いつ死んでもいいように、心に死の覚悟を持ち、地獄の道をも生きていく。素晴らしい、うむ。 (NO MUSIC, NO LIFE TV CM/2004年冬)
THE TIMERS「LONG TIME AGO」 (広島平和コンサート/広島市平和記念公園内国際会議場/1989年8月5日)
ザ・ゴールデン・カップス ✕ 忌野清志郎「愛する君に」 (夢音楽館/2003年11月27日放送)
(Fighting 80's『今ノリ時! RCサクセション大特集』/TVK/横浜文化体育館/1981年11月15日収録/1981年12月18日放送)
しかしぼくは、いつもくだらない文章を書いているけど本当にみんなに言いたいことは自分から死ぬ必要はないぜっていうことなんだ。いいかい? 自分で自分を殺すことはないぜ。どうせ、いずれ俺たちは死ぬんだ。誰でも時がくれば死ぬんだよ。 (瀕死の双六問屋/第十四話/TV Bros/1999年5月15日号)
ポンタ「この人はね、リハーサルと本番が全然変わんない状態って初めて。感動したんだよな」 (LIVE '97 ニュースJAPAN 神々の宴/1997年6月6日)
本当に自分の音楽が好きだったら50歳になっても60歳になっても音楽をやってステージに立つだろう。マディ・ウォーターズを知ってるかい? 80歳を超えても現役で死ぬまでイカレたブルースを歌っていた人だよ。何よりも音楽が好きだったんだよ。世界にはそういう人が沢山いるんだぜ。↓
(笑っていいとも!/1992年3月24日)
(トリビアの泉/2004年12月15日放送)
「夏はだいたい強引に、なるべく休もうと思って」 (鹿児島県妙見温泉/2000年8月5日)
反戦のコンサートとかメッセージを歌うってことはね、カッコ悪いことじゃなくて、最初のロックはみんなそうだったワケでございまして。どんどんやっていけばいいと思うんですよね (広島ピースコンサート'91/1991年8月6日)
銃を持ったら撃ちたくなる。 刀を持ったら斬りたくなる。 軍隊を持ったら戦いたくなる。 核を持ったら核爆弾を作りたくなる。 そして平和憲法を忘れてしまう。 (ぼくの自転車のうしろに乗りなよ/第33回/TV Bros/2002年8月31日号)
藤井裕 ジョニー・フィンガーズ 上原裕 忌野清志郎 武田真治 (長崎平和祈念像前/2000年5月12日)
忌野清志郎&甲本ヒロト「上を向いて歩こう」 (ROMANCE GRAY 35/PARCO劇場/2005年3月3日)
「カリスマ」 (水曜どうでしょう/1997年9月17日)
忌野清志郎「赤い原付」 (笑っていいとも!/1994年12月2日)
どんどん政権が代わっていくと、楽しいと思うんですけどね。(選挙に)参加していれば、文句も言えるじゃないですか (週刊朝日「旬に聞け」/2000年7月21日号)
自分が若者の頃は選挙なんてうるさいだけだと思ってましたから。(以前は)影響みたいなものがわかんなかったんで、反省も込めて、早く気づいてほしいなと思います! (NEW23/2000年6月23日)
RUFFY TUFFY「目覚まし時計は歌う(選挙ソング)」 (NEWS23/2000年6月23日)
草野満代「どうでしょう、投票率、この歌の効き目!? ありそうですか!?」 清志郎「大丈夫でしょう! ありますよ、効き目は!」 忌野清志郎「目覚まし時計は歌う(選挙ソング)」 (筑紫哲也NEWS23 選挙スペシャル/2004年7月9日)
忌野清志郎「目覚まし時計は歌う(選挙ソング)」(2回目) (筑紫哲也NEWS23 選挙スペシャル/2004年7月9日) *この日は番組冒頭と終わりに2度演奏しました
両極端に別れちゃうんじゃないですかね、大貧民と大富豪と。犯罪者が増えると思いますよ。 (CIRCUS/2004年8月号)
どんどん、くだらなくなっていってる。音楽もTVもどんどん低能になっていってる。殺人も犯罪も短絡的になっている。誰も本当のことを言わなくなってしまった。利権やせこい金で心を閉ざしちまったのさ。 (瀕死の双六問屋/第三十五話/TV Bros/2000年2月26日号)
いくら歌っても、まったく変わらないですね。聞き手も世の中も。まったく無力です。でも、虚しくはならない。やり続ける。自分が納得するために。それが一番大事ですから。 (西日本新聞/1999年10月25日)
木村拓哉 with 忌野清志郎「君が僕を知ってる」 (LOVE LOVE あいしてる/1997年2月22日放送)