早坂隆(@dig_nonfiction)さんの人気ツイート(古い順)

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ペリリュー戦からの生還者、土田喜代一さん。「平和な世の中が、ありがたくて、ありがたくて。無念の思いのまま散っていった戦友たちの分まで懸命に生きようと、それだけを考えていました。それが私の戦後です」。そんな土田さんも、昨年10月に逝去。土田さんたちの分まで懸命に生きなければ。
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海岸で小学生たちがゴミ拾いをしていた。学校の授業で「プラごみ」や「地球温暖化」について習った後、友人同士で話し合って自主的にやっているとのこと。終始、笑顔で楽しそうにやっていた。ノーベル平和賞は、こういう子どもにあげたらいいと思う。
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台湾で「最も尊敬すべき日本人」などと称される八田與一は、烏山頭ダムをつくった人物。戦前から、治水は政治にとって最も重要な仕事の一つであった。 八ッ場ダム、一気に「満水まで10m」…台風で54m上昇(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191013-…
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ラグビーW杯。実は当初、日本の初戦の相手はロシアではなくルーマニアでした。ルーマニアは欧州予選を1位通過しましたが、選手登録の違反を指摘され、無念の出場取り消しになったのです。そんなルーマニアからメール。「最高のW杯!日本に行けなかったのは未だに悔しいが、「桜」が咲くことを祈る」
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「権力の暴走を止める」と懸命な新聞記者は少なくないが、「権力の暴走」以上に恐いのが「マスコミの暴走」。これは昭和史の教訓でもある。マスコミの仕事は反権力に凝り固まることではなく、事実を正確に伝えること。権力の監視は必要だが、それだけに執着すれば目が曇る。今日から新聞週間です。
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樋口季一郎は杉原千畝より前に「ユダヤ人救出劇」を実現させた陸軍中将。占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連の分断から守った人物でもある。かつては「知る人ぞ知る」という存在だったが、最近は関心を持つ人が着実に増えている。男前でダンスも上手だったとか。より多くの日本人に知ってほしい人物。
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門田隆将さんと「樋口季一郎」について対談した「歴史チャンネル」のダイジェスト動画の後編です。「キスカ島撤退作戦」や「占守島の戦い」について話しています。とても重要なテーマです。宜しくお願い致します。
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多くのユダヤ難民を救った樋口季一郎ですが、彼のもう一つの功績が占守島の戦い。終戦後の8月17日、北海道の分割統治を目論むソ連軍は、千島列島の占守島に不法侵攻。だが、これを阻止したのが、樋口指揮下の占守島の将兵たちでした。この戦闘での勝利により、日本は分断国家とならずに済んだのです。
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杉原千畝より前にユダヤ人救出劇を実現し、占守島の戦いで北海道をソ連の分断から守った樋口季一郎。約10年前、私が取材を始めた時は殆ど知名度ゼロだったのが、最近では関心を持つ方が増えて嬉しい限り。樋口がドラマや映画になったら日本の雰囲気も変わると思うのですが、これも皆様の支え次第です。
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神々しい夕焼け。JR平塚駅より。
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「なぜ70年以上も前の戦争の話を書くのですか」と聞かれる。だが、現在の政治や外交、憲法、教育等の問題も「大東亜戦争観」に大きく左右されている。おかしな政治家や活動家というのは、歴史観に歪みのある人が殆ど。歴史観とは価値基準の土台。だからこそ、正確な歴史観を丁寧に広げていく事が重要。
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かつて阿川弘之は「国を思うて何が悪い」とのタイトルを著作に付けた。そして、阿川は「ファシズムの最悪の形態が共産主義体制」と看破した。昔は気骨のある文士が多かった。近年、テレビによく出ている評論家やコメンテーターには、そういった居住まいは感じない。口は上手いが、軽薄さが滲む。
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一般財団法人「全国強制抑留者協会」にて取材。とても貴重な資料などを見せていただいた。ソ連による日本人抑留は、国際法違反の許されざる非道。未だ不明の部分も多いのですが、抑留者の高齢化により記憶の風化が進んでいます。しかし、この問題は丁寧に史実を追求すべき課題。しっかり取り組みます。
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沖縄戦の際、首里城は米軍艦「ミシシッピ」からの猛烈な砲撃などによって焼失。首里城の地下に設けられていた司令部や陣地では、重傷を負った多くの日本軍将兵が自決。宝物庫の財宝は、米兵に略奪されました。そんな悲劇から見事に蘇った首里城。互助、結束、不屈の心。また再建できると信じます。
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75年前の11月、ペリリュー島は日米両軍による激しい戦闘中でした。以下は米兵の手記。「敵の死体は倒れたそのままの場所で腐敗していった。歯茎を剥き出し、まるで笑っているように見える膨満した顔の遺体が、グロテスクにねじれた姿勢をとって至る所に散乱している」。忘れてはいけない。皆で鎮魂を。
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11月3日は明治天皇御生誕の日。大磯町には「明治天皇観漁記念碑」があります。明治元年、明治天皇は行幸の折、大磯の海岸で地引網を御覧になられました。そして、大きな鯛が捕れたのをとても喜ばれたと言います。記念碑が建つのは海水浴場から離れた寂しい一角。ほとんど知られていないのが残念です。
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ペリリュー戦からの帰還者であった永井敬司さんが亡くなられました。平和への思いを最後まで語っておられました。永井さんの思いを、しっかり繋いでいきたいと思います。心からご冥福をお祈り申し上げます。 twitter.com/dig_nonfiction…
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ペリリュー戦の生き残りであった永井敬司さんの訃報を伝える読売新聞(茨城版)の記事。私もコメントを出しておりますが、寂しい限りです。改めまして、ご冥福をお祈り申し上げます。
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旧日本軍の慰霊碑が建てられているガダルカナル島の土地が、中国企業に買収されて、立ち入れなくなっているとの情報。今後、エビ等の養殖場が建設される可能性があるという。ガダルカナル島は2万人近くもの犠牲者が出た悲劇の島。ご遺族の不安も高まっているという。何とかしなければいけない。
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今日でペリリュー玉砕から75年。昭和19年11月24日、ペリリュー島の守備隊長・中川州男大佐は、集団司令部に向けて「サクラサクラサクラ」と打電。玉砕の意を告げた。その後、中川大佐は地下壕内にて自決。この戦いの日本人犠牲者は1万人以上。未だ2200柱以上のご遺骨が島に眠る。全ての犠牲者に合掌。
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パラオのペリリュー島など、海外に放置されたままになっている戦没者のご遺骨は、実に約112万柱。遺骨収集を「国の責務」と定めた推進法が成立して3年になるが、「ご遺骨の取り違え」が起きるなど、課題は山積している。遺骨収集は国と戦没者との大切な約束。戦没者を二度死なせてはならない。
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終戦後のシベリア抑留は広く知られるが、その中には現在のカザフスタンまで強制連行された方々もいた。その数、約3万7000人。その内、1500人ほどが死亡したとされ、ご遺骨の多くは今も当地に埋葬されたままになっている。カザフスタン抑留を歴史の闇に埋没させてはならない。
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陸軍中将・樋口季一郎のお孫さんである隆一氏へのインタビューを中心にまとめた拙稿が「文藝春秋digital」で配信開始。「もう一つのユダヤ難民救済劇」に関する必読の内容になっています。 “もう一人の杉原千畝”「80年目の証言」|文藝春秋digital @gekkan_bunshun #note bungeishunju.com/n/na41cbb9c4c57
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樋口季一郎は杉原千畝より前に「ユダヤ人救出」を実現した陸軍中将。占守島の戦いを指揮し、北海道をソ連の分断から守った人物でもある。終戦後、ソ連から樋口に対する「引き渡し要求」があったが、これをロビー活動によって防いだのは、かつて「ヒグチ・ビザ」によって救われたユダヤ人たちであった。
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以前にロシアのバザールで発見されたというアルバムをお預かりしました。シベリア抑留者が所有していたアルバムで、ソ連側に没収された物だと思われます。御遺族の方にお渡ししたいと思いますので、お心当たりの方はご連絡下さい。表紙裏に「Yutaka Yamane」のサインがあります。