Watanabe(@nabe1975)さんの人気ツイート(リツイート順)

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ピルクルを飲んだ。ピルクルとは、「人生の新しい可能性に向けて怯むことなくチャレンジする」「いつもフレッシュで健康な日々を送る」意味で「ピルグリム・ファーザーズ・クルー」を略して名付けられたものらしい。胃酸の荒波を乗り越えて腸に到達する乳酸菌。
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青海子微(せかい・しび) 古代中国の学者、官僚。科挙の試験官を幾度も務めたが、「科挙」を「科拳」と誤記した結果、静かな殿試会場が一転し進士達が拳で殴り合う武闘会と化したという。現代日本において世界史Bの試験で誤記があったのも、偶然とは思われない。 (民明書房刊『必殺!合格拳』より)
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「よく『地獄の釜の蓋を開ける』を『より悪い状況になる』という意味で解釈する人がいるけれど、本当は『正月やお盆は地獄の鬼も釜の蓋を開けて呵責を一休みする』という意味なんだ。わかった?」 「グツグツ」
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「蛙化現象」とは何かと調べてみて、「欲しくて仕方がなかったおもちゃを手に入れた途端に醒めてしまう」現象だと考えると、誰しもが通る道ではないかと思った。手に入れられないものほど、その良い面ばかりが目についてしまう。
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「吾妻鏡」には実朝の言葉として「されど源氏の正統、いまに縮りぬ。子孫、嗣ぐべからず。されば官位を進め、家名を挙げんとす」と記される。何らかの要因で実朝は子を儲けることができなかったと推測される。 #鎌倉殿の13人
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政子の「従三位」ポーズに、在りし日の「征夷大将ぐーん!」と思い出してしんみりする。 #鎌倉殿の13人
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「どうする家康」の松平元康と「鎌倉殿の13人」の北条小四郎に共通点を求めるならば、どちらも「平穏で目立たぬ暮らしを望んでいたのが、やむを得ぬ環境の激変で戦い続けるうちに権力の頂点へと駆け上っていく」ところだろうか。 #どうする家康 #鎌倉殿の13人
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甲州金。 戦国期の甲斐国は金を産出し、灰吹法によって抽出された金は貨幣に鋳造された。他の大名が鋳造した金貨は重量で価値を量る秤量貨幣だったが、甲州金は刻印された額面で価値が決まる計数貨幣であり、体系的に整備された日本初の貨幣制度といわれる。
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中世の森林法を適用し、無断で私有地の木を切り倒した者の首を切り落として新たに芽吹くまで切り株に据え付けよう。 「うそでしょ、冗談でしょ…」私有地の木を勝手に切られる 撮り鉄が構図のために伐採か(BSS山陰放送) news.yahoo.co.jp/articles/6d9ca…
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月代を剃る家康と既に剃っている徳川家臣。前回の築山殿事件は、ある意味主従が青年期から壮年期に入る通過儀礼であり「元服」のようなものだったのだろう。 #どうする家康
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「とてもつらい」で有名な後漢の霊帝は後世の評価が芳しくない皇帝ではあるものの、一方では学問を重んじて好奇心の強い一面も持っていたという。霊帝の治世は匈奴や鮮卑など異民族の侵攻が活発化した時代だったが、霊帝は遊牧民族の文化や習慣にも興味を抱いていたらしい。
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かつて存在した国家を判別するのは本当に難しい。 私のような歴の長い熟練者でもない素人はよく国名を間違える。 コツとしては地政学的要素、領邦の広がりなど常に見える所で識別することだ。 私くらいまで知識が増えると遠目に見ただけで判断が出来るようになる。 これはローマ帝国です。
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傘連判状。 江戸時代の百姓一揆では首謀者を隠す目的で作成されたが、中世から戦国時代に行われた本来の傘連判状は一揆の同盟を結ぶ相手同士が対等な地位にあることを示した。 #どうする家康
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今の小学生はとても賢明だと思う。自分が小学生だった頃は、帰り道に皆でじゃんけんして負けた人間に全員のランドセルを背負わせることしか考えていなかった。
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「お米を買ったの? いいわね、うちは高階層だから気圧が低くて美味しく炊けないのよ」 たかしくんママの住居は、タワマン最上階のペントハウス(200㎡)。 一方オスマン帝国側はスルタン直属のイェニチェリ軍団を中心とした10万の大軍勢や大量の火砲を投入し、早期陥落を目指す。 決戦が始まった。
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「売れる作品より自分の作りたい作品!打倒資本主義の悪魔!」から「FANBOX支援お願いします」の流れは、意図的だとしたら相当な策士だと思う。
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石のスープ(Sopa de pedra) 空腹の修道士が民家で食事を乞うたが断られ、一計を案じる。路傍の石を「これを煮ると旨いスープができる」と鍋で煮込ませ、その後「この石は古いので十分な味が出ない」と塩や野菜、肉を入れさせて出来上がったスープを存分に味わう。修道士はお礼に石を置いて立ち去る。
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梶原景時は当時の東国武士の中では教養があり、和歌を嗜む風流人でもあった。源頼朝には信頼され、都の貴族からは「一ノ郎党」や「鎌倉ノ本体ノ武士」と称されたが、権力者の側近は同時に同僚である御家人からの恨みを買いやすい立場でもあった。
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「1人が木の高さを測ればいい。残りの99人は、木の高ささえ知っていればいい」という主張は「選ばれた人間だけが教育を受ければ良い」という意味なのだろうか。「教育を受ける権利」の否定だろうか。
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・ショイグ、ゲラシモフの更迭 ・プリゴジンのベラルーシ出国 ・ワグネルの赦免、アフリカへの移動 権力者肝いりの「民間軍事会社」が軽く暴れた結果。
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三方ヶ原の合戦において、徳川軍は鶴翼の陣、武田軍は魚鱗の陣という定石から外れた陣形を敷いている。徳川軍は劣勢の兵力を大きく見せるためとされ、武田軍は徳川軍の中央を粉砕することで家康の首を狙っていたとされる。 #どうする家康
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ほのぼのファミリー大河にしたい元康と瀬名をバリバリ裏切ってくる鬼脚本 #どうする家康
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「夏目広次殿、謀反」 「遅い!」 格好良い登場なのに報われない服部衆 #どうする家康
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「臨時収入サイコー」