 松本智恵三(第一筑波隊 S20.4.6)
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父さん、だいじな父さん
母さん、だいじな母さん
永いあいだ、いろいろとお世話になりました。
好子、寿子をよろしくお願いいたします。靖国の社頭でお目にかかりましょう。
ではまいります。お身体おだいじに。
―海軍中尉 永尾博(第三草薙隊 S20.4.28)
22
悠策、元気でやってるかい。お兄ちゃんはものすごい元気で、誰にも負けない気持ちでがんばっている。戦争にゆくのももうすぐだ。
悠策、勉強せよ。強く正しくあれ。
負けるな、日本一たれ。
―海軍少尉 塚本太郎(回天金剛隊 S20.1.21 弟へ)
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日本にもトルコにも、祖国や愛する人々を護るために、勇敢に戦って散華された、多くの英雄の歴史があります。これらの尊い犠牲によって、我々は国家を維持し、日常生活を送ることが出来るのであります。
―テキン・キャル(元駐日トルコ海軍武官)
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【管理人より】
なお、記録上は正式な特攻として扱われていませんが、最後の特攻隊出撃としては昭和20年8月19日に満州のソ連軍地上部隊に対して行われた「神州不滅特別攻撃隊」の出撃があります。
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上空通過、我が家ははっきり見えました。物干し台の上で黒いものが動いている。母さんが見送っているのかと思うと、いかに日本男子と言えどもこの時ばかりは悲しくなって、大声で「お母さん、お母さん」と叫び、五月雨のように涙が流れ出ました。
―海軍一飛曹 宮崎勝(第五神剣隊 S20.5.4)